「いひうきあはあはし(言ひ浮き淡淡し)」。「きあはあは」が「か」の一音になった。語音は古くは「いふかし」と清音と言われるわけですが、当初から濁音の「いぶかし」のような音も相当にあったのかもしれません。「いひうき(言ひ浮き)」は、他者が言ふことによって(脳に)浮かび上がるように現れ構成されるその全体のイメージ。ものであれことであれ、その全体像。世の中の人一般が言っていることによるイメージ・全体像も言い、世の中で起こっていること・世の中にあるもの(下記の例では庭の足跡)が「言ひ」の効果を生じさせることもあります。「あはあはし(淡淡し)」は、その全体像の作用力が極めて希薄であり、明瞭性が乏しく漠然とし、その全体像が把握できないことであり、何かがあるのだが、それが何かわからない。ものやことに関しそれが言われます。さらに、何かわからないことは、それを明瞭にしたい(見たい、聞きたい、会いたい)という思いや、それは何(なに)、それはなぜ、という不審感も生じさせます。
「相見ずて日(け)長くなりぬこのころはいかに幸(さき)くやいふかし吾妹(わぎも)」(万648)。「(自分の出生に関し)ほの聞き給ひしことの、いぶかしうおぼつかなく思ひ渡れど(ずっと思っているが)、問ふ人もなし」(『源氏物語』)。
「上達部・殿上人珍しく、いぶかしき事にして、われもわれもとつどひ参り給へり」(『源氏物語』:なんだろうと思うようなこと)。
「都(すべ)て魑魅鬼神(チミキシン)の類ならば足跡はなきはづなるに、御庭のところどころ人の足跡残れるはいぶかしし」(「談義本」:不審だ)。