「いぬをうつい(去ぬを打つい)」。「う」は脱落しました。「いぬ(去ぬ)」は、遠心的進行を、去るようにいなくなることを、表現する動詞「いに(去に)」の終止形。この場合「いぬ(去ぬ)」すなわち、居なくなる、とは、人が死んでしまうことです。動詞「うち(打ち)」は何かを現実化すること、現すこと、を意味します「うち(打ち)」の項(→「芝居をうつ」)。「うつ(打つ)」はその連体形。また、古代では、その動態進行感により「それ」のような何かを表現する、指示代名詞のような、「い」がありました「い」の項(10月(去年)8日)。つまり「いぬをうつい(去ぬを打つい)いのち」は、死ぬことを現す(現実化する)それ、のような意味になります。これは、死の原因、のようにも聞こえます。しかしそうではありません。死ぬことを現す(現実化する)それ、とは、それがある状態になれば「死に」になるということであり、ということは、それがその「ある状態」でない場合は「生き」になるということなのです(なぜなら、人は生きているから)。「いに(去に)」はいなくなることであり、「いぬをうつい(去ぬを打つい)→いのち」は、「ない(無い)」を現すそれ、なのです。人は世界を「有る」にすることはできません(「有る」を現すそれ、を人に認めることはできない)、そもそも、何を「有る」にすればよいのかわからない。なぜなら、何もないのだから。しかし、人は世界を「無い」にはする。なぜなら、人は死ぬから。そうした、「無い」を現すそれ。それによって「有る」が成り立ち世界があり自分があるそれ。それが「いのち」。

つまり「いのち(命)」は、それによって「死に」「生き」が現れるそれ、それによって人が死に人が生きるそれです。

この「いのち(命)」、そこにある「い」(それ)、は生死の主体のような表現がなされ、古くは「命生き」(生きること)「命死に」(死ぬこと)という表現があります。「恋ひ死なむ後は何せむわが命(いのち)生(い)ける日にこそ見まくほりすれ」(万2592)。「この里の人々、とく逃げのきて命(いのち)生きよ」(『宇治拾遺物語』)。「息さへ絶えて 後(のち)遂(つひ)に いのち死にける」(万1740)。

 

この「いのち(命)」という表現は、人はなぜ死ぬのか、という疑問から起こったものでしょう。「人はなぜ死ぬのか」という疑問は成立します。なぜなら、この疑問は「死ぬ」がないのに(私は生きているのに)( 「死ぬ」が)ある、という矛盾から生じるものだからです(「なぜ死ぬ」の原意は「ないのに死ぬ・「死ぬ」がないのに死ぬ」→生きているのに死ぬ(→「なに(何)」「なぜ(何故)」の項))。しかし、「人はなぜ生きるのか」という疑問は成立しません。なぜなら、この疑問は「生き」がないのに(私は死んでいるのに) ( 「生き」が)ある、という矛盾によって成立するものであり(「なぜ生きる」の原意は「ないのに生きる・「生きる」がないのに生きる」→死んでいるのに生きる)、その疑問主体は死んでおらず、生きており、死んでいる場合(思考活動自体が無機能化していたり活動する物的存在自体ない場合)は「人はなぜ生きるのか」という疑問自体発動し得ないからです(それが発動している場合、人は自我分裂が起こっています。それが全的に恒常化しているのが統合失調症(精神分裂)です)。そして、この語が「人はなぜ死ぬのか」という疑問から生まれたとしても、それによって「しに(死に)」が現実化する「い」(動態進行。それは宇宙の歴史や生命の歴史がそこに現れている動態進行)がある、という答えしかでなかったということです。

『古事記』歌謡32にある「いのちの全(また)けむ人」は、生きている人、ということ。この歌謡32は倭建命(やまとたけるのみこと)が体力が衰弱し死ぬ少し前の歌です。この歌では、生きている人は熊樫(くまかし)の葉を髻華(うず)に挿せと言っています。自然の恵みを受け仰ぎ喜べ、ということでしょうか。だとすると、「命短し恋せよ乙女」を思わせるような歌です。