「いなり(い成り)」。「い」は進行感(それゆえの持続感)を表現します。「いなり(い成り)→いなり(稲荷)」は進行的・永続的に成る(たとえば穀物その他の農作物が)、の意。豊かになり続けること。ある種の神的効顕が「いなり(稲荷)」と表現されますが、その効顕は豊かになり続けること(「五穀豊穣」という言葉で象徴される)が基本であり、時代の変遷とともにその効顕は商業的・産業的繁栄にもなっていきます(下記※)。その効顕は豊かになり続けることであることから、「いなり(稲荷)」は「うか」の神(下記※)の現実的現れの状態になります。

ちなみに、醤油や甘味料で甘辛く煮た油揚げに酢飯をつめた食べ物は天保年間(1830から48年)に名古屋で生まれ、これが大阪方面へ行き「しのだずし(信太寿司)」と呼ばれ(この名は油揚げと狐の縁であり、大阪・和泉市には、昔、狐で有名な「信太(しのだ)の森」がありました:歌舞伎「葛(くず)の葉(蘆屋道満大内鑑)」)、さらに江戸へ行き、狐が神の遣わしと言われる稲荷信仰の影響でこれが「いなりずし(稲荷寿司)」と言われるようになりました。江戸でも「しのだずし」とも言われたのですが、稲荷信仰にかけて売った辻売の影響は大きく、その名が一般的になりました。

「うか」の神や稲荷信仰と狐(きつね)の関係はよくわかっていませんが、「きつね」→「きつにゑ(きつ荷餌:きつい・効果過剰なほど(倉があふれ破壊しそうなほど。もういらないというほど)みっしりと密集した荷となった食べ物(稲:稲荷))」という語呂合わせによる俗信でもあったのでしょうか。伊勢神宮の内宮に「御稲御倉(みしねのみくら)」というものがあり、ここに坐すのが「うかのみたま」です。これは(神田の)稲の倉です。つまり「うかのみたま」は倉にも関係している。「倉稲魂 此をば宇介能美拕磨(うかのみたま)と云ふ」(『日本書紀』:スサノヲノミコトが追放された後の第七の一書)。倉には荷が入り、そこから荷が出ます。稲荷寿司と狐の関係は、これはもともと辻売りの商品であり、その商品名を考えた時、それが狐(きつね)色だったから、ということでしょう。狐と油揚げの縁はそれゆえでしょう(ただし、前記・「信太(しのだ)の森」の伝説の狐は白狐。この白狐が妻となって安倍晴明が生まれたそうです)。

※ 21世紀の現代では、商業系・産業系(金融系の人も来るでしょうけれど)、さらには観光系、の稲荷は繁栄しているのですが、地方の産土(うぶすな)にあるような、古代以来の、五穀豊穣系・農業系の稲荷は衰退しているように思われます。

※ 「うか」の神は幸(さち)をもたらす神です。それが本質であって、倉の神が本質というわけではないです。物的幸(さち)は倉に保管されたので倉の神のような印象が生じたということです。