◎「いなうしろ(枕詞)」の語源

「いなはふしろ(否這ふ代)」。「いな(否)」は拒否を表現しますが、この場合は、他からの拒否圧力(禁止)があること、自己拒否(禁止)、を意味します。「はふ(這ふ)」は何かが感じられること。禁止が這ひます。「しろ(代)」は、何かと等価なそれに代わる何か。禁止情況にあるそれと等価なそれに代わる何か、とは、禁止があるからこそ生じ、強まる、それに対する想い、それを『彼(か)は…』(あれは…)と想う思いです。そしてこの「いなはふしろ(否這ふ代)→いなうしろ」がその『彼(か)は…』、それと同音の「かは(川)」、にかかります。「いなうしろ」は「かは(川・河)」にかかる枕詞ということです。この枕詞は、たぶん、普段会うことは禁止された情況におかれた二人が年に一度だけ会う七夕の伝説に関連してうまれたものでしょう。『万葉集』でも七夕の歌の中で用いられています。「牽牛(ひこほし)は織女(たなばたつめ)と天地(あめつち)の別れし時(とき)ゆいなうしろ(伊奈宇之呂)河に向き立ち…」(万1520:かは(河)・かは(彼は…、と何かを憬れ想う思い))。

似た表現に「いなむしろ」があります。

 

◎「いなむしろ(枕詞)」の語源

「いなむしろ(否む代)」。「いなみ(否み)」は拒否を表現しますが、この場合は、自己拒否、禁止情況にあることを表現します。全体の意味は「いなうしろ」にほぼ同じです→「いなうしろ(上記)」参照。この枕詞も「かは(川・河)」に掛かります。かかり方は「いなうしろ」に同じ。「いなむしろ川(かは)沿(そ)ひ柳(やなぎ)水(みづ)行(ゆ)けば…」(『日本書紀』歌謡83)。

この語は、原意が深すぎたのでしょう、「稲筵(いなむしろ)」(稲藁で編んだ筵(むしろ))と解され、何かに憬れるような思いは残しつつ「しき(敷き・及き、など)」や「ふし(伏し)」にかかるようになります。「いなむしろ敷きても君を見むよしもがも」(万2643)。

田で一面に稲が倒れ伏している状態も「いなむしろ (稲筵)」と言います。