「いつはあり(何時は有り)」の四段活用動詞化。「いつ(何時)」はあるが「いつ(稜威)」はない、ということ。たとえば、Aがある意思を表明したり、ある意思で約束したりしたとします。しかしその意思が実行されず、約束は果たされず、その意思が現実化されない。すると、現実化はいつ(何時)なのだ、という状態になります。それはただ「いつ(何時)」だけがある状態になる。そこには、その意思・その言葉には、「いつ(何時)」はあるが超越的影響たる(神聖な権威たる)「いつ(稜威)」はない。Aの意思・言葉には「いつ(何時)」はあるが「いつ(稜威)」はない。それが「いつはあり(何時は有り)→いつはり」。この慣用的表現が名詞化し、そして動詞化もした。すなわち、動詞「いつはり」は意思・言葉を現実化しないこと、現実化されない意思・言葉を表明すること。その意思・言葉に神聖な超越的権威たる「いつ(稜威)」がないこと。名詞「いつはり」は表明された現実化しない・されないその意思・言葉。
「臣(やつかれ)が兄(このかみ)兄猾(えうかし:人名)の逆(さかしまなるわざ)をする状(かたち)は…………潜(ひそか)に其(そ)の兵(いくさ)を伏(かく)して、…殿(おほとの)の内(うち)に機(おし:獲物を圧死させる罠)を施(お)きて……饗(みあへたてまつ)らむと請(まを)すに因(よ)りて……願(ねが)はくは此(こ)の詐(いつはり)を知(しろ)しめして善(よ)く備(そな)へたまへ」(『日本書紀』神武天皇即位前・戊午年八月)。
「偽(いつはり)と思物(おもふもの)からいま更(さら)にたがまことをか我はたのまむ」(『古今集』:いつはりとは思いながら、またここで言うのか…、私がたのみにしようとするのは誰のまことなのか。「ものから」は「ものながら」と読み変えられます)。
◎ついでに「いづみ(泉)」の語源
「いでゐみ(出で居水)」。「でい」が「づ」の音(オン)になっています。出てゐる(居る)水(のあるところ)、の意。「み」はその一音で「みづ(水)」を表現しました。「みなも(水面)」「たるみ(垂水):水流の、水が落下しているところ」「みくさ(水草)」等。