「いでいれ(出で入れ)」。「でい」が「づ」の音(オン)になっています。「いで(出で)」は脳に出る。脳に現れる。すなわち認めたり(認知したり)、思い浮かんだり(記憶が再起したり)、分かったり(判断が成立したり)することが「いで(出で)」と表現されました。「いれ(入れ)」はそれらの内容をどこかへ(またもとのところなどへ)入れてしまうこと、無効化してしまうこと(また出ることもあるかも知れない)。たとえば「いでいれのA→いづれのA」と言った場合、それは、認められ無効化され(また認められるかもしれない)A、Aは出ていないが出るかもしれない、と言っており、Aに関し選択状態にあることが表現され伝わります。「いづく」は不明の場所を表現し、「いづら」はその不明の所在場所も含めた不明の状態も表現し、「いづれ」は選択状態にあることが表現されます。つまり「Aはいづく」が「Aはどこ?」なら「Aはいづら」は「Aはどうしたの?」で、「Aはいづれ」は「Aはどれ?」です(ただし、空間的位置の選択状態にあり「Aはどこ?」にもなり得る)。
「(鳥の声の)いづれをか分きて偲(しの)はむ」(万4089:どれを格別に…)。
「雪に身内は冷えぬきて顔見ぬ内に消ゆる身と、泣音もいづれ弱げ也」(「浄瑠璃(八百屋お七)」:どのような判断選択をしても)。
この選択不明性は世の中の様々なものやこと、時間的に変動していく(過去において変動した)様々な事態・状態に関する選択不明も表現し、「いづれまた」は選択不明な時、そのときどうなっているか分からない状態で、を意味し、「いづれそうなる」も選択不明な時、そのときどうなっているか分からない状態でそうなる(どういう時どういう状態の場合はならないという選択は不明でそうなる)。「いづれとなく」は選択できない。「四人ながらいづれとなく高き家の子にて」(『源氏物語』)。