「板張り(いたはり)」と「痛張り(いたはり)」がかかった語。「はり(張り)」は呈示するように状況感覚的に何かを現すことですが、「板張り」は板(いた)を現すことであり「痛張り(いたはり)」は痛み、苦痛、労苦を情況感覚的に現すこと。すなわち、「いたはり(労り)」は、痛み、苦痛、労苦を情況感覚的に現すことにより、板を張り人を風雨や外敵から守られた安堵した安らかな状態にしようとすること。「Aをいたはり」はAに関しそうすること。植えた種をいたはればそれが損なわれないよう大事に守り育てる。病気の人をいたはれば看病する。疲れた馬をいたはれば休ませる。民をいたはればこれを守り育てる政策を行う(3)。「Aにいたはり」(これは自動表現になりますが)はAに関し自分が安堵した平穏な状態になろうとしているということであり、苦労する、というような意味になります(2)。自分で自分を「いたはる」ことは病気であることも意味する(4)。自分の評判や社会的評価を考え自分をいたはればそのためのさまざまな工夫や造作をすることになる(5)。社会的に権威ある何かに対し「いたはり」をすればそれはその何かへの功績(その何かが傷つき損なわれぬよう苦労する:このような用い方が「いたはり」の原型であり、それは名詞から広まり動詞にもなったのかも知れません(1))にもなります。
(1)「功名(いたはり)を立つ可(べ)き哲主(さかしききみ)をば求む」(『日本書紀』皇極天皇三年正月)。
(2)「大業(こと:「あまつひつぎ」とも読まれている)にいたはれり」(『日本書紀』舒明天皇即位前)。
(3)「群庶(もろひと)をいたはり万民(おほみたから)を饗育(やしな)ひたまひ」(『日本書紀』欽明天皇二十三年六月) 。
(4)「日ごろいたはる所侍(はべ)りて…」(『宇津保物語』)。
(5)「事事(ことごと)しうかしこげなる筋をのみ好みて書きたれど、筆のおきて(全体的書き方)澄まぬ心地して、いたはり加へたる気色なり」(『源氏物語』:自分への評価を傷つけまいといろいろと工夫している様子だ)。