「いたはひああし(痛這ひああし)」。「ああ」は感嘆・感銘表明。「いた(痛)」は痛み、苦痛、労苦、苦労といったことを意味します(その語源に関しては12月16日)。「いたはひああし(痛這ひああし)」はそれらを感じていることを表明します。それは他者の労苦や苦労を思い「いたはし」と言われることもあり(1)、自分の身が「いたはし」ければ病であったりします(2)。他者やものごとに関し「いたはし」と言われることもあります。他者に関し「いたはし」と言った場合、同情的に苦痛を感じ「気の毒」のような意味にもなりますが(3)、その苦痛から逃れたいという思いも自然に生じ、その他者を守り、大事にする思いが「いたはし」で表現されたりもします(4)。また、ものごとに「いたはし」と言った場合、同情的に「気の毒」のような意味にもなりますが、そのものごとに苦痛を感じそれを避けようとしている、それを惜しんでいる、という意味にもなります(5)。

.「願はくは、大王(おほきみ)労(いたはし)と雖(いへども)猶(なほ)天皇位(あまつひつぎ)即(しろしめ)せ」(『日本書紀』:ご苦労でしょうが天皇位をついでください)。

.「己(おの)が身しいたはしければ……うち臥(こ)い伏して」(万886:この歌は病の人が歌っているわけではなく、その人を思って山上憶良が歌っている)。

.「世を捨つる御身といひながら御いたはしうこそ」(『平家物語』)。

.「とゐ波(突然の波)の塞(ささ)ふる(障害となる)道を誰(た)が心いたはしとかも直(ただ)渡りけむ」(万3335:誰の心をいたはしと思い海を渡ったのか。これは浜で屍となって亡くなっていた人への挽歌)。

.「愚かに医療をいたはしうせむや」((『平家物語』:) 愚かに医療を惜しむだろうか)。