「いそ」は「いしを(い爲を)」。「い」は進行していることを表現します。「を」は状態を表現し(下記※)、「しを(爲を)→そ」は、「し(爲)」に、何らかの動態に、なっていること、すべての動態がその「し(爲)」に向かいそれに埋没していくような状態であることを表現します(この「そ」による「そそき(噪き)」という動詞もあります。「(水を)そそき(注き)」は別の動詞)。その「そ」が、その状態が、進行しているのが「いしを(い爲を)→いそ」。連音によりそれが連続的な、持続的な、動態であることを表現するのが「いそいそ」。つまり、何らかの動態、何かをすること、に埋没したような、専心した、持続的動態になっていることです。「いそぐ(急ぐ)」・「いそがし (忙し)」・「いそしむ(勤しむ)」の「いそ」もこれ。
「履物(はきもの)のものくさげには見ゆれどもいそいそとこそ導きはせめ」(『一遍聖絵』)。
※ 「を」が状態を表現するとは、たとえば、「女を活(い)かし」は「を」は目標を表現しますが、「女を生(い)き」は、女という状態で生き、ということであり、「を」は状態を表現します。これは「を」の後の動詞が自動表現の場合そうなり(「活(い)かし」は他動表現)、「を」をすべて目標で考える現代の日本人には古い表現が分かりにくくなっていたりもします。たとえば有名な「瀬を早み…」。これは「岩にせかるる」と続くわけですが、「早み」(早まること)は自動表現であり(他動表現は「早め」)、これは、瀬の状態で早まっていく、と表現しています。「いそいそ行く」も「い爲(し)をい爲(し)を行く」であり、「行く」は自動表現。