「いささり(不知去り)」。「いさ(不知)」は曖昧で明瞭さがないことを表現するそれ→「いさ(不知)」の項(11月24日)。「さり(去り)」は、「ゐざり(居去り)」という動詞がありますが、この「さり(去り)」は移動すること、平面上や空間内の位置を変動すること、を表現します(どこかへ行ってしまっていなくなることではありません)。ここでの「さり(去り)」もそれ。すなわち「いささり(不知去り)→いざり」は曖昧に、不安定に、動くこと。これにより「いざりび(いざり火)」と言われ、それは、遠望された、夜、海上で漁をする舟に灯された火を表現した。それは不安定に揺れ動いたのです。この表現により、「いざり火」は、「いざる火」(漁をする火)、のようにも解され、「いざり(漁り)」は動詞たる漁をすることとしても用いられるようになった。「海人(あま)のいざりはともしあへり見ゆ」(万3672)のように、単に「いざり」といっただけでも「いざり火」を意味したり、「いざりする海人(あま)家人(いへひと)の待ち恋ふらむに明(あか)し釣る魚(うを)」(万3653:火を明し、とも、夜を明かし、ともとれますが、いずれにしてもこれは夜でしょう)、のように「いざり」には夜の印象があります。そして夜には火が焚かれます。「海少女(あまをとめ)いざり焚く火のおほほしく(不明瞭にぼんやりと)」(万3899)という表現もあります。九州の五島列島から沖縄の八重山にいたる島々では夜の灯火をつけてする漁を「いざり」と言いました。「海原の沖べに灯(とも)しいざる火は明(あか)して灯せ大和島見む」(万3648)。「鮪(しび)衝(つ)くと海人(あま)のともせるいざり火のほにか出ださむわが下念(したもひ)を」(万4218)。これはのちに「いさり」「いさりび」と清音化した言い方の方が一般的になります。清音も濁音も古くからあったのでしょうけれど、古くは濁音の方が一般的だったようです。