◎「いざささば」
「いざさそはば(いざ誘はば)」。「そは」が「さ」になっています。「いざ」は誘う発声。「さそはば」は動詞「さそひ(誘ひ)」(誘うこと)に助詞「ば」のついたもの。「いざさそはば(いざ誘はば)→いざささば」は、さぁ(遠慮なく。ためらわず)、誘えば、誘うなら、の意。『古事記』歌謡43にある表現。この『古事記』歌謡43に酷似した歌が『日本書紀』歌謡35にあり、そこでは「いざさば」は「いざさかば」になっています(下記)。
『古事記』の歌でこれに続く語は「よらしな(余良斯邦)」となっています。これは「いえをらしにや(癒え居らし…、にや)」でしょう。「いえ(ye)を」が「よ」に、「にや」が「な」になっているわけです。「をらし」は「をり(居り)」の尊敬表現。「や」は疑惑を表現します。癒えていらっしゃる(安堵している)のでは…、という表現。「いざささば よらしな」は「さぁ、ためらわず誘えば安堵するのではないのか?」ということ。この歌は応神天皇が、宴席のような場で、大雀命(おほさざきのみこと:後の仁徳天皇。応神天皇の息子)に、ある女性を、娶(めと)れ、とすすめている歌です。ちなみに、この歌には「ほつもり」という語がありますが、これは「ふをつもり(経をつもり)」。「つもり」は「みつもり(見積り)」などにあるそれであり。思量することですが、「ふをつもり(経をつもり)→ほつもり」は経過を思量する、すなわち、今までの経過を見、先の経過をよく考え、慌てず、遅れず、経過をよく見て、ということ。
ちなみに、『古事記』の歌は、記録時意味不明になっているものでも、これはこうにちがいない、と勝手に歌を変えたりせず、伝承されるままに記録されています。
◎「いざさかば」
「いざささかば(いざ誘かば)」。「ささ」が一音になっています。「いざ」は誘う発声。「ささかば」は動詞「ささき(誘き)」(誘うこと)に助詞「ば」のついたもの。さぁ(遠慮なく)誘えば、誘うなら、の意。『日本書紀』(応神天皇十三年)歌謡35にある表現。酷似した歌が『古事記』歌謡43にあり、そこでは「いざさかば」は「いざささば」になっています。どちらも意味は同じようなものです。『古事記』の歌にある「ほつもり」の部分は『日本書紀』の歌では「ふほごもり」になっています。これは「ふふをこもり(経経を凝守り)」。経過経過を固く(しっかり)見守り、の意。慌てず、遅れず、経過をよく見て、ということであり『古事記』の「ほつもり」(上記)と言っていることは同じです。