◎「いくた(幾多)」

「いくつや(幾つや)」。語尾の「や」は疑問を表明します。幾つだろう、どれほどの数だろう、ということです。どれほどの数かわからない、それほど多数の、の意。常にと言っていいほど「幾多」と書かれ、~の、と表現されます。「幾多の困難を乗り越え」。

 

◎「いくだ(幾)」

「いくとは(幾とは)」。「いくだもあらず」は、幾とはもあらず。量的変動をとりたてて「いくら」と言うほどは無い、つまり、さほど無い、ということです。

「真玉手(またまで)の玉手(たまで)さしかへ さ寝(ね)し夜はいくだもあらねば 手束杖(たつかづゑ)腰にたがねて(腰のあたりで杖で身を支え) か行けば人に厭(いと)はえ……」(万804:「いくだもあらねば」は、さほどないのに。つまり「~ねば」は、ないから、という順接ではなく、ないのに、という逆接)。