「いきセワテイ(行き世話体)」。「テイ」が「つ」になっています。「いきセワテイ(行き世話体)」は、進行する世話の体(テイ)、ということですが、「テイ」は「体」の音(オン:漢音。「タイ」は呉音)であり、有様(ありさま)を意味します。「フウテイ(風体)」や「ていのいいことを言う」などの「テイ」です。「世話(セワ)」という言葉は、基本的には、世(よ)の話(はなし(下記※))、世の話(はなし)として言われていること、ということなのですが、人付き合い(これが「世のこと」)として発生する言語活動関係、さらには、そうした人付き合いにおいて発生するもめごと・ごたごたや問題にかかわったり巻き込まれたりしての言語活動関係、さらには活動一般、といった意味にもなり、人の世話をする、と言っただけで何らかの負担を負うことも意味し、問題を処理する人が、世話人、だったりもします。つまり「進行する世話の体(テイ:有様)」における「世話(セワ)」には、「世の話」としてそこにある出来事、というただそれだけの意味ではなく、さらに、世にあるごたごた、もめごと、問題、と意味合いも含まれています。そうした意味合いも含んだ、進行した(経過した)世の話としてのそこにある出来事の有様、が「いきセワテイ(行き世話体)→いきさつ(経緯)」。

「終(つひ)に両家の乱となる。そのいきさつを…爰(ここに)…」、「色の(色ごとの)紛擾(いきさつ)には馴(な)れている…」。

※ 歌舞伎の「世話物(せわもの)」は庶民(町人)の生活において起こる様々な出来事を扱った演目、ということ。「大きなお世話」は、世の話として大げさな言い方、とりたてて問題にするようなことではない、ということ。

 

「いきさつ(経緯)」とは何の関係もありませんがついでに「いききみ(眥み)」。

これは「いききいみ(行き来忌み)」。何かの往来を忌み嫌うこと。これは『日本霊異記』 (上二)にある「眥」の読みとして訓釈に現れている語であり、辞書にも動詞として項目になっていますが、こうした動詞が一般的にあったとは思われません。偶発的にこうした表現がなされたということではないでしょうか。何かの行き来を忌み嫌うということが動詞として一般化するほど一般的にあるでしょうか。『日本霊異記』のこの部分は「はにかみ」とも読まれていますが、「いききみ」の意味がわからず、前後の印象から犬が牙をむいて唸っていそうなのでそう読んだのでしょう(→「はにかみ」の項)。「眥(シ・セイ:にらむこと)」があらわす意味としては「いききみ」の方が近いのではないでしょうか。