◎古来の「いかさま(如何様)」

「いか(如何)」は思考が発動しており、思考が発動すれば疑問も発動します(→「いか(如何)」の項)。「さま(様)」は物事(ものごと)の上辺(うわべ:浮かぶように現れるその現れ)のような意味ですが(→「さま(様)」の項)、疑問も発動する思考発動がありそこに浮かぶように現れるその現れとは、どのようにかその現れ、のような意味になります。それが「いかさま」の意味です。「いかさまに思ほしめせか つれもなき真弓の岡に…」(万167:どのような思考がなされた状態でお思いになってか)。「我いかさまなるわざをせんと、なみだを流しつつおぼしわぶるに」(『浜松中納言物語』:どうしよう…と思ったわけです)。

この「いかさま」が動態を形容した場合、あらゆる思考や疑問が発動した状態でその動態があること、なんとしてもその動態を成し遂げる決意の表れのような表現になります。どうしても、のような意。「いかさま取りて帰り古き人にも見せ、家の宝となさばやと…」(「謡」:なんとしても取って帰り)。

この「いかさま」が自分の考えや思いに関し言われた場合、あらゆる思考や疑問が発動した状態でその考えや思いがあること、確かにそうだという確信性を表現します。どう考えても、のような意。「いかさまこれは平家の公達ぞと思ひ…」(「狂言」:確かにこれは…と思った)。

この「いかさま」が相手の考えや思いに関し言われた場合、その相手の考えや思いに関し自分が確信性を持っていることを表現し、その通りです、おっしゃる通りです、と言っているような状態になります。どう考えてもそうだ、のような意。「『紀の名虎存生なしておいやらば惟喬君のよい後楯でござるになァ』『いかさまなァ』」(「歌舞伎台本狂言」:まったくそうだ)。

 

◎インチキの「いかさま」

インチキ、のような意味のそれです。「いか(如何)」は思考が発動しており、思考が発動すれば疑問も発動します(→「いか(如何)」の項)。この「さま(様)」は敬称たるそれ。敬称は権威に付され、思考が発動し疑問・疑惑が発動している現れに敬称が付されるということは権威への疑問・疑惑を表現しているということです。物事の権威とはその真実性、その確かさであり、この「いかさま」は物事の真実性・確かさへの疑問・疑惑を表現し、それは真実ではない、信頼できる物事ではない、という主張になり、そう主張されるそういう物事も「いかさま」といいます。すなわち、信頼できる物事であるように思わせつつ実態はそうではないこと。「いかさまにかけて佐々木(高綱)は高名し」(「雑俳」:佐々木高綱は源頼朝の側近ですが、その宇治川の戦いにおける梶原景季(かぢはらかげすゑ)との先陣争いを言います(馬の腹帯が緩んでいると景季を騙し先陣の功を取ったと言われます))、「いかさま博打(バクち)」(サイコロその他に仕掛けがあったりし事態を操作する博打)。これは古来ある「いかさま(如何様)」をひねった戯表現のようなものでしょう。つまり、古来の「いかさま」の「さま」は様子・状態という意味なのですが、インチキのそれは敬称の「さま(様)」であり、どういう「様(さま)」だ、偉そうだがそうではないな(ニセモノだ)、ということです。