◎「い(汝)」
意思動態の相手がある場合、「い」(I音)の進行感がその目標を、すなわち相手を、表現することがあります。指示代名詞のような「い」が対話などしている相手へむけられたような表現です。すなわち二人称です。ただし、これはただ意思動態が進行し、対象は何ら具体的に表現されておらず(相手の個別的具体性はなんら考えられず)、相手に対する尊重の乏しい表現です。相手を「まへ(前)」と表現するようなものです。これに「お(御)」がつけば「おまへ(お前)」。「いが命(お前の命)また殆(あやふ)からずや」(『日本書紀』皇極天皇二年十一月:蘇我入鹿(そがのいるか)が山背大兄王(やましろのおほえのみこ):聖徳太子の子)一族を滅ぼした(643年)ことを知り、その父親・蘇我蝦夷(そがのえみし)が言った言葉です。つまり「い」は息子の蘇我入鹿。二年後の645年には「大化の改新」です。
◎「い(睡眠)」
「い」の直線的進行感が眠りの状態へ入って行くことを、すなわち睡眠状態にあることを、表現しました。睡眠は生理的にそういう感覚になるということです。ほとんどが「いを寝(ね)」(熟睡する)という言い方をします。「うまい(熟睡・美睡眠)」(「うま」は形容詞「うまし(美し)」の語幹)、「やすい(安睡眠)」(安らかな眠り)。これは「ゐねむり(居眠り)」の「ゐ」とは関係ありません。
人を基点にした場合、進行には人の内奥へ(内へ)へ向かう求心的なそれと環境へ(外へ)向かう遠心的なそれがあるわけですが、「い(睡眠)」の場合は求心的進行です。「いに(去に)」の場合は遠心的で自分や客観的対象から離れるように進行します。「いき(行き)」はただ進行が客観的に確認されます。
◎「い(網)」
「ゆ(揺)」の変化。「ゆ」と「い」の交替。蜘蛛(くも)の巣や蜘蛛の糸を意味します。蜘蛛の巣は揺れることが印象的だったのです。蜘蛛(くも)が巣を作ることや作られたその巣を「いがき(網掛き)」と言います。多くは「蜘蛛(くも)のい」と言います。