「あ(彼)」は、「あり(有り)」の「あ」に現れる「あ」の音(オン)の全感・完成感が客観的に特定性・個別性なく存在感を表現しました。全的な完成感が個別性・具体性のない存在感を表現したということです。「あれ(彼れ)」、「あの(彼の)」、「あなた(彼方)」、「あしこ(彼処)」、「あそこ(彼其処)」、「あち(彼方)」、「あちら(彼方)」などの「あ」です。この、「あ」による特定性・個別性のない存在感の表現は、相当に古くからあるのではありましょうが、「あり(有り)」や「あて(当て)」の影響を受けつつの後発的な、発生としては俗語的な、ものです。特定性・個別性のない、そして遠望感のある、情況にあるものの古くからの表現は「か」の音(オン)による「かれ(彼れ)」ですが、「あれ(彼れ)」という表現は平安時代(900年代頃)の、子供が言った言葉をそのまま書いたものの中にあります(『枕草子』152の「あれ見せよ」なる幼児の言葉)。

 

「れ」は「らへ」。「ら」は情況を表現します。「へ」は助詞にあるそれであり、方向性を表現します。「Aらへ→Aれ」という表現により「Aら」にある情況(その情況にある何か)への方向感にあることが表現されます。たとえば「かれ(彼れ)」の場合、それは「から(彼ら:彼(か)の情況やその情況にるもの・こと)へ」であり、想的で特定性・個別性のない情況そうした情況にあるものやことの方向にあること(それを指し示していること)、が表現されます。この「れ」は「かれ(彼れ)」、「これ(此れ)」、「それ(其れ)」、「どれ(何れ)」などにもあるそれです。