「あわややつり(泡やや吊り)」。「あわやや」は「あやし(怪し)」(このブログでは2019.07.05)の語幹に同じであり、泡が次々と浮かんでくるように疑惑がわいてきていることを表現し、さらには知が及ばず判断できない状態になっていることを表現します。「つり(吊り)」は同動することであり、「連り」と書いた方がわかりやすいでしょうか。動詞「つり」は「魚をつる」といった用い方が一般的ですが、狐を餌などで誘い捕獲することも「つる」と言い、気をもたせたり誘ったりすることも「つる」と言います。「あわややつり(泡やや吊り)」―疑惑が沸き、さらには知が及ばず判断できない状態になり何かを同動する、とは、何かを、信じがたいような、本当にあんなことがありうるのか、と思うような同動のさせ方をすること、どうなってんだかわからない、という状態でつる(同動させる)ことです。
「三郎主は細工ならびに木の道の者なり……故に十指のあやつりによりて一家の稔(にぎはひ)を致す」(手先の技術(手先の同動のさせ方)が見事だったのです)。
「はかなくひきわたす筆のあやつりまで、世にたぐひなく打ちふるまひ」(書道が見事だった)。
また、知が及ばず判断できない状態で人に気をもたせたり誘ったりその気にさせたりした場合、人を巧みに誘導し思うままに動かすことも意味します。「人をあやつる」。
自分自身を巧みに動かすことも言います。「息のあやつり絶えぬれば」。