◎「あや(文・綾)」
「あえわ(肖え輪)」。「あえ(肖え)」は『音語源』の、あるいは以前の投稿(2018.10.09)の、その項。「あえわ(肖え輪)」は同じ形態の輪が幾重も重なっている印象。一点から同心円状に広がっていく幾重もの輪です。原型はたぶん水紋や指紋・掌紋の印象。「水の上(へ)にあや織りみだる春の雨…」。木の木目(もくめ)を「あや」ということもあります。目を惑わすような複雑な情況・模様、(それを生み出す)技巧、といった意味にもなります(→「言葉のあや」)。複雑な技巧の、それゆえに美しい、織物を「あやおり(綾織)」や「あやおりもの(綾織物)」といいます。また、それは相互に「あえ(肖え)」(相似)の関係にある線状の模様のイメージを基本としていることから、全体的な形象秩序の中にある形象、という印象が生じ、部分的形象(情況)が全体的形象(情況)を表現することも「あや」といいます。「などて寝られざらむ。もしあややある」。これは、寝られないという、情況全体の中での部分的情況にそれを秩序として取り込んでいる(自分に未知の)何か全体的な情況があるのではないか、と言っています。関連する語で「あやなし」があります。
◎「あやなし」
「あやなし(文無し)」。その「あや(文)」が模様(肯定され褒められる美しい模様(さらには、心ひかれるものとして目にとまる何か(それがなければ無地)))、工夫・技工(その模様を生み出した努力)、整った考えの筋道(それがあるから美しい模様が現れた)といったことを意味し、「あやなし」はそれらが無い。「あやなきただきぬ(徒衣)」(模様がない。工夫や技工がない衣)。「春の夜の闇はあやなし梅の花…」「くれなゐの花ぞあやなくうとまるる」(整った考えの筋道が成り立たない)。「思へどもあやなしとのみ言はるればよるの錦の心ちこそすれ」(『後撰集』)。
◎「目もあや」という表現があります。これには「めもあやなる光」といった表現もあるのですが、「あや(文・綾)」ではなく、疑惑を感じ確信がもてない「あや」による、目で見ても現実と思われない、という意味のそれもあります。「我先にと走り出で、調度ども運び騒ぎ、くづれ出づる気色ども、いとあさましく、めもあやなり」。「めもあやなる光」の「あや」も、どちらともとれるのですが、「あや(文・綾)」ではないでしょう。