「アッパイあれ(圧拝有れ)」。「イ」の脱落。「拝(ハイ)」は頭を下げたり体をかがめたりして人などに敬意を表すことですが、「アッパイ(圧拝)」は自分を上から圧(お)すように強く力を込めそうすること。現実にそうするわけではなく、そのような気持ちになる。「あれ」は、「あり(有り)」の、命令ではなく、已然形。それも、…ではあるが…といった判断未了を表現するそれではなく、~であれ(それ以外ではない)という強意表現のそれ。すなわち、「圧拝あれ(それ以外ではない)」は、まったく強く力を込めて拝するものだ、ということであり、深く感心したり感銘を受けたりしている心情を表現します。すべてが「あっぱれ。でかした」のように褒めているとは限りません。ただ感銘を受けています。「あつぱれこの世の中は、ただ今乱れて、君も臣もともに滅び失せんずるものを」―これは『平家物語』巻五「文覚流され」にある僧・文覚の言葉ですが、諸行無常の世、その背後にある大いなる力、のようなものに感銘を受けています。「露霜は消えかへりてもありぬべしあはれ命をまつ虫の鳴く。……このあはれはあっぱれと云ふ心也」―運命的な自然の中にある生命の奥行きの深さに感銘を受けていいます。「あっぱれ剛の者かな」。「天晴れ(あまはれ)」は当て字ですが、この表記の影響で空が晴れ渡ったような思いになることが「あっぱれ」でありそのように用いた人もいたかもしれません。