古くは「あたし」と清音でも言いました。「あてああしひ(当てああ廃ひ)」の音変化。「あて(当て)」は期待や思惑。「ああ」は嘆声ですが、この場合は悲嘆です。「しひ(廃ひ)」という動詞は機能不全や機能不能を表現します。「あてああしひ(当てああ廃ひ)あだし」は期待や思惑が悲嘆的に機能不全になること。「あだしA」は、期待や思惑が全く無駄だった、無効になってしまっている何かであることを表現します。期待や思惑が悲嘆的に失われてしまっている何か、ということです。濁音化は「あだ(徒)」の影響でしょう。「あだし時(とき)」(期待外れの時)。「あだし国(くに)」(期待や思惑にない無関係な国)。「あだし心(こころ)」(期待・信頼に背き思いを裏切るような心)。「あだし契(ちぎ)り」(期待・信頼できない約束)。「あだし野(の)」(すべての期待や思惑がむなしくなる野。世の中がむなしくなる野。火葬を行う野を意味します)。

形容詞として用いた人もいたようです。「それにんがい(人界:人間世界)のあだしきは」。