「あさみああし(浅みああし)」。
動詞「あさみ(浅み)」は「あさ(浅)」の動詞化。空虚な心情状態になること。驚き呆れ言葉も失うような状態になることですが、それほどに見事な素晴らしい体験をした場合にも、それほどひどい、うんざりするような体験をした場合にも言います。「りほう(吏部)のふみを、いとに(似)なく作りいだして奉れる時に、一天下の人みないひあさみて、そのたび、俊蔭一人進士になりぬ」(人々はあまりのすばらしさに呆気にとられている)。「これを見る人、あざけりあさみて」(あまりのひどさにあきれている)。古くは「あさめ」という他動表現もあり、人を虚無化させ不活性化させることですが、意味は「いさめ(諌め)」に似ています。
「ああ」は感嘆発声。嘆声が出るほど極度に「あさむ(浅む)」心情状態になっていることを表明します。要するに、「あさみああし(浅みああし)→あさまし」は心情が空虚になることに嘆声がもれるほどの体験をしているわけですが、上記動詞「あさみ(浅み)」のように、それほどにすばらしい体験をしている場合にもそれほどにひどい体験をしている場合にも言いました。「取がたき物をかくあさましくもて来ることをねたく(ねたましく)思ひ」(「もて来ること」が不可能と思われるようなものなのです)。「ひたすら世をむさぼる心のみふかく、もののあはれも知らずなりゆくなん、浅ましき」(ひどく見苦しい)。「あさましき悪事」(ひどい悪事)。しかし、後世では後者の系列の用い方が一般化していき、品性がひどく見苦しく卑しい、のような意味になっていきます。