今年は天皇の譲位すなわち即位があるそうですので、『「天皇」の語源』をアップします。また、古代天皇の即位時期一覧表を添えます。これは詳しくお読みになる必要はありません。全体をざっと眺め『なんで古代天皇の即位は「春正月朔(はるむつき ついたちのひ)」ばかりなんだ』と思っていただければそれで良いです。これは天皇が即位するとはどういうことなのか、その意味を示唆するものです。ちなみに、本日二月五日は旧・睦月一日(一月一日)、春正月朔・すなわち正月元日です。

 

「天皇」の語源

『「天皇」の語源』です。かと言って、「テンノウ(天皇)」は言語音として中国語ですから、ここでは扱いません。

 

※「テンノウ(天皇)」は「テン(天)」「ワウ(皇・王)」の連音。「皇」は呉音「ワウ」、漢音「クヮウ」、中華人民共和国音「ホアン」。当初(多分、推古朝ころ)は「天皇」と書いて「すめらみこと」と読んでいたのでしょう。この表記が「テンノウ」とも読まれ習慣化した中国語音による呼称が「テンノウ」です。中国にも「天皇」という語はありますが、それは「すめらみこと」や「すめろき」は意味しません。

 

「天皇(テンノウ)」は日本語では正式には「すめろき」と言います。尊称は「すめらみこと」。「おほきみ(大君)」という通俗的な呼称も古代にはありました。

「すめろき」は「すめらおき(すめら置き)」の音変化。

動詞「おき(置き)」は、何かがそこに在ることやあらせることを意味します。「Aをおく」という他動表現ではなく、「Aがおく」という自動表現もあります→「霜がおく」。「すめろき」の場合は自動表現です。何者かによって置かれる他動表現ではありません。「すめら」がおく、そこに在る、のです。

つまり「すめろき」は「すめら」がそこにおいているもの、「すめら」が在るもの、という意味です。

「すめら」は、「すめるは(為見る時間)」です。

「す」は動態を表現する「す(為)」です。息をする、音がする、などのそれです。この「す(為)」は時間進行している今の動態、全動態、人の誕生から死、生命の誕生から死、自然の変化、宇宙の誕生と死といったあらゆる動態を表現します。

「める(見る)」は動詞「み(見)」に完了の助動詞「り(る)」がついたものの連体形です。なぜ「み(見)」がE音の「め」になるのかに関しては、長くなりますので書きませんが古代の語法ではそうなります。これは、受け身・自発・可能・尊敬の助動詞「る(れ)」が尊敬を表現するのと同じ理由で敬(うやま)いを表現しています。「すめる(為見る)」は「今(そして将来)しているを見る(の尊敬表現)」のような意味になります。

語尾の「は」は、「葉」なのですが、時間を表現します。なぜ「は」が時間を表現するのかに関しては下記※。

つまり、「すめるは→すめら」とは、動き、あらゆる動態を見る時間、宇宙の全運動、あらゆる生々流転を見る時間、というような意味です。時間が人格を得たようにすべてを見ています。これは「かみ(神)」ではありません。「かみ(神)」という言葉は別にあります。このような概念があるのは世界中でただ日本だけです。他に例はありません。

霜が自然にわきそこに在るようにその「すめら」がそこに顕(あらは)になるのが「すめらおき→天皇(すめろき)」です。

動態の流れで時間が認識されるわけですから、時間が動態を見ているということは時間が時間を見ているというような表現であり、それは虚空にいるように時間を超越しています。

時間を超越しているこの「すめろき」は、その生(あ)れの当初は、それにより人の世と、霊の世のような神々の世を行き来できる自然にそこに現れた生命ある装置のような、異なった時空への出入り口たる時空に空いた穴のような、そんな存在だったのかもしれません(モンスターブラックホールの中心を思い出します。これは異なった時空をつなぐ時空に空いた穴です。そしてあらゆる光が集中していきとんでもなく眩しいところ)。それがいつからあるかに関しては、可能的には(そのときは「すめろき」とは言われていないわけですが、動因として可能的には)知的生命体たる人の誕生とともに、ということでしょう(認識が始まるとともに自然発生したということです)。人が生まれる前からある、というのは欲による虚言(假話)です(「假話」は中国語)。

そうした意味の「すめろき(天皇)」が生まれたのが―それまでなかった「すめろき」が初めて言われたのが―いつだったのかは分かりませんが、それが、二世紀か三世紀ころに、現実的な(いわば俗世の)統治に影響を与え始めたということはあるかもしれません。崇神(スジン)天皇(第十代)の事績に書かれる「はつくにしらしし」とはそういう意味かもしれません。「すめろき(天皇)」が生(あ)れることも「はつくにしらす」ではありますが、崇神天皇の事績にあるそれはそういう意味かもしれません。『古事記』でも『日本書紀』でも初期のころの天皇に事績が何も書かれないのもそれゆえでしょう。事績とはのちの天智天皇や天武天皇が行ったような現実的な統治行為だということです。

※「は」がなぜ時間を意味するかに関しては『音語源』(http://kaitahito.world.coocan.jp/にあります。購読自由です)の「はは(母)」の項。

 

付録・天皇の即位時期

付録として、昔の記録にある天皇の即位時期を一覧表にします。

ここでは、たとえばAという天皇が九月に即位し、次の年の一月からA天皇元年といわれるようなことも起こっています。

 

神武天皇  春正月朔(はるむつき ついたちのひ) 天皇即帝位(すめらみことあまつひつぎしろしめす) 是歳為天皇元年
綏靖天皇  春正月朔 即天皇位 (神武天皇の)四十有二年春正月朔皇太子
安寧天皇 七月 太子即天皇位 (綏靖天皇の)二十五年春正月朔皇太子  即位したその年が元年に。
懿徳天皇  二月 皇太子即天皇位 (安寧天皇の)十一年春正月朔皇太子 (安寧天皇の)三十八年十二月(安寧)天皇崩御 元年の春二月に即位
孝昭天皇  春正月朔 皇太子即天皇位 (懿徳天皇の)二十二年春二月皇太子
孝安天皇  春正月朔 皇太子即天皇位 (孝昭天皇の)六十八年春正月朔皇太子
孝霊天皇  春正月朔 太子即天皇位 (孝安天皇の)七十六年春正月朔皇太子
孝元天皇  春正月朔 太子即天皇位 (孝霊天皇の)三十六年春正月朔皇太子
開化天皇  十一月 太子即天皇位 (孝元天皇の)二十二年春正月朔皇太子 十一月即位し次の年が元年春正月と言われる。
崇神天皇  春正月朔 皇太子即天皇位 (開化天皇の)二十八年春正月朔皇太子
垂仁天皇  春正月朔 皇太子即天皇位 (崇神天皇の)四十八年四月皇太子・同年春正月に夢の祥により皇太子決定
景行天皇  七月 太子即天皇位 (垂仁天皇の)三十七年春正月朔皇太子 元年の秋七月に即位す。因以改元(よりてはじめをあらたむ)
成務天皇  春正月朔 皇太子即位 (景行天皇の)五十一年八月皇太子(成務紀には四十六年とある)
仲哀天皇  春正月朔 太子即天皇位 (成務天皇の)四十八年三月皇太子
神功皇后
応神天皇  春正月朔 皇太子即位 (神功皇后の)摂政三年春正月朔皇太子
仁徳天皇  春正月朔 大鷦鷯尊天皇位 (応神天皇の)四十年、皇太子は他に有ったが後に譲る状態になる
履中天皇  二月朔 皇太子即位 (仁徳天皇の)三十一年春正月皇太子 元年の春二月に即位
反正天皇  春正月朔 儲君即天皇位 (履中天皇の)二年春正月朔皇太子
允恭天皇  冬十有二月 乃即帝位 五年春正月反正天皇崩御  皇太子ではないが群臣に勧められ 元年冬十二月即位
安康天皇  十二月 穴穂皇子即天皇位 (允恭天皇の)四十二年春正月允恭天皇崩 允恭天皇二十三年に太子(ひつぎのみこ)となった・木梨軽皇子失墜 十二月即位し、次の年が、元年春二月、と言われる
雄略天皇  十一月 即天皇位 前天皇「眉輪王」により殺害 十一月即位し、次の年が、元年春三月
清寧天皇  春正月 陟天皇位 (雄略天皇の)二十二年春正月朔皇太子 この清寧天皇は三年(仁賢紀では二年)四月に仁賢を皇太子に、顕宗を皇子にした
顕宗天皇  春正月朔 即天皇位
仁賢天皇  春正月朔 皇太子即天皇位

武烈天皇 十二月 陟天皇位 (仁賢天皇の)七年春正月朔皇太子 十二月即位し次の年が元年春三月
継体天皇  二月 即天皇位 応神天皇の子孫・春正月に大連(おほむらじ)らが迎えに行く 二月に即位するがその前から元年春正月(はじめのとしはるむつき)と言われている。二十五年二月安閑天皇へ譲位継承した?(安閑天皇紀ではそのようにも読める)
安閑天皇  二月 (継体天皇の)二十五年春二月「男大迹天皇(継体天皇)立大兄為天皇」(安閑紀)  (継体天皇の)七年十二月皇太子 安閑天皇嗣無し 二月天皇になる? その年から、元年春正月と言われる
宣化天皇  十二月 使即天皇之位焉 群臣に勧められ二年十二月前天皇崩御のその月に即位 十二月即位し、次の年から元年春正月 四年春二月に宣化天皇崩。
欽明天皇  十二月 即天皇位 十二月即位し、次の年から元年春正月
敏達天皇  四月 皇太子即天皇位 (欽明天皇の)十五年春正月朔皇太子 元年の夏四月即位と言われる
用明天皇  九月 天皇即天皇位 九月に即位し、次の年から、元年春正月と言われる
崇峻天皇  八月 即天皇位 八月即位し、次の年から、元年春三月と言われる
推古天皇  十二月 皇后即天皇位 (崇峻天皇の)五年十一月崇峻天皇、馬子に殺される  冬十二月即位し、次の年から元年春正月
舒明天皇  春正月朔 即天皇位
皇極天皇  春正月朔 皇后即天皇位
孝徳天皇  六月 升壇即祚 皇極四年が大化元年に
斉明天皇  春正月 即天皇位
天智天皇  春正月 皇太子即天皇位
天武天皇  二月 即帝位 即位した二月が天武二年になっている
持統天皇  春正月朔 皇后即天皇位
(以上『日本書紀』より)
(以下は『続日本紀』より)
文武天皇  八月即位 十一年八月「禪天皇位於皇太子」
元明天皇  七月即位 文武慶雲三年「禪(ゆづ)る意思」
元正天皇  九月即位
聖武天皇  二月即位
孝謙天皇  七月即位
淳仁天皇  八月即位
称徳天皇  (孝謙天皇重祚) 春正月朔即位
光仁天皇  十月即位
桓武天皇  四月即位 (光仁天皇が)「山部親王(桓武天皇)尓天下政波授賜」