『日本書紀』に「豊浦宮(とゆらのみや)に殯(もがり)して褒那之阿餓利(ほなしあがり)をなす」(仲哀天皇九年)という叙述があります。この「あがり」は「あがり(上がり)」。これは「あ」の全感・完成感による表現であり、この場合の完成とは現実的俗的世界から魂の世界へ移行することです。「ほなし」は「火無し」でしょう。つまり、火葬なしに、ということです。関連して「もがり(殯)」「あらき(殯)」(そういう言葉があるということだけ覚えておいてください。いずれ取り上げられます)。
『日本書紀』に「豊浦宮(とゆらのみや)に殯(もがり)して褒那之阿餓利(ほなしあがり)をなす」(仲哀天皇九年)という叙述があります。この「あがり」は「あがり(上がり)」。これは「あ」の全感・完成感による表現であり、この場合の完成とは現実的俗的世界から魂の世界へ移行することです。「ほなし」は「火無し」でしょう。つまり、火葬なしに、ということです。関連して「もがり(殯)」「あらき(殯)」(そういう言葉があるということだけ覚えておいてください。いずれ取り上げられます)。