「あか(赤)」の動詞化。赤くなること。活用語尾のR音は情況を表現します。何かが情況に動態としてあることを表現します。それは何かがあることを表現する副次的な働きをする音(オン)であり、その「なにか」がない限り働きません。日本語の動詞にはR音で始まる動詞は一つもありません。ここでは「あか(赤)」が情況に動態としてある、作用している、ことが表現されています。この情況が内情的になるとY音になります。「みゆ(見ゆ)」と「みる(見る)」は動詞としてどちらもありますが、違いは「み(見)」の動態が「みゆ」は主観的「みる」は客観的に表現されているということです。受け身・可能・自発・尊敬の助動詞の「ゆ」「らゆ」・「る」「らる」の違いなどもそうです。「沫雪に降らえて咲ける梅の花」「雨に降られ」。「さはやか(爽やか)」「さはらか(爽らか)」の違い、つまり「~やか」と「~らか」の違い、などもそれです。「髪の裾少し細りてさはらかにかかれる…」。歴史的には「かろやか(軽やか)」「かろらか(軽らか)」という表現などもあります。

『枕草子』冒頭にある「春はあけぼの。やうやう白くなり行くやまぎはすこしあかりてむらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」の「あかり」は「赤り」(赤くなって)か「明り」(明るくなって)か議論があります。