この言葉は古代と後世では意味が変わります。
「あからさま」は「あからさま(あからさ間)」。「あ」は、「あな」(これは後世「あら」が取って代わります)という驚きその他、衝撃的情動発起を表現する発声がありますが、そこにある「あ」です。驚きの発声です。「から」は、交感情況(関係性)を表現します→『音語源』※「から」の項。「あから」は、「あ」の交感情況の、「あ」の関係の、ということですが、要するに、「あ」と驚くような、ということであり、突然であったり、ほんの一瞬であったりすることを表現します。「さ」は、「それ」のように、漠然と何かを指し示す「さ」。S音の動感とA音の全感、それゆえの情況感が記憶想起的に言語主体の何かへの関与を表現しそれが他者へは具体性の無い何かを指し示していること、何かの指示(指し示し)、として伝わります。「ま(間)」は、時間的や空間的な限定的域です。「あからさま(あからさ間)」は、唐突にそうなりそして消えていくような、時間的にほんの短い間(ほんの少しの間)、そして非常に軽い印象の間(かりそめの間)、を表現します。
「あからさまに斬るべし」―すぐに、ほんの一瞬のうちに、斬れ。あっという間に斬れ、ということです(これは中大兄皇子(後の天智天皇)たちが蘇我入鹿を襲撃した際の、つまり大化改新(西暦645年)の際の、記録です))。これはあからさまに、人に見られてもよい状態で、斬れと言っているわけではありません。漢字では「急須」と書かれます。
「あからさまと思ひしがすでに五年」―ほんの一時と思ったがもう五年たった。
これらが「あからさま」の本来の意味なのですが、この言葉は、いきなり、初めて(ほんのひととき、かりそめ)、といった用い方もなされつつ(「をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばし…」(これは人に見られてもいい状態で抱いたわけではありません。いきなり抱いた)「あからさまの人に見せば七年の瘧(おこり)も…」(初めての、かりそめの、人)、ほんの小さな間の努力で、簡単に軽々しく、といった意味にもなり(「秘することなればあからさまには申し難し」)、後世、「明ら様」―隠されず誰にも見られるような様子、と受け取られ、そのような用い方がなされるようになりました。「肌をあからさまになし」(井原西鶴・江戸時代)。
※『音語源』はgogen3000の著作物です。語源辞典のような体裁です。
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にあります。購読無料。いつでも誰でも自由です。関心のおありになる方はどうぞ。語を構成する要素になる語の語源をすべて書いていくと非常に長くなり繰り返しも増えますのでこのような書き方になります。