「あきかひ(明き交ひ)」。「き」は消音化しました。この語は古くは「あかひ」と清音でした。
「かひ(交ひ・換ひ・買ひ)」はK音の交感とA音の情況感(その全体感が自分を包む情況感になります)により情況的交感を表現し、情況的交感が感覚的に進行する、感づかれる、ことを表現します。つまり交感(交差感・交流感)が現れるわけです。「飛びかふ鶴(たづ)」「行きかふ人々」。それは交換が生じることも表現します。「馬かはば妹(いも)徒歩(かち)ならむ」(鏡と馬を交換し馬を手に入れたらあなたが徒歩になってしまう)。「ものをかふ(買ふ)」は貨幣との交換の意(原意としてはこの場合も「かふ」は自動表現です。つまり「を」は目的を表現するのではなく状態を表現します)。
「あきかひ(明き交ひ)」は開放感と交感が同時に起こること。開放感が生じるのは罪(つみ:負い目)がなくなるからです。交感が生じるのは罪がなくなることと損害を負うことに交差感・交流感があるからです。すなわち「あがひ(贖ひ)」は損失(金品など)を負担して罪をなくすこと。金品で罪をつぐなうこと。罪があるわけではないが、行為の類似から、自由を失っている他者(といっても原文は亀ですが)を自由にするため金品を提供することなども「あがひ」と表現します。
「中臣(なかとみ)の太祝詞(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へあがふ命も誰(た)がために汝(なれ)」。「はらへ(祓へ)」は後には一般に「はらひ(祓ひ)」と言います。この歌は『万葉集(4031)』にあり「酒を造る歌」という題がついています。「汝(なれ)」は酒であり、財物を費やして罪を贖(あが)ひ命を長らえているのもお前を飲むためだ、ということなのでしょう(もっとも、古くは酒は「たうべ・たべ(食べ)」と言いました)。