「あかれ(散れ)」(一つ一つが他との関係で開放感のある情況で全体が開放感のある情況になること)の他動表現。活用語尾が、たとえばS音(「浮かれ」「浮かし」)ではなく、T音になるのは、動詞「あかれ(散れ)」が客観的な対象を主体とする自動表現であり、その他動表現が思念的になるからです。T音には、助詞「と」を典型例として、思念感があります。思念感とは、想念的作用が働くということです。散(あか)れる(受け身)動態、散(あか)れた動態が思念的に表現され、「散(あか)れた動態」とは、散(あか)れどこかに帰属している帰属感のある(配分され分かち与えられている状態になる)ことです。「伴(とも)の部(べ)をあかち遣(つか)はし」「あかち田(班田):その昔、班田収授法、というものがありましたが、その班田です」。

「あかち(班ち)」「あかれ(散れ)」は「わかち(分かち)」「わかれ(分れ・別れ)」に似た印象を受けますが、「あかち(班ち)」「あかれ(散れ)」は何か全体が多数の小さな部分になりその部分一つ一つ全体が開放感のある状態になる(自動)・される(他動)のに対し、「わかち(分かち)」「わかれ(分れ・別れ)」は何か(A)から何か(B)が一としての独立性を生じ(分離し)拡散的に離れていく状態になること(自動)・そうされること(他動)です。