「はりはひ(墾り這ひ)」。「はり(墾り)」の情況になること。「はり(墾り)」「はれ(晴れ)」といった語は変化出現を表現する(それらの項)。「~はひ(~這ひ)」は「~」の情況になること(→「はひ(這ひ)」の項)。「はりはひ(墾り這ひ)→はらひ」は、感覚的な出現がなされそれはその出現を妨げている何かが取り除かれることによって起こる。「埃(ほこり)をはらふ」。「此(ここ)を用(も)て解除(はら)へ竟(をは)りて、遂(つひ)に神逐(かむやらひ)の理(ことわり)を以(も)て逐(はら)ふ。…………………遂之、此云波羅賦」(『日本書紀』:文末の「逐(はら)ふ」)。
独特な用い方がなされるのは「金(かね)をはらふ」「代金の支払ひ」などと言う場合の「はらひ(払ひ)」であり、たとえば「金(かね)を払(はら)ふ」と言った場合、そこでは「埃(ほこり)をはらふ」ように「金(かね)」が払はれているわけではない。そこで払はれているのは既に生じた、あるいは何かを受けた、あるいは受ける、ことにより生じる、負い目であり債務であり、これが「手前(てまへ):自分の立場」を払ふ、などとも言われつつ(下記※)、そこで起こることは貨幣や紙幣の移動であり、それによりその債務は「はらはれ」、その日常的な印象性によりそれが目的語であるかのような表現がなされるようになった。
※ 「Farai(ハライ), ŏ(ラウ),ŏta(ラウタ). ………………¶ Temayeuo(手前(てまえ)を) farŏ(はらう). Iuʃtificarsʃe de algũa cousʃa ou çafersʃe de cõtas,&c」(『日葡辞書』:この「手前(てまえ)を払(はら)ふ」という表現は、埃(ほこり)を払うように自己の負い目を払う、という意味にも、何らかの自己の資産を払い、それにより、そうなることで負い目が消える何者かにその占有・所有が移動する、という意味にもなる。ちなみに、「Iuʃtificarsʃe de algũa cousʃa ou çafersʃe de cõtas,&c」の部分のDeepLによる日本語訳は「何かを正当化したり、口実を作ったりすること」(つまり、「はらひ」により、負ひ目、という不正がなくなる))。
「復(また)、百姓(おほみたから)有(あ)り他(ひと)に就(つ)きて甑(こしき)を借(か)りて炊(かし)き飯(は)む。其(そ)の甑(こしき)物(もの)に觸(ふ)れて覆(くつがへ)る。是(ここ)に、甑(こしき)の主(ぬし)、乃(すなは)ち祓除(はらへ)せしむ」(『日本書紀』孝徳天皇大化二年三月甲申(二十二日):AがBから甑(こしき)を借り、それで飯を炊き食べた。その際、その甑(こしき)が物に触れ転倒した。するとBがAに「はらへ」を要求し、それをさせた―。この「はらへ」では何らかの財物の所有移転を要求している(ここでは現金はもちいられていないが、後世であれば、金(かね)を相手にわたしそれを相手の物にすることが「はらへ」になる)。これは「はらへ(祓へ)」という下二段活用動詞の例なのですが、「はらへ(祓へ)」は「はらひ(祓ひ)」と四段活用でも言われ(「物の怪などはらひ捨てける律師」(『源氏物語』))、その場合、「はらひ(祓ひ)」と「はらひ(払い)」は、どういう情況でもちいられているかといった違いはあっても、語形としては区別がつかなくなる)。
「前玉(さきたま:埼玉)の小埼(をざき)の沼に鴨ぞ翼(はね)霧(き)る 己(おの)が尾に降りおける霜を掃(はら)ふとにあらし」(万1744)。
「このころの恋の繁けく夏草の刈り掃(はら)へども生ひしくごとし」(万1984)。
「梓弓(あづさゆみ)欲良(よら)の山辺(やまべ)の繁(しげ)かくに妹ろを立ててさ寝処(ねど)はらふも(波良布母)」(万3489:枕詞「あづさゆみ」は一語おいた「やまべ」の「や:矢」にかかっているのでしょう。「欲良(よら)」は地名と思われますが、不明。ただし語頭は「夜(よ)」がかかっている。「しげかくに(之牙可久尓)」は、形容詞「しげし(繁し)」のク語法であれば、しげけくに、になりそうであり、その東国方言とする説が一般ですが、これは、しげきあけゐに(繁(しげ)き明居に)、でしょう。歌意は、幾度も関係はあり、もうそれは明けて果て、馴れてしまっているかのように妹(いも)を立たせ寝処(ねど)にするために草を払っている→これが初めての関係だが、もう二人は長年連れ添った夫婦のように信頼し合っている、ということ)。
「「………」とて、御涙を払ひあへたまはず」(『源氏物語』:払ひあへず、は、払いきれない)。
「ちはやぶる 人を和(やは)すと まつろはぬ 国を治(をさ)むと 一云 拂(はら)ふと(掃部等)」(万199:これは汚れや不純物を払うように払う、ということですが、一般に「和(やは)せ」「治(をさ)め」「拂(はら)へ」と読まれている。天皇が皇子(みこ)にそう命じた、ということなのかもしれませんが、「治(をさ)め」は命令形なら、をさめよ、でしょうし、天皇が皇子にある地域を和(やは)して統治しろ、と命ずるのは無責任でもあり、不自然でしょう)。
「此(これ)を用(も)て解除(はらへ)竟(をは)りて、遂(つひ)に神逐(かむやらひ)の理(ことわり)を以(も)て逐(はら)ふ。…………遂之、此云波羅賦(はらふ)」(『日本書紀』:この「はらふ(逐:波羅賦)」は追放であり、払(はら)ふ、なのですが、これは神の世界の話、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の追放の話であり、「はらへ(祓へ)」の終止形であったとしても不自然さはない)。
「穴の明(あい)た古犢鼻褌(ふんどし)を屑屋にはらツて」(『七偏人』(1857年-):これは売り払っている。江戸時代には穴の明(あい)た古犢鼻褌(ふんどし)でも屑屋は買ったということか)。
「湯へ入る時は一人分(ひとりぶん)十文払(はら)ふ」(『浮世風呂』:入浴料を支払う)。
「犠牲を払ふ」(成果が得られる)。「努力を払ふ」(成果が得られる)。「注意を払ふ」(利や益となる情報が得られる)。「尊敬を払ふ」(社会的有益性や人間的有益性が得られる)。