僕の中にある党派性。

 

人が「客観的にいって」と前置きして話す事柄が、

「客観的」であることは殆どない。

 

ある種の事実は、

ある意味でそれが真実だとわかっていても

認めることができないことがある。

 

宗教の本質、

「我信ず、荒唐無稽なるが故に」

 

これは宗教に限らず

「人が何かを信じる」ことの本質を指している。

 

「人は必ず何かしらを信じている」もので、

 

それは一つの「偏り」であって、

党派性とでもいうべき思考の癖である。

 

僕は、

人は生活の質の向上通じて、

人間性の向上を成し遂げうると信じている。

 

だから、GDPは成長しなければならないし、

平均所得も向上しなければならない。

 

人々が真に豊かな人になるためには、

所得の向上と物質的な平等が絶対に必要である。

 

と考えている。

 

しかし、

これに対する有力な反証も又、僕は知っている。

 

 

おとぎばなしの おうじでも、

むかしは とてもたべらない。

 

ぼくは おうじではないけれど

アイスクリームをめしあがる・・・。

 

僕が100円出せば買えるアイスクリームが

昔の王侯貴族には食べられなかった。

 

このことは一つの事実を指し示している。

 

フランス絶対王政時代のベルサイユ宮殿と、

現代日本の市営住宅、

 

どちらが快適で、健康的であるか?

 

 

 

中世にも現代にも常に存在してきた問題。

 

それは「持つもの」と「持たざるもの」の問題。

 

 

これらの問題は未だ解決したとは言えない。

 

ルイ14世の

資産は現代の貨幣価値で数十億ドルと試算されているが

 

ユニクロの柳井会長のそれは数百億ドル。

 

実に10倍である。

 

17世紀のフランスの平均的労働者の賃金は

100リーブル〜200リーブルで、

現代の貨幣価値でおよそ数千ドル〜数万ドルであった

ことを加味すると、

 

貧富の差は、

広がっているとさえ言えるだろう。

 

・・・けれども生活の質は明らかに向上している。

 

現代人に、

当時の王侯貴族の暮らしを体験させてみよ。

 

数日と持たずに発狂するだろう😂。

 

 

平均所得の向上を伴わなくとも、

時間経過と共に生活の質は向上していく。

 

ということであり、

 

平均所得の向上は必須ではない。

 

ことを指している。

 

だからといって、貧しいものを放っておけばいい。

そんなやつはゴミだから。

 

という考え方には賛同できない。

 

 

結論、僕はコイツの顔がキライ😂。

 

僕の中の党派性。

 

PS

知性を持った人間でも、

心はひかれるが馬鹿げていると

わかっている信仰に半分だけ屈することがある。

 

・・・あるいは、ここにデスノートがあったら、

人を殺すことが(倫理的に)よくないことだとわかっていても

 

多分、(相当数の)名前を書くだろう。

 

それが全く意味のないことだと知っていても。