手洗い場の水。

 

先日、近所の川に行った折、

ふともよおしてトイレに行った。

 

すると、手洗い場の水がMAXで出っぱなしに

なっていた。

 

僕は急いで蛇口を閉めた。

 

・・・なんて無駄なことをする人がいるんだろう。

 

と思い、はたと考える。

 

自分の物となると、何もかも惜しみながら、

一方、

他人の物となると、湯水のように使う人がいる。

 

節制と吝嗇はニラとスイセン。

 

ニラとスイセンは一見似ているが、

ニラは食べられるが、スイセンは毒である。

 

 

公共という概念がない世界では、

 

「自分の物」以外は皆「他人の物」である。

 

このような世界では、一般的な意味で節制を

考えるやつは居なくなって、

 

吝嗇ばかりがはびこることになるだろう。

 

カバの性別が違っていたとかいう記事が

載っていた、天王寺動物園・・・。

 

 

僕は正直、カバの性別はどうでもよかったのだが、

 

この動物園、

元は、公営(市営)だったそうだが、

 

今は、

地方独立行政法人とかいう謎の運営主体に

なっているそうな・・・。

(全国でここだけ)

 

組織変更の理由は長年の不採算。

 

依然、採算は厳しいらしく、

今回のカバの性別の件も、

資金難で検査が遅れたことも影響しているという。

 

この件を取り上げた、

ワイドショーの軽薄な女コメンテーター

(名前など知らんし、特に覚える気もない)が、

 

「動物園は慈善事業じゃないのでね」

 

と薄ら笑いで話していた。

 

・・・?

 

「動物園は慈善事業じゃない」

 

これを是認するとして、

 

では一体、動物園は何なのか?

 

営利事業なのかね・・・?

 

そこをきちんと定義する必要があるだろう。

 

仮に、動物園が、

単なる遊園地と同じ扱いである。

 

というならば、不採算=閉鎖。

 

これでもよろしいだろう。

 

けれども、もし、公益事業であるならば、

不採算こそが正しいということになるだろう。

 

なぜなら、採算性が改善しているということは、

利用者負担が大きいということだから。

 

無論、無駄はよろしくない。

 

水を出しっぱなしにして赤字になっております。

 

これじゃ問題だろうから、適切な節制は

必要だろう。

 

けれども、何がなんでも採算を、利益をとれ。

 

となってしまえば、それはもう節制と言うよりも

吝嗇のたぐいである。

 

・・・問題は目的だからだ。

 

動物園の目的は、色んな人が動物の生態に触れること。

 

そこにあるはずだ。

 

黒字化してしまうほうがオカシイのだ。

 

公共物の全てを私有化スべし。

 

という風に物事を押し進めて来たアメリカ。

 

今や、大学、医療、警察、果ては軍隊までが

民営化されている・・・。

 

それがいいことなのか否か?

 

僕にはわからないが、

 

このテーゼの行き着く先は、

厖大な無駄であると思う。

 

「公共」という概念が消滅した世界では、

 

「自分の物」以外のものは、

「他人の物」である。

 

そこでは共有(共に使う)という

概念がないので、

 

「自分の物」は大切にする一方、

「それ以外の物」は捨て置かれるだろう。

 

・・・テメーの物じゃない、他人のものだからだ。

(知らんがな論法)

 

こうして、手洗い場の水は垂れ流されるだろう。

 

PS

今日は僕は公園の手洗い場の水を止めた。

 

けれども、

僕以外の誰かが蛇口の水を出しっぱなしにし、

又、

僕の前にこのトイレを利用した人が

誰か居たかも知れないけれど、

 

その人は蛇口を閉めなかった。

 

僕はこのことに軽い衝撃を受けている。

 

これ自体は小さなことであるかもしれない。

 

5分、10分水を出しっぱなしにしたとて、

水道局が傾く。

 

なんてことはないかもしれないが、

 

公共物を大切に使うこと。

 

この概念が損なわれようとしているのかも

しれないと思うと、

 

暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

 

 

この種の事件は、今は強い批難の対象とされているが、

仮に、すべてのものが民営化された世界では、

 

単なる窃盗として扱われることになり、

又、窃盗自体が社会的な問題として切り取られにくく

なる恐れがある。

 

完全私有の世界では、

盗みは正当な行為と見做されるし、

(弱者による正当な権利行使)

 

 

盗みに対する過度の報復も又、

正当な行為と見做されるだろう。

(強者による正当な権利行使)

 

 

こうなってしまえば、獣の世界以下である。

 

・・・民営化がなんでも正しいというのは、眉唾以前に

公共物という概念を自体を毀損する危険な行為であると

私は思う。