色即是空、空即是色。空観と仮観。

 

「僕らの世界」の本当の姿は、

物理的にはすでに定義されている。

 

プランク定数

6.62607004 × 10-34 m2 kg / s

 

の無数の点の集まりである。

 

私もあなたも、椅子も机もリンゴも

なにもかも、

 

点の遠近と濃淡があるだけである。

 

それが宇宙の果まで

シームレスに繋がっているのである。

(自他の区別は幻である)

 

釈迦はこれを、

 

色即是空。

 

という言葉で表現した。

(全ては空である、空観(クウガン))

 

私もあなたも椅子も机もそれらには

本来的に境界がない。全て一連である。

 

そこに意味の世界を付加したもの。

 

それが、空即是色。

(物は意味によって定義される、仮観(ケガン))

 

これを合体させたものが、仏教の奥義

「色即是空、空即是色」である。

(古代にこれを着想する釈迦の圧倒的天才性)

 

全ては空であるが、

しかし、意味によって「物」が存在する。

 

「水差し」は水を入れれば水差しであり、

そこに花を活ければ花瓶であり、

 

そこから水を飲めばコップになり得る。

 

「水差し」という存在は最初から存在する

わけではない。誰かが意味を付加した時、

始めて「水差し」となるのだ。

 

その前は「 」である。

誰も意味を付加しない時

「水差し」は存在しない。「 」である。

 

現代文明の全て基礎となっている

プラトンのイデア論は、

 

西洋世界の全てを束縛した。

 

彼らは自分、椅子、机、リンゴ。

 

のように、全てを分けて観測する。

 

つまり、

「空即是色」(仮観)の方にばかり注目してきた。

 

全ては「 」であること、全ては繋がっていること。

これが理解できない。 

 

「自」と「他」の永遠の断絶。

 

(自分の)物が多いほうがからと言って

(他人の)物を奪う。

 

全ての奪い合いが正当化されてしまっている。

これが西洋世界の悲劇の全てを引き起こしていると

言っても過言ではないだろう。

 

PS

現代社会ほど「 」の重要性がましている時代はない。

 

今や地球上にフロンティア(未開発領域)はなく

所謂、

物の増大のための増大の余地はもうないのである。

 

仮に我々が「 」を理解しないまま、

宇宙に飛び出したとしても、

 

ここで繰り返されてきた血なまぐさい歴史を

更に大きな規模で

展開するだけという結果に終わるだろう。

(銀河英雄伝説)

 

全ては繋がっている。点の集積として。

 

環境=あなた。

 

なのである。

 

人を幸福にする者、幸福なり。

 

自他の区別はないのである。

 

これを多くの人が理解する時、

人間はもう少しだけマシな存在になれるだろう。