ボランティアの語源。
デーヴィト・コーディングリの『海賊大全』に
「ボランティア」の語源について面白いことが書いてあった。
引用する。
マルタの私掠船のガレー船も騎士団艦隊のそれも、
漕ぎては主として奴隷だった。
大部分はイスラムだったが、わずかながらキリスト教徒の下層民
たちも漕ぎ座にすわった。何人かはイタリアの都市国家で犯罪を犯した
罪人だった。
中には、名目上は自由人でありながら実は借金奴隷という
ほうがあたっているような漕ぎ手もちらほらいた。
こうした惨めな人々は、ブオナヴォグリエと呼ばれた。
直訳すれば「自由意志の人」もしくは、
「ボランティア」ということになるが、
いまだにマルタではその言葉は、
「ゴロツキ」とか「下層民」という意味に使われている。
彼らは奴隷と同様の扱いを受けたが、
わずかながら特権もあった。
ブオナヴォグリエは口髭をはやすことができたし、
足かせも片方だけだった!
引用ここまで。
ボランティアの語源は、なんと「借金奴隷」であったという。
・・・なんたる諷刺であろうか😁。
他人に対して、
「別に大したことではないから」という理由で、
「無償奉仕」を依頼する人は、
反対に、
「別に大したことではないから」という理由で、
「無償奉仕」を依頼されたら、大抵は断る。
他人に対する報酬は、安く見積もる一方、
他人に対する対価は、高く見積もられる😁。
・・・ボランティアとは畢竟、そうした物だ。
奴隷しか考えないような発想である。
要求する方も、されるほうも最低である。
どんな些細な行為であっても、全ての行為は、
時間と能力のトレードオフである。
勝手な値段付をすべきではない。
PS
現代という時代は、
ボランティアというと、何か高尚な物という、
「意図的に誤った印象操作」が為されているが、
その意図は明らかである。
・・・人を安くこき使うためである。
だが本当に問題になるのは、
「意図的」にこれをしてくる「悪人」の方ではない。
(彼らのそれは、断っても、断られても、
ドライである。単に、「こいつはカモにならない」
「私はカモではない」という認識を交換するだけだから)
むしろ、本当に問題なのは、
「善人」(本当はただの○鹿)の方である。
・・・「無償奉仕」を断ったら、ムッとした表情をする
のは、決まって「善人」(本当はただの馬○)だからである。
私のように気の弱い愚かな人間は、それが嫌で、
その精神的な苦痛と、行為の大変さを天秤して、
つい受けてしまうわけだ💢。
一つを受けると、いま一つ、もう一つとの、
「際限のない要求」をされるようになる。
挙句の果には、「やって当然という空気」にさえもなり、
それを断ると「ケチ呼ばわり」である。
・・・私が他人とのかかわり合いを、
持ちたくない大きな理由の一つである。