『ベニスの商人』に見る「名作」と「差別」。

 

この世界には、大きく分けて4つの種類の作品が

存在する。

 

1,差別的でない、名作。

 

2,差別的である、名作。

 

3,差別的でない、駄作。

 

4,差別的である、駄作。

 

一番いいのは、1である。

一番悪いのは、4である。

 

至極明瞭で簡単だ。

 

・・・が、問題は、2。

 

「差別的であるが名作」の扱いだ。

 

シェークスピアの代表作の一つ、

『ベニスの商人』という作品をご存知だろうか?

 

この作品、ゴリゴリの差別作品である(笑)。

 

サラッと紹介しよう。

 

まずは、軽めの外国人差別。

 

登場人物の一人、資産家令嬢ポーシアには、

数多の求婚者がやってくるのだが、

 
外国人を徹底的に腐しまくる。

 

まあ、こうしたことは、

今日でもママあることだが、

流石に許されないと思う箇所がある(笑)。

 

モロッコ王が求婚の試験(3つの選択)に

失敗した後、丁重な挨拶とともに、

ポーシアの前から去るのだが、

 

その後の

ポーシアのセリフが強烈なのだ。

 

ああ、良かった。さあ、幕を引いておくれ。

 

あんな肌色の奴らみんな、この選びかたをしてくれますように。

 

有色人種差別(笑)。

 

あとは、シャイロックの非人間性、
「金貸し」という職業差別(笑)。
 
そしてなにより、
ユダヤ人差別(笑)

 

とにかく徹頭徹尾、ユダヤ人である金貸しのシャイロックを

腐しまくる。

 

シャイロックの主張は、いうなれば、法治主義の悪解と、

厳格主義を歪めまくっているという批判はあるが、

一理あるところも否めないのだが、

(公権力が承認した契約は、必ず承認されたとおり

 実行されるべきであるという、原則)

 

シェークスピアはそんなことにはお構いなし。

 

極悪人、シャイロック、血も涙もない悪魔。

 

こんな奴は、ひどい目にあってもしょうがない。

・・・いや、酷い目に遭うべきだ(笑)。

 

というわけで、

徹頭徹尾やり込められる。

 

いいとこが一つもない。

 

(娘には財産を持ち逃げされ、

 資産は没収、おまけに改宗を強要される(笑))

 

ミソッカスである。

 

今日的な価値観の社会においては、

『ベニスの商人』的作品を発表することは難しい

だろう。

 

LGBT差別批判、女性差別批判、人種差別批判

に、障害者差別批判。

 

上げれば切りはないが、

 

果たして、それでいいのだろうか?

 

こうした差別批判の裏で、名作が殺されていいのだろうか?

 

という疑問である。

 

差別は憎むべきこと(かも)しれないが、

(私は全くそうは思わないが(笑))

「作品の価値」とそれとを混同するようなことは

果たして「文化的」な姿勢だろうか?

 

極めて疑問である。

 

ジェームズ・フィン ガーナーは、

『政治的に正しいおとぎ話』という形で、

痛烈に皮肉ってるけど。

 

無論、差別的な駄作は、

排除されてしかるべきだと思うが、

 

こんなことを続けていたら、そのうち、

差別的でないというだけの、

駄作だらけになるだろ(笑)。

 

そんなもんに価値などあるか、馬鹿。

 

私は差別的であっても、「ベニスの商人」的な作品も又、

楽しみたいと思う。

 

PS

wikipediaに面白いことが書いてあった。

 

なんでも、今日、ヴェニスの商人は、シャイロックを主人公に

「虐げられた民族」のお話として仕立て上げられているらしい。

 

 

これは、

現代的なカスタマイズらしいのだが・・・。

 

そんな馬鹿な(笑)。

完全な曲解、作品破壊である。

 

「ベニスの商人」は徹頭徹尾、差別的であるが、

であっても(であるからこそ)、「名作」

なのである。

 

これは、『喜劇』なのだから。

 

名作は、そのままの意で取ってこそ、

名作なのであって、

 

そこを剥ぎ取ってどうしようというのか?

(ノンアルコールビールに、低ニコチンタバコ

 のような間抜けさ)

 

例えば、絵画の裸婦像なんかの局部にも、

モザイクなんか施すのですか(笑)。

 

全く笑える。

 

ご都合主義も甚だしい。