橋田壽賀子さんの代表作って・・・。

 

先日、文化勲章受賞者関連の報道を見たのだが、

その中で、紹介された橋田壽賀子さんの

代表作が、「渡る世間は鬼ばかり」と紹介されていたの

だが、本当にそうなのか??

 

彼女の代表作って、

私の中では、断然「おしん」なんだよな・・・。

 

失礼ながら、「渡る・・・」の方は、

ほとんど見たことがない(笑)。

 

※おしんをご存じない方のために補足説明。

 

あるスーパーチェーンの高齢の女性が、

ある日突然、失踪する所から物語は始まる。

 

彼女を捜索にやってきた孫と共に、

昔の事跡を尋ね歩きながら、

人生を回想していくという明治女性の一代記。

 

明治生まれの女性の一人の女性の生涯を

通じて、

 

飢餓、貧困、戦争など様々な社会の移り変わりを

見つめる大作である。

 

 

おしんは空前の大ヒット作品だったらしい。

(私が生まれる前のことなので、伝聞だが)

 

先日こんなニュースを見つけた。

 

 

大の大人が、映画館で、

「感動しました!!」って言ってた・・・。

(無論、広告というアングルはあるだろうが(笑))

 

・・・。

 

・・・・・・・。

 

昭和の流行作品と、令和の流行作品を比較すると、

おもしろい(笑)事実がみえるような気がする・・・。

 

どっちがどうというのではない、

単に差があるというだけのことだ。

 

少なくとも、昔は、東映マンガ祭りを見て、

(キン肉マンとか(笑))

感動する奴はいたと思うが

それを率直に、メディアの取材で答える奴はタブン

いなかった(笑)。

 

※私は、キン肉マンは好きである。

あれはいい作品だ。

(キン肉マン最終話の名言)

 

友情は成長の遅い植物である。

それが友情という名の花を咲かすまでは

幾度かの試練・困難の打撃を受けて堪えねばならぬ。

 

元ネタ(と思われる)

ワシントンよりもできがいい気がする。

 

ワシントンの名言を紹介。

 

友情は成長の遅い植物である。

それが友情という名に値する以前に

それは幾度か困難の打撃を受けて耐えなければならぬ 

 

「友情の花を咲かす」という表現に、

言葉選びのセンス光っているとおもう。

 

文化の比較論をやりたいわけではないが・・・。


今の時代に、おしんのような作品を提示しても、

絶対に流行らないだろう(笑)。

 

だから、橋田壽賀子さんはすごいともいえる。

職業脚本家として、

流行るものをやるということは徹底されている

のだから(笑)。

 

・・・だから、「渡る世間は鬼ばかり」なのだね(笑)。

 

橋田壽賀子さんの代表作って・・・。

 

PS

ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は、慣用句の意味すら

変えてしまった(笑)。

もともとの慣用句は、

渡る世間に鬼はなし

だったのだが(笑)。

 

世間というところは、そう悪いところでも、

不正直なところでもない。

という意味の慣用句であるが・・・。

 

「おしん」のテーマはズバリ、これであるが・・・。

 

今日では逆転して使われることが多い。

 

派遣切りに、奴隷的な外国人技能実習生、

消費税に、自己責任論の横行・・・。

 

慣用句の意味が逆転した理由は、

橋田壽賀子さんの作品のせいではなく、

社会そのものが変質したせいかもしれないね(笑)。

 
いまや最適解は、勤労・生産することよりも、
「中抜き」だから(笑)。

 

アハハ。鬼だらけである(笑)。

 

まあ、彼らの末期は、

(仮に)地獄というものがあって、

(仮に)鬼というものがいるのなら、

確実に獄に繋がれそうではあるが、

今日の観念によれば、坊主に戒名を買うための

金を積めれば、問題はないようである(爆笑)。

 

居士だか、ドジだか、いう

「ありがたいお名前」をもらえる(笑)。

(馬鹿丸出し)

 

翻って、お布施の払えない貧しい労働者は、

供養すらされない(笑)。

 

いや、なんというか。

終始一貫、矛盾しているという意味で、

終始一貫している(笑)。

(定義矛盾であるが)