昨年6月、一家4人が乗ったワゴン車の進路を「あおり運転」で妨害して停車させ、トラックによる追突事故で夫婦を死なせたなどとして、危険運転致死傷罪などに問われた石橋和歩(いしばし かずほ)被告の初公判が始まりました。

 

裁かれるべきは、罪か人か?という普遍的なテーマが問われる裁判になりそうですね。

以前、新潟女児監禁事件の時に逮捕監禁致傷は10年が最高刑なのだが、監禁期間が9年と長いため、

万引きを併合罪にして14年の懲役にしたケースがあったが、あれも厳密にいえば法の曲解であり、罪刑法定主義に触れてんじゃないか?

(ウルトラC)と思うのだが、あれは典型的な「人を裁いた裁判」の一例でしょうね。

(現在逮捕監禁致傷は最高15年) (現在は出所していると思われる)

被害者感情は重要なファクトではあるかもしれないが、罪刑法定主義を無視するのは如何ともしがたい事態(無限段階的に罪になってしまう)を惹起すると思うので危険運転致死傷罪の運用を考える上でも、非常に微妙なところがあると思う。

普通に危険運転致死傷罪という罪を検討すると弁護側の意見の方が妥当であると思う。条文上、車から降りた状態で危険運転致死傷には問えない。と思うから。*妨害運転致死傷参照

法律は罪を裁くのであって、人を裁くのは間違っている。これは法治主義の大原則(法の元の平等)である。

無論法改正を求めることは可能であろうが、今回のケースは当然に対象外だろう。現行法に合致しないのだから。(罪刑法定主義の原則)

とはいえ、法運用と遺族感情は別問題ですからね。

コロシヤムでも雇えば、無問題である。砂漠の掟に従えって奴だね。結局量刑をどう考慮しても犯罪の抑止効果なんてないのですから、「復讐」を許可したほうが抑止効果が高まるだろうよ。

おおっぴらに認めるのは難しいだろうから、「こういう人間」が行方不明になったときは、捜査を加減するという「不作為」をもってこれにあたるのはどうだろう?大体、ヤクザ同士の抗争の時とか警察はいつも「不作為」を決め込むのだから、通常運行でしょ。