予定説を理解することは、近代の平等主義を理解する上で絶対不可欠である。
予定説とは、最後の審判で救済されるものは予め万能の神によって決められているという説である。
つまり、人間が善行をつもうが、悪行をつもうがこれらを変更することはできない。人間とは全く無力な生き物である。
万能の神の前では、王といえども、貴族といえども全く無力であり、無限大の神の前ではそれら位の違いなど無意味であるとした。
それが、「神の前での平等」という思想につながっていく。
それまでのカソリックでは、善行善果、悪行悪化であり、王様や貴族は「生まれながらに聖別された者」であるという考え方をしていたが、それは間違えであるとしたものである。(王権神授説の否定)