さて、+1で「予定説」を簡単に紹介した。

予定説のすごさを解説

 

予定説では「誰が救われるか」の条件は人間の理解を超えている、したがって、誰が救われるかはわからない。

 

しかし、どういう基準で救済されるかわからないとしても、「結果として」、どのような人が救われているかは、人間の頭でも推定できるのです。

 ここに神様が救済を予定しているひとがいると仮定してみましょう。

 神様の考えていることは本質的に理解不能で、誰が救われるのかは人間にはわからないと言っても。その人たち全体を考えれば、そこには実は共通点があるのです。

 というのも、神様から救われるほどの人だったら、きっとキリスト教を信仰するに違いない。

 そもそも、その人物は最後の審判において、永遠の生命を手に入れて神の国に入るわけですから、神様のことを深く深く尊敬していなければ困る。神の国で「俺は神なんて信じない」と毒づく輩が出てくるとは、とうてい思えません。

 

だとしたら、その人は間違えなくキリスト教を信じ、神の万能を信じ、予定説を信じているはずだという結論が出てくる。

 考えてみれば、神様は万能なのですから、その人間がキリスト教を信仰するよう導くことなど、簡単にできます。

となれば、神は救済を予定すると同時に、その人がキリスト教を信じ神を信じるように予定するに違いないという結論が出てくる。