ウルトラ・リベラルの思想。

 

現代を理解するためには、底流に流れる

「ウルトラ・リベラルの思想」を理解しなければ

ならない。

 

牛や豚や鳥を食べることは問題ないとするのに、

一方、犬やクジラ、イルカの類なんかを食べることを

問題視する人々。

 

彼らの論理によると、

犬やクジラには幼児程度の知能があり、

「感情」があるから食べることはよくない。

 

ということらしい・・・。

 

これは「差別」ではなく「区別」なのだと主張する。

 

人種や身分で差別することはよくないが、

(リベラル)

知能で差別することは問題ない。

 

これが「ウルトラ・リベラル」の基本スタンスである。

 

知能によって人の価値を図ること。

 

では具体的に、

人間の社会における「知能」とは

一体、何のことを指しているのか・・・?

 

絵を描く能力か、詩をつくるの能力?

あるいは、人に親切にする能力のこと・・・?

 

否。

 

彼らのいう知能とは

「金を稼ぐ能力」のことを、

 

さらに狭義の意味で、

「金を持っている事実」のことを指しているのである。

 

根本的に有害な付加価値税や、人頭税の類を

やたらに徴収すれば、

 

当然の帰結としてGDP(生産・消費・所得)は増えない。

(なんの不思議もない)

 

全体が縮小し、消滅に向かっていくこと。

 

・・・こんなことして楽しい人いる?

 

と考えてしまうわけだが、

 

そこにはちゃんと「目的」があるのだ。

 

進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの四男にして、

優生学の泰斗、

メイジャー・レイナウド・ダーウィンは、

 

生存の最適者は、

最も多くの金銭を儲け得る人間である。

讃えるべき富豪の類は、

これを殖すべく奨励されねばならぬ。

貧者はその貧困の原因が疾患であろうと、

性格の異常であろうと、

智能過剰であろうと、智能不足であろうと、

退けられねばならず、又、必要とあれば絶滅されねばならぬ。

 

と述べている。

 

これらの制度は、

貧困を撲滅するために、否、貧困者を撲滅するために

実施されているのである。

 

では、これで貧困は撲滅されうるのだろうか?

 

否。

 

ゲームの本質が「ゼロサム」である以上、

それは原理的に不可能なことである。

 

簿記の常識として、全部が黒とか全部が赤、

みたいなことはあり得ない。

 

どっかが黒なら、どっかは赤である。

 

誰かが増えれば、誰かが減る。

 

この方法論では問題は永久に解決しない。

(富裕者が豊かになればなるほど、貧困は増大し

 貧困者も又増大する)

 

国家による財政支出を批判する人は、

それが貧乏人を助けることにつながり、

 

結果として、

貧乏人(知能の低い人)を増やす結果になることを

嫌悪しているからに他ならない。

 

ウルトラ・リベラルの本質は、

新たな形の人種差別、

 

優生思想でありナチ的差別を嫌悪する人々も、

 

北欧的差別のほうは是認するという、

 

ふざけた話になっている。

 

優生思想はナチの専売特許ではない。

むしろその源流は、

福祉国家を標榜する北欧にこそ存するのだから。

 

 

 

PS

なぜ一人目から無償化しないのか?

 

 

子供の2人くらいは自力で養育できる程度の資力のある人

だけ増えてほしい。

 

・・・1人の学費も払えないような無能は「消えて」ほしい。

 

ってこと。

 

 

障碍者を抹殺することにやぶさかではない。

・・・それが穏当なやり方である限りにおいては。

と、彼らは腹の底では考えている。

 

あなたは、

なぜ施設の多くが山奥や人里離れた場所にばかり 

あるのかを、一度でも考えことがあるだろうか?

 

彼ら(ウルトラ・リベラルの動物愛護主義の糞ども)よりも、

 

両者とも僕から見れば「狂人」であるが

少なくとも嘘つきではないという意味で、

植松被告のほうがまだしもマシである。

(本質的に同じであり、綺麗事を装う欺瞞には

 反吐が出る)

 

僕は狂人よりも、嘘つきのほうが嫌いだ。

 

なにごとも正直で、相互主義的でさえあれば、

人殺しや盗人の類でも問題ないと思う。

 

殺していいのは、殺される覚悟のあるやつだけだ。

 

 

これは僕の思想的偏り、アナーキズムであるが、

捨て猫にキャットフードを与えて、

「動物愛護」を叫ぶ狂人よりは数段マシである。

 

※キャットフードは何からできているの???