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第五章 九州のスサノオ
1 第二の案内人

 10月中旬の週末、マコトとイオリの二人は福岡に向かう飛行機の中にいた。
「ねぇマコト、あんたは今回もノープランなわけね」
「だって今回はもう案内してくれる人が決まってんだよ。アポ取っただけでも褒めてほしいよ」
「で、その方は空港に迎えに来てくれるわけだ」
「そう。今日と明日の二日間、案内してくれるって」
「ホント、インベさんに感謝だね。いい報告ができるといいね」
「きっと大丈夫だよ!」
 マコトは相変わらずポジティブだった。

 福岡空港の北到着口を出た二人は、「歓迎!藤原真琴さま」と書かれた幅広の紙を持った熊みたいにガタイの良い男を見つけた。マコトとイオリの二人は、笑顔でその男に近づいた。
「小野一真さんですか?藤原真琴です」
「ようこそ九州へきんしゃったね」
 男は、低い声の博多弁で迎えた。
「初めまして、海部伊織です。よろしくお願いします」
「なんか、女子旅気分でやって来たったい」
 一真がイオリに少し嫌味っぽく告げた。イオリは怪訝そうな顔をして、先に進んだ二人について行った。

 車に乗り込んだ三人は、一真のプラン通りに、まず宗像大社を目指した。
「インベさんから珍しく連絡が来たばってん、凄か女が現れたと」
 一真がマコトに話しかけた。
「そんな凄くないですよ。たまたまそうなっちゃって」
 マコトが謙遜ぎみに応えた。
「で、君は付き添いの人ね?」
 一真はなぜかイオリには冷たかった。
「そう言われれば、そうですけど・・・」
 イオリは返答に困った。
「イオリは私のブレーンですよ。巻紙の漢文とかも解読してくれたし」
 マコトがイオリをフォローした。
「へぇ。じゃあ、この旅での活躍を期待しとるばい」
 一真は、お手並み拝見という態度で、イオリに接した。
「はい。頑張ります」
 イオリは声のトーンを下げて、不貞腐れ気味に返事をした。

2 宗像の暗示

 宗像大社辺津宮の北側に隣接する駐車場に車を止めた一真は、最初にマコトとイオリの二人を、さらに北側にあるガイダンス施設に案内した。
「ここは、世界遺産登録を記念して作られた施設たい。沖津宮や中津宮には、簡単には行けんばってん、ここで説明するったい」
 そう言って一真は施設の中へ入って行った。
「ここだと三社の位置関係がよくわかるばい。三世紀までは、大陸から九州へのルートは、対馬、壱岐経由で伊都国へ入っとったばってん、それ以降は、対馬から沖ノ島、大島、宗像へと移行したったい。それは、伊都国があった糸島と、沖ノ島の出土品の年代を見比べると明らかたい。宗像三姉妹は、このルート変更の時期に、ここ田島に一旦落ち着いたばい。ここから、例えばタギリヒメは、出雲に移り住んだかもしれんばい」
「三姉妹の生まれた順番の記載が、記紀で異なっているのは何故でしょう?」
 マコトが表記の違いを問い質した。
「伝承が曖昧な部分もあったかもしれんばってん、三人は三つ子、あるいはどちらかが双子だった可能性もあると思うたい」
「今は日本書紀に則った順番で、宗像大社では祀られていますね」
 イオリが遠慮がちに発言をした。
「ちゃんと予習ば、して来たみたいだのう。じゃあ、宗像大社にお参りするばい」
 一真はそう言って二人を引き連れて、駐車場を隔てた南側の辺津宮本殿へと向かった。
 北の海の方を指さして、一真が説明を始めた。
「古代の海は、水面が今よりもおよそ10メートル高かったと言われとる。ここ辺津宮は、今は海岸から2キロほど内陸にあるばってん、古代には、ここに湾が形成されとったばい」
 マコトとイオリの二人は、広い駐車場を見渡した。

 駐車場の角にある大鳥居から、参道が南東に向けて真っ直ぐに延びていて、心字池の真ん中に掛った立派な太鼓橋を渡って、神門を潜ると目の前が辺津宮の本殿だった。
 三人は参拝した後、本殿の周りを巡った。周囲には筑紫中の神々を祀った摂末社がずらりと並んでいた。この社がいかに力を持っていたかが伺えた。
「ここの南側の山が禁足地となっていて、そこには上高宮と呼ばれる祭場があるったい」
「裏山が禁足地なのは、出雲大社と一緒ですね」
 マコトが一真の解説に反応した。
 本殿を回り切る直前に、ふと上を見上げたイオリが、一真に問いかけた。
「千木が男千木なのは何故ですか?」
「よかとこに気が付いたばい」
 一真はイオリの気づきを喜んだ。
「一般的に、屋根についた千木の切断の向きで、縦削ぎは男千木で男神を祀り、横削ぎは女千木で女神を祀ると言われとるったい。元々祀られたのが男神とするならば、それは宗像三姉妹の父親であるスサノオ以外には考えられんばい。ばってん、別の説では、縦削ぎは出雲式で、横削ぎは九州式だとも言われとるばい。この説に基づけば、祀られとるイチキシマヒメは出雲系ということになるばい。いずれの説によっても、宗像大社と出雲の関係は、切り離せないったい」
 一真の力説に、マコトとイオリの二人は納得するしかなかった。
 しかし、宗像大社辺津宮の千木の謎は、実は重要な方向性を示していたが、この時点の三人には、それを知る由もなかった。

3 高天原と邪馬台国

 一真は、遠く宮崎県の日向地方まで行く時間はないので、大学の研究室で自分の研究成果を話したいと言って二人を誘った。一真が准教授を務める福岡教育大学のキャンパスは、宗像市内にあった。一真はそこで社会科教育をする傍らで、九州の郷土史研究を行っていた。

 週末の大学のキャンパスは閑散としていた。三人は、誰に会うでもなく一真の研究室にたどり着いた。一真はマコトとイオリの二人をディスカッション用のテーブルに着かせ、珈琲を沸かした。
「すまん、これくらいしかなかと。砂糖とミルクは好きに取るばい」
「あっお構いなく」
 マコトが遠慮がちに言った。
「凄い本の数ですね。これ全部読破されたんですか?」
 イオリが部屋を見回しながら尋ねた。
「当たり前くさ、飾りじゃなかと」
 一真はイオリには当たりが強かった。
「失礼しましたー」
 そう言いながらイオリは、ヘコミ気味に少し唇を尖らせた。
「したら、何からするったい。まず、不比等の資料ば、見しちゃらんね」
 一真が促したので、マコトがカバンから巻紙を取り出した。
「ほぉ、インベさんが本物じゃと言うとったばい。なかなかの達筆ばい。これをあんたが読み解いたんね?そこそこ出来るったい」
 一真が初めてイオリを褒めた。
「はぁ、辞典を見ながらですが・・・」
 イオリはヘコんだままボソッと応えた。
「で、一行目は解決済みで、二行目のスサノオの件からが、オレの出番っちゃね」 
 一真は、やる気満々だった。
「私たち、また夢を見たんです。一回目の夢は、私が事故で倒れた時に不比等に会って、二回目はイオリと一緒にスサノオのオロチ退治を見て、三回目もイオリと一緒にスサノオが船団を引き連れて、西に向けて稲佐の浜を出航するという・・・」
 マコトが不思議体験の説明をした。
「ほう、それが全て正夢だというと?」
 一真はまだ疑っていた。
「一回目はこの巻紙をもらって、二回目はお婆さんの髪の毛が残っていました。三回目は傍らで見ていたので、証拠はないですが、やけにリアルで・・・」
 マコトが自信なさそうに一真に告げた。
「わかった。さっき宗像大社でも言ったっちゃけど、九州にスサノオの痕跡は確かにあるったい。これを見てみんね」
 宗像に住む一真の言葉は、北九州と博多のハイブリッドだった。
「これは、福岡県内にある須賀神社をプロットしたものたい」
 一真は、福岡県の地図を覗き込む二人の顔を交互に見た。
「えっ、こんなに?」
 イオリが思わず声を上げた。
「あー、わかっとるだけでも20以上あるばい。他に須佐神社や熊野神社もあるっちゃけど、須賀神社が圧倒的に多いばい。須佐・熊野ではなく、須賀を祀るっちゅうことは、生きているスサノオが関わっている可能性があるったい」
「どういうことですか?」
 不思議そうにマコトが尋ねた。
「出雲の須佐はスサノオが晩年に住んだ場所、熊野は死後祀られた場所たい。あんたらの夢の通りに、壮年時代にスサノオが九州に来ていたなら、使われる名は須賀しかなか」
 マコトとイオリは一真の説を理解した。
「スサノオの足跡を具体的に証明できるものは、他に何かあるんですか?」
 今度はイオリが尋ねた。
「それについては、後で行ってみたい所があるったい」
 一真は少し含みを持たせて答えた。
「で、三行目前半の『高天原は日向』についてやけど、こっちの地図ば、見てみんしゃい」
 一真は、今度は宮崎県の地図を広げた。
「ここが禊ぎ池、ここが高千穂、ここが天岩戸ったい。現在の日向、つまり宮崎県の全域に伝承の場所があるばい。まあ、みんな高天原は日向にあると、薄々感じとるばい。ばってん、注目すべきは、ココたい」
 一真は西都を指さした。
「西都、あまり聞かない地名ですね」
 マコトは首を傾げて応えた。
「最近は大和の纏向ばかりが脚光を浴びとるばってん、忘れられがちやけど、ココは凄かよ」
 そう言いながら一真は、西都市の遺跡がわかる地図を広げた。
「この一帯では、全部で319基の古墳が発掘されとるばい。特に男狭穂塚と女狭穂塚は陸墓参考地に指定されとるったい」
「陵墓参考地って?」
 マコトが尋ねた。
「宮内庁によって皇族の墓だと認定されているけど、誰のものか特定できていない墓のこと」
 すかさずイオリが説明した。
「で、ここの被葬候補者は、ニニギとコノハナノサクヤヒメばい」
「記紀における天孫降臨後の主役ですね」
 イオリが一真の発言を受けて応えた。
「現実的に考えれば、天上界なんてあるわけなか。アマテラスが国譲りを迫った後に、舞台が出雲から日向に移ったちゅうことは、高天原の世界観は元々日向にあったとみてよか」
「三行目の『高天原は日向』というのは、確かだと?」
 マコトが一真に確認した。
「ああ、そうたい。あと一つ注目すべきは、西都原に二基の方墳があるこつたい。特にその中の一つは、女狭穂塚のすぐ脇に、守るように置かれとる。九州は円墳文化、出雲は方墳文化やけん、明らかに出雲の関係者が葬られとるばい」
「出雲と日向の交流の証ですね」
 マコトは一真の見解に納得して応えた。
「スサノオは出雲の王となり、その後、西へ向かって北部九州に上陸した。ばってん、スサノオとアマテラスがどこで会ったかが、気になるっちゃね」
「スサノオが出雲から西に向かった後に、アマテラスと出会ったと?」
 マコトは、今度は一真の見解を質した。
「ああ、そうたい。スサノオが出雲で生まれたとしたら、アマテラスといつ会うね?おまけに、三行目後半では、『アマテラスは北へ進むなり』と不比等が言うとるし」
 一真はすでに、不比等の巻紙の情報が正しい前提で話を進めていた。
「スサノオとアマテラスは本当に出会ったのでしょうか?」
 今度はイオリが疑問を呈した。
「インベさんも言うとったやろうが、記紀は偽りが多いが全てがウソではなか。史実に基づいて不比等が都合よくねじ曲げとる。スサノオとアマテラスが出会わんと、その後が繋がらんばい」
「では、何処で出会ったのですか?」
 マコトが改めて尋ねた。
「その前に、魏志倭人伝について話をするったい」
 一真は軽く咳払いをして、説明の角度を変えた。
「邪馬台国と卑弥呼が登場する中国の歴史書ですね」
 イオリは一真の一言一句に反応した。
「アマテラスは別名オオヒルメ。オオは尊称、ヒルメは日の巫女っちゃけん、アマテラスは、すなわちヒミコばい」
 流れるような口調で一真は続けた。
「魏志倭人伝の記述で、場所がはっきりしているのは、今の糸島の伊都国までたい。そこから東南へ百里で奴国、東へ百里で不称国、南へ水行20日で投馬(つま)国、南へ水行10日、陸行一か月で邪馬台国と記されとるばい」
「その記述どおりだと、邪馬台国が海の彼方とか、とんでもない所になってしまいますね。畿内説を唱える人は、南は東の誤りだとか」
 イオリが何とかフォローした。
「オレの解釈は、全て伊都国からの距離だと思うとるったい。例えば、投馬国が伊都国から南へ水行20日としたら、ここ日向辺りが可能性あるっちゃね。そんなに時間が掛るかと思うかもしれんばってん、関門海峡と豊後水道を舐めたらいかんばい」
 一真はさらに続けた。
「西都市の市街地の住所は妻、古墳群に隣接する神社は都萬神社、まさにここが投馬国たい」
「本当だ。字は違うけど、全部ツマと読む」
 マコトが西都の地図を見て声を上げた。
「じゃあ、邪馬台国はどこに?」
 イオリが急かすように尋ねた。
「伊都国から水行10日、または陸行一か月。すなわちココたい!」
 一真は、ホワイトボードに貼ってあった九州地図の別府湾の辺りを指した。
「大分ですか・・・」
 マコトが意外そうな表情をしながら返した。
「そうたい。大分は昔、なんと言うたと?」
「豊後ですよね」
 マコトが掴みきれずに答えた。
「北部は豊前、南部は豊後、つまり大分は豊の国ったい。卑弥呼の後を継いだのは誰ね?」
「台与(とよ)ですね!」
 今度はイオリが確信して答えた。
「別府湾のココを見てみ」
 一真は別府湾の北側を指した。
「杵築!」
 マコトとイオリの二人が、一緒に声を合わせて叫んだ。
「江戸時代まで、ここは木付藩だったばい。ある時、江戸幕府が与えた朱印状に誤って杵築藩と書かれとった。幕府が間違ったとは言えないばってん、木付藩の方が、杵築藩に改めたったい。こうやって当て字は、変わって行くもんばい。実は、出雲の杵築も当て字で元は寸付。古代から当て字が多かったばってん、読んだ響きが重要たい」
「じゃあ、この辺りには、出雲の人々が住みついていたと?」
 イオリが改めて一真に確かめた。
「そうたい。状況証拠ならまだあるばい。記紀には、オオクニヌシが東方へ行ったことしか記されとらんばってん、続日本紀には、伊予国風土記の逸文として、オオクニヌシがスクナヒコナと共に四国へ行ったことが記されとる。そこには、スクナヒコナが死んでしまって、オオクニヌシが豊後水道の海底を通じて別府から温泉を運び、それにスクナヒコナを浸けると元気になったと書いてあるばい。ばってん、その時代に地下を通す技術などある訳なか。普通に考えれば、船で運んだはずばい。誰がそんなことに協力するかっちゅうたら、ここらにおって、豊後水道を渡る航行技術を持っとった出雲族しかおらんばい」
 一真は、地図の豊後水道を指しながら、得意げに続けた。
「ここを流れる川は八坂川。これも後付けだろうばってん、スサノオ一族の匂いがプンプンするったい。この八坂川を辿って行くと、宇佐に到達するっちゃね。宇佐と言えば、日本書紀で宗像三姉妹が降臨した、つまり生まれた場所たい」
「本当だ!」
 地図をなぞりながらマコトが声をあげた。
「ズバリ、スサノオとアマテラスが相対したのは宇佐ばい。二人は契りを交わし、スサノオは同盟の証として剣を渡した。やがて、子ども達が生まれたったい」
「そして、スサノオに従って来た出雲の人々の一部が、別府湾の北側に住み着いて、そこにキヅキの名を残した。出発したのが稲佐の浜だから、それもあり得ますね」
 イオリも納得して同意した。一真はさらに続けた。
「アプローチの仕方は違うっちゃけど、高木彬光氏は、小説「邪馬台国の秘密」にて、宇佐から大分にかけてが、邪馬台国だと結論付けとるばい。おまけに、宇佐神宮の本殿がある山全体が古墳で、過去の遷宮の際に、実際に豪華な石棺が発掘されとるばい」
 一真は、自分だけの独善的な解釈ではないことを強調しながら続けた。
「その石棺からは朱が溶け出していたといわれとるばい。魏志倭人伝の『その山に丹あり』という記述から、邪馬台国では辰砂と呼ばれる赤い鉱物から産出する水銀朱が作られていたとされとるったい。ばってん、畿内説や徳島説を唱える人は、古代の北部九州にはそれがないと主張しよるばい」
「徳島説は弥生時代に辰砂を採掘した遺跡が見つかったという一点から、わりと最近出された説ですね」
 再びイオリがフォローした。
「辰砂の産地は中央構造線上に分布しとって、大和と阿波はこの線上に位置しとるばい。ばってん中央構造線は、四国からさらに西、別府湾から阿蘇まで延びとるばい。時期が特定されとらんが、別府からは辰砂が産出されとるし、大分には辰砂が採掘される土地を意味する丹生の地名も残っとるばい」
 一真は、これまでの北部九州説の弱点をも補ってみせた。
「南部九州で勢力を持っていた日向族は、北部九州で勢力を広げる出雲族に、由布岳を越えて来て欲しくはなかったから、邪馬台国の北の端の宇佐で待ち構えたのでしようね」
 マコトは地図を見ながら、スサノオとアマテラスの行動を想像した。
「そうたい。高天原の日向が本拠地で、邪馬台国の宇佐は前線基地だったわけたい。ばってん、両者は争うことはせず、平和裏に同盟を結んだったい」
 一真は自信たっぷりに持論を展開し、マコトとイオリはそれを受け入れた。
「これで、三行目の『高天原は日向にあり、アマテラスは北へ進むなり』までが、解決できましたね」
 マコトが嬉しそうに一真に告げると、
「アマテラスは、もっと北へ行った可能性があるばい」
 一真の話は、まだ終わってはいなかった。
「どういうことですか?」
 イオリが不思議そうに一真に投げかけた。
「古事記で、ニニギが降臨する場面で、気になった部分はなかと?」
 逆に一真がイオリに問いかけた。
「ええっ、何だろう?わかんない」
 イオリは右手で髪をかきむしった。
「ニニギが降臨したのは、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気ばい。何かおかしくないと?」
 一真はニヤリと笑ってイオリを見た。
「確かに、筑紫に日向があったような表現ですね」
 マコトが代わって一真に返した。
「古事記では、その後に『ここは韓国に向い』とあるから、宮崎の日向では、不可能ですね」
 イオリが必死に話に縋りついた。
「そうたい。宮崎の日向は本拠地に違いはなか。ばってん、筑紫のどこかに日向の出先機関があったはずばい」
 一真は再び持論を展開した。
「それは、あったんですね」
 マコトは一真の口調からその先を予測した。
「ああ、『怡土志摩地理全誌』で日向山とくしふる山という場所を発見したばい」
 一真は、最初に見せた福岡県の地図をテーブルの一番上に置き、糸島の北側の日向山を指さした。
「ここからだと、玄界灘越しに大陸に向いていますね」
 イオリは自分の発言を見定めた。
「アマテラスは、スサノオと同盟を結んだ後、伊都国まで出向いた可能性があると言うこつたい」
 一真は相変わらず自信たっぷりだった。
「サルタヒコが筑紫の日向に導いたのは、ニニギではなくてアマテラスだったと?」
 マコトの疑問に対し、
「インベさんが須佐神社の朝覲祭について言っていた『アマテラスにスサノオを引き合わせたのがサルタヒコだったのでは?』という説と連動してるね」
 イオリがすかさず応えた。
「インベさんがそんなことをおっしゃったと?面白かねぇ。この件については、明日筑紫で話をするばい」
 一真は、また少し含みを持たせて、自分が入れた冷めた珈琲を飲み干した。マコトとイオリの二人は、一真の熱量にやられ、少しぐったりした様子だった。

今回はここまで。
小野一真のイメージイラストです。

CVは博多弁が喋れる高杉真宙さんで。
一真は福岡市出身で宗像在住なので、言葉は博多と北九州が混ざったイメージです。
 

今回のロケーションは


宗像大社の男千木


西都原


宇佐神宮


宇佐神宮の形状
先日、吉野ケ里遺跡の神社跡地で古墳が発掘されましたが、古い神社は基本、古墳の上に建っていると疑った方がよいです。

アマテラスと大分の関係が明らかになりました。
ちなみに、イラストのイメージにした指原Pは、総選挙1位の祈願に毎年、宇佐神宮にお参りしていたそうです。そう言えば、宇佐神宮に祀られている神功皇后は、熊襲討伐のために大和から九州に派遣され、そこから息子のホムタワケ(応神天皇)をたてて、中央に復活を遂げています。歴史は繰り返えされるものですね。


明日は取材のためお休みします。
次回は、福岡市内へ移動します。お楽しみに。

第四章 出雲のアマテラス
1 日沈宮(ひしずみのみや)

「ねえ、マコト。スサノオが出雲生まれで、高天原が日向にあると仮定したら、アマテラスに会うためにスサノオは西へ向かったとは考えられないかしら?」
 駐車場に戻る途中で、ふとイオリがマコトに告げた。
「確かに」
 左手の親指を顎に宛てがいながら、マコトは同意した。
「ほんなら次は、スサノオとアマテラスの関係を探ってみーか?」
 それを受けてインベさんが提案をした。
「何かあてがありますか?」
 マコトがインベさんに伺いをたてた。
「この出雲でアマテラスを祀る最大の神社は、日御碕神社じゃ。ここからは車ですぐだけん、行ってみらこい」
 インベさんはそう言って二人を車に誘った。
 杵築を後にした一行は、車で西の海の方へ向かい、正面の稲佐の浜を右に折れて、海岸沿いの曲がりくねった道を進み、日御碕を目指した。

「日御碕神社には、スサノオとアマテラスの両方が祀られちょる」
 境内のすぐ脇の駐車場で車を降りながら、インベさんが説明をした。
「朱色が映える美しい神社ですね」
 マコトが外観を見回しながら感想を漏らした。
「江戸幕府三代将軍家光の命により改修された、桃山時代の面影を残す権現造りのお社じゃ」
 インベさんは神社が美しい所以を説いた。
「本当、青い海にも映えるお社ですね」
 今度はイオリが映えにこだわった。神社は海岸からすぐの所に鎮座していた。
「楼門を見てみ。欄間の装飾がカワイイじゃろ」
 駐車場から正面に回ったところで、インベさんが、門を指さした。
 そこには、動物、樹木、花、野菜などが立体的に彫り出され、カラフルに彩られていた。
「本当だ。可愛くてこれも映えますね」
 二人は女子旅気分に浸った。楼門を潜ると、正面に神殿があった。
「ここは下の宮、日沈宮ともいう。アマテラスが祀られちょる。その昔は、このそばの経島に祀られちょった。伊勢の二見ヶ浦が日の昇る場所に対し、ここは日が沈む場所だから日沈宮じゃ」
「上のお社に祀られているのはスサノオですか?」
 マコトが右側の丘の上を見て言った。
「おう、そげそげ」
 インベさんが答えた。
「スサノオが祀られているのに、千木は横削ぎの女千木なんですね」
 イオリは千木の構造が気になった。
「ぞげ言わいと、そげだのう。今まで気が付かんかったわ」
 インベさんは、さほど気にも留めずに続けた。
「ここでもスサノオが上に祀られちょる。下の宮が後から祀られたからなのか、出雲じゃからスサノオが上なのか、あるいは、二人の関係がそうなのか、理由はわからん。ちなみに、ここの宮司は、スサノオがオロチ族から奪った剣を、アマテラスに届けたアメノフキネの末裔じゃ」
「スサノオがアマテラスに剣を送った本当の目的は何だったのでしょうか?」
 イオリがまた深い質問をした。
「前にも言うたが、剣を送るのは同盟を結んだ証じゃ。スサノオとアマテラスは、そげな関係にあったのじゃろう」
 インベさんは、スサノオとアマテラスの関係には、あまり詳しくはなかった。
「やっぱり、スサノオとアマテラスの関係を解くことが、『スサノオは西へ』を解くカギになりそうですね」
 イオリが改めて不比等の巻物に触れた。
「そげじゃのう。ここにはアマテラスにまつわる伝承は、あんまりないけん。それは九州へ行ってみんと、わからんかもしれんなぁ」
 その時、ふいにマコトのお腹が「ググー」っと鳴った。
「何?マコト?」
 イオリがマコトのお腹を覗き込んだ。
「ごめーん。お腹空いちゃった」
 マコトは両手を合わせて謝った。
「はっはっはっ、そろそろお昼にすーか」
 インベさんは、笑いながら時計を見て二人を誘った。

2 もう一つの不比等の手紙

 参拝を済ませ、インベさんは二人を連れて、海岸沿いの遊歩道を日御碕灯台の方に向けて歩いて行った。途中に以前アマテラスが祀られていたという経島が見えた。
「ここは、ウミネコの繁殖地としても有名じゃが、今の季節は何もおらん」
 秋の海は穏やかだった。
「あんたやちゃ、魚の刺身とかウニは大丈夫かね?」
 インベさんが二人に尋ねた。
「平気です」
 イオリが答えると、
「私、ウニ大好き」
 マコトはウキウキだった。
「ここ日御碕は『みさき丼』と言って美味しい海鮮丼が名物なんじゃ。それを食べさしちゃーけん」
 インベさんはそう言って、遊歩道沿いの土産物屋らしき店へと入って行った。そこは、灯台へのメインの通りから少し外れた、地元の者にしかわからない場所にあった。店の中へ入ると、土産物の奥にテーブルが並んでいて食堂になっていた。
「ウニ入りの海鮮丼を三つ」
 インベさんは注文をしながら席についた。
「ウニって北海道のイメージしかなかったです」
 イオリが不思議そうにインベさんに告げた。
「あっちのウニはエゾバフンウニ、ここら辺りのはムラサキウニじゃ。夏の終わりから秋口が旬だけん、今が一番美味しいわね」
「わぁー、ラッキーな時に来ましたね」
 マコトが目を輝かせた。
「ここのウニは、この崖の下で、シゲさんちゅう漁師さんが、その日に採ってくれたやつじゃ。海が荒れると採れんけん、それもラッキーじゃの」
 そう話をしているうちに、みさき丼がやってきた。
「うわぁ、これも映えますね。刺身の白身とウニのコントラストが鮮やか」
 そう言いながらイオリは、真ん中のウニを頬張った。
「美味しい!」
 マコトが先に声を上げた。
「形を整えるミョーバンが入っちょらんけん、これが本当のウニの味じゃよ」
 インベさんが、誇らしげに美味しさの秘密を明かした。

 お腹が一杯になった三人が、番茶をすすりながら会話をしていると、インベさんがカバンから何かを取り出して、神妙な顔で話し出した。
「実は、忌部家の伝承は口伝えじゃけど、一つだけ、不比等から子首の孫の鹿麻呂に宛てたと言われる、門外不出の手紙が残っちょってな。そこに、お前さんのことが記されちょる」
 その手紙には、次の内容が書かれていた。

  不思議な夢を見た。1300年後からや
 ってきた藤原マコトと名乗る娘に会った。
  その者が言うには、その時代に日本書紀
 が正史として残っているらしい。
  私は、余命幾何もない。できれば、極楽
 浄土へ行きたいものだ。
  私は、自らの偽りに対する自責の念にか
 られ、その者に真実を伝えた。
  その者は、身の丈が5尺3寸、短髪で美
 少年のよう、左の口元に黒子あり。
  忌部の子孫が永く出雲で続くならば、事
 の顛末を見届けて欲しい。

 その文書を見たイオリが呟いた。
「不比等の署名が、マコトの巻紙と一致しているわ」
 マコトは息を飲んだ。
「やっぱりそげか。これで、お前さんと不比等の出会いは証明された。じゃが出雲のネタも尽きてきたけん。特に『国譲りは二度起これり』とは、てんで見当がつかん」
 インベさんは腕組みをして首を傾けた。
「もう他には、手掛かりになりそうな場所はないんですか?」
 イオリが焦り気味に尋ねた。
「この出雲には、もう一箇所だけ、スサノオとアマテラスが祀られちょる場所がある。そこへ行ってみーか」
 三人は残ったお茶を飲み干すと、席を立って店を後にした。

3 鎮めたパワー

 一行は、海岸線を引き返し、稲佐の浜に差し掛かった。信号を通過した辺りで、インベさんが、車のスピードを緩めて二人に話しかけた。
「右に広がっているのが稲佐の浜じゃ。数々の神話の舞台になった場所じゃ。神迎祭もここで執り行われちょる」
「ここが、古代出雲の玄関口ということですか?」
 マコトが遠くの水平線を見つめながら尋ねた。
「そげじゃのう。ただ東側の宍道湖は、昔は内海じゃった。おそらく東からの船は、穏やかな内海につけたはずじゃ。だけん、ここは西の玄関口じゃ」
 インベさんは、古代出雲が交易の拠点だったことは、承知していた。
「じゃあスサノオは、ここから出発した可能性がありますね」
 イオリもいにしえに思いを馳せた。
「そげかもしれんのう」
 インベさんは、アクセルを踏んで、再び車を加速させた。
 一行は、砂浜の海岸線を横目に真っすぐ進み、国道431号線から国道9号線を右に折れ、神西湖の先を左に折れて県道39号線へ入った。
「今度は、何処へ連れて行って下さるんですか?」
 後部座席の真ん中から、顔を覗かせてイオリが尋ねた。
「スサノオの名が付いた須佐神社じゃ」
「あの有名なスピリチュアリストが、日本最大のパワースポットだと言った場所ですね」
 マコトはまた目を輝かせた。
「それは知らんが良い場所じゃ。出雲国風土記の須佐郷のくだりで、『この国は小さな国だが良い国だと言って、自分の名を付けて魂を鎮めた』とある。すなわちスサノオが晩年を過ごした場所じゃ」
 インベさんは、それ以上は語らなかった。

 長いトンネルを抜けると、須佐は目前だった。西からの神戸川と、南からの須佐川が交わる場所が町の中心地で、須佐神社は、須佐川のさらに上流にあった。神社の周りは、広くはないが、川の周辺に田畑が開けていた。
 神社の北側の駐車場で車を降りて、東側の鳥居前に回り込んだ三人は、まず正面の本殿にお参りした。
「ココが凄いのは、ウラ側じゃ」
 そう言うと、インベさんは反時計回りに本殿を巡り始めた。裏手に差し掛かると空気が一変した。まだ日は高いはずなのに、そこは薄暗くひんやりとしていた。
「なんかゾクゾクして来た」
 それが冷気なのか何なのかは、イオリにはわからなかった。
「霊感の強い先生がどう感じたかはわからんけど、ここだけは、ワシら凡人でも感じるモノがあるけん」
 インベさんは、大きな杉の木を見上げながら、息を深く吸い込んだ。
「スサノオが鎮めたパワーが、今も溢れ出しているのかしら」
 マコトは、夕べ夢で見た若いスサノオが、年老いたらどんな姿になるのか想像してみた。その瞬間に、また意識が遠のいた。

 白髪で白髭の老いたるスサノオ。住いはさほど広くはなく、身に着けている服装も質素で、飾り気は全くなかった。そして、身の回りの世話をする従者がたった一人だけ仕えていた。
「全ての職務を子や孫が引き継いでくれ、ワシの最後の仕事は、あの吉栗山に植樹をすることだけになった。思えば若い頃は、随分と酷い事もしてきたのう。ワシはオロチ族を成敗した時は、それが正義だと思っていた。蘇民将来の弟に対してもそうだ。だが、一度も話し合いをしなかったのはまずかった。人は話し合って、互いの利害が一致すれば争い事はしない。そして、時には妥協も必要だ。より平和に同盟を結ぶためには、相手が喜ぶ物資や知識を持っていることだ。オオクニヌシが成功した秘訣は、奴が医療の知識を持っていたことだ。争い事で人を殺すのではなく、人の命を救う。誰もが望んでいたことだ。ワシの息子たちも技術の伝搬には、一役買ってくれた。イタケルは、大陸を行き来しながら、航海の技術と造船の技術を会得した。その技術は、北は越、東は紀の国まで伝わった。今は、熊野に留まったと聞いておる。いずれあの辺りから優秀な船乗り達が生まれるであろう。ウカは、稲作の技術を伝えた。北へ北へと向かって、今はどの辺りに居るのやら。そして、オオドシは・・・」

 すると突然、薄暗い本殿裏に、大杉の枝間から陽の光が指してきた。マコトは眩しくて我に返った。
 その光は、プリズムのように七色に輝いた。隣のイオリもあまりの眩しさに、右手で光を遮った。木漏れ日は、二人にだけ強烈に降り注いでいた。ここに宿る神が、二人を歓迎する様が見て取れた。
 そして、オオドシの話は、敢えてここでは知らされないのだと、マコトは感じ取った。

「おーい。あっちにアマテラスが祀られちょーけん、行ってみーぞ」
 インベさんが、本殿前から二人に呼びかけた。心地よい気分に浸っていた二人は、早足でインベさんを追いかけた。三人は、本殿と対峙して祀られている、東側の天照社へと向かった。天照社の設えは、日御碕神社と比較して、とても質素だった。
「ここで重要なのは、毎年4月に執り行われる朝覲祭という神事だけん。スサノオがアマテラスのもとへ出向く祭りじゃ」
 イオリが携帯で朝覲祭を検索した。そして一枚の写真を見てインベさんに問いかけた。
「この先頭の天狗のような人は、誰ですか?」
 イオリが見せた朝覲祭の写真には、鼻高の面を被った金装束の男が、行列の先頭で露払いをするように構えていた。
「それは、おそらくサルタヒコじゃ」
 そう言いながら、インベさんは何か閃いたらしく、右の拳を左の掌にポーンと軽く打付けた。
「なるほど、記紀のカラクリは、史実が組み替えられて綴られちょる点にある。サルタヒコが導いたのは、ニニギではなくてスサノオだったかもしれん。出雲国風土記では、サルタヒコはキサカイヒメの子とされちょるから、世代はスサノオの子ども達やオオクニヌシと一緒じゃ。先導役とは、先乗り部隊のこと。写真のようにサルタヒコの導きでスサノオがアマテラスに会ったとすれば、その時期は、出雲をオオクニヌシに引き継いだ後だったかもしれん。高天原が日向にあったならば、スサノオは、壮年時代に西を目指した可能性が高くなるのう」
「その説が確かならば、不比等の謎解きに、また一歩近づきますね」
 イオリが興奮気味にインベさんに応えた。
 一方のマコトは、天照社の裏の広場に回って、山々に囲まれた蒼い土地を見回し、深呼吸をして、スサノオのパワーを存分に授かっていた。

4 旅のつづき

 一行は、宿がある松江へと引き返した。夕食どきには少し時間があったので、インベさんのお気に入りのカフェに立ち寄った。
「松江には抹茶文化が残っちょって、いい茶舗が多いんじゃが、静岡や宇治と違ってお茶の産地じゃないけん、みんな優秀なブレンダーなんじゃ。その流れを汲んでか、今は茶舗だけでなく、優秀な自家焙煎の珈琲店も多いんじゃ」
 インベさんはそう言って、住宅街の一角にある平屋建ての赤い壁のお店に入って行った。
「ワシはストレート派で、いつもブラジルを注文しちょるが、どれでも美味しいけん、好きなのを注文しないや」
 それを受けて、マコトはカプチーノ、イオリはイタリアンブレンドを注文した。程なく運ばれてきたカップを覗き込むと、マコトはラテアートの美しさに、イオリは香りの深さに歓声をあげた。
「ところで、今回の旅のおさらいをしちょくか」
 インベさんの提案に、二人はコーヒーを啜りながら同意した。
「まず、不比等から忌部家に宛てた手紙により、私が出雲に現れることを、インベさんは知っていて、出雲大社の勢溜で待ち構えていました」
 マコトが最初に語り始めた。
「インベさんは、スサノオが出雲生まれということで、スサノオの生い立ちの秘密を私達に教えてくれました。そして、その先々で、マコトが白昼夢を見るという、新たな能力が見つかりました」
 イオリが続いた。
「さらに、玉造温泉の宿で、私と一緒に寝たイオリが、私と同じ夢を見て、タイムリープを経験しました」
 マコトは、イオリと顔を合わせて確認した。
「二日目に出雲大社に行って、オオクニヌシが東征したのは、既知のこととして、御神座が西を向いていることから、九州と結びつきがあるかもしれんと推測した」
 インベさんも話に加わってさらに続けた。
「ただ、オオクニヌシと宗像のタギリヒメについて、結ばれた経緯が記紀には記されちょらんし、二人の子ども達が出雲で活躍しちょらいけん、何らかの理由で、タギリヒメの方が出雲にやって来らいたとも推測した」
「そのタギリヒメが生まれたのは、スサノオとアマテラスによる誓約だから、高天原が日向にあるならば、スサノオが西へ向かったのは、アマテラスに会いに行ったのでは、と推測して、スサノオとアマテラスの関係を探りに、日御碕神社と須佐神社へ向かいました」
 イオリが続きをフォローした。
「そして、須佐神社の朝覲祭の写真から、サルタヒコがスサノオを先導して、アマテラスに引き合わせたのでは、とも推測した。だども、今日の探索は、全て推測に過ぎんのう」
 インベさんは、肩を落として、力なく語った。
「そう言えばマコト、あんた今日は白昼夢を見たの?」
 イオリが思い出したように、マコトに問いかけた。
「うん。一度だけ見たよ」
 マコトは人差し指をだして微笑んだ。
「どこで?」
 再びイオリが尋ねた。
「須佐神社の本殿裏の大杉のところで。スサノオはお爺ちゃんになっていたよ」
 マコトは、家族のことを話すように楽しそうだった。
「どうもその白昼夢を見る場所は、スサノオが実際におった場所に限られちょるな。逆に言うと、もしも九州で白昼夢が見られたなら、そこにスサノオがおった可能性が出てくるわけじゃ」
 インベさんが新たな可能性を示唆した。
「そんなに上手くいきますかねぇ」
 マコトは疑心暗鬼だった。
「いずれにしても、出雲でのアマテラスのネタは、今のところ尽きたけん。もう一つだけ加えるとするなら、山口の萩の近くにも須佐という土地がある。地図を見るとわかーけど、出雲と九州を結ぶちょうど中間地点じゃ。そこの神山が、航行の指標だったという伝承もあるけん」
「ここから先は、私達はどうすれば?」
 マコトがインベさんに意見を求めた。
「それはやっぱり九州へ行ってみることじゃろう。特に日向のことは、ここではわからんけん」
「何を頼りに九州に行けば・・・」
 自信なさそうにイオリが呟いた。
「心配すーなや。ワシと同じ立場の者が九州にもおるけん」
 インベさんはニヤっと笑って二人に告げた。
「えっ?」
 マコトとイオリの二人が目を剥いた。
「九州には太宰府があったじゃろ。当然あそこにも朝廷からの監視役がおったけん」
「その監視役の末裔が九州にもいると?」
 唾を飲み込みながらイオリが尋ねた。
「遣隋使の小野妹子は知っちょるじゃろ。その孫の小野毛野が太宰府の初代監視役じゃ。その末裔が今、福岡教育大学の准教授をやっちょる。そいつを紹介しちゃーけん、連絡を取って尋ねて見るといーわ」
 インベさんは手帳を取り出し、連絡先を探しながら続けた。
「そいつは、なかなか面白い奴でな、太宰府そのものは900年初頭の建立だけん、古代とは関係ないが、奴は独自の研究で論文を発表し、九州の考古学会では異端児とも呼ばれちょる」
「独自の研究とは?」
 イオリは高い関心を持った。
「普通、考古学のフィールドワークと言えば、遺跡の発掘作業などを指すが、奴のは、言わば歩く考古学。古文書と遺跡の情報を頼りに、歩き回って肌で感じ取る研究をしちょる」
「面白そうですね」
 マコトも興味を魅かれた。
「あんたやつも、ここ出雲に来て、都会で思っちょったことと違う感覚があったじゃろ。多少の海面水位の違いはあるが、年を経て開発が進んでも、田舎だけん山々と平地の位置関係は、さほど変わっちょらん。その空気感を大事にして、奴は地元九州で研究を進めちょる。あんたらの道案内には、適任じゃ」
 そう言ってインベさんは、二人に九州行きを勧めた。
「これは行ってみるっきゃないね」
 イオリがマコトに顔を向けると、
「九州かぁ。楽しみだなぁ」
 マコトはまた女子旅を期待していた。

 インベさんに玉造温泉まで送ってもらった二人は、明日の約束はしなかった。その代わりに九州での調査を踏まえて、再び出雲に戻って来る約束をした。インベさんは『国譲りは二度』に関して「改めて調べてみる」と言い残して去って行った。

 宿に戻った二人は、お気に入りの浴衣に着替え、疲れを癒しに、温泉に浸かった。内風呂から露天風呂に移ったところで、イオリがマコトに問いかけた。
「ねぇマコト、今日見た白昼夢の内容は、どんなだったの?」
「お爺ちゃんになったスサノオがね、従者の人に昔話を語っていたの。若い頃に、ヤマタノオロチや蘇民将来の弟を、話し合いもせずにやっつけたのは失敗だったって。その点オオクニヌシは、医療の知識を伝えることで、相手と仲良くなるのが上手かったって。あと、イタケルは造船技術を、ウカは稲作技術を広めたって」
 マコトは湯面をグルグルかき混ぜながら答えた。
「ウカとは、ウカノミタマのことかな。越の攻略は、インベさんが言ってた通りだね。インベさんってさ、まだまだ秘密をいっぱい知ってると思うんだよね。ただ、例えば歴史のテストでさえ、満点取れる人ってなかなかいないじゃない?忌部家の伝承も、1300年の間アップデートしているうちに、間違って伝わったり、伝え忘れたことがきっとあると思うの。だから、何でもかんでも気安く言えないんじゃないのかなぁ」
 イオリは岩に腰掛けて腕組みをした。
「そう言えば、連れて行ってくれた所は、宇美社とか、宇賀・八頭・佐世・須賀で、みんなこれまで地名が残っていた場所と、神社がある場所だけだね」
 マコトも湯の中から立ち上がって、昨日と同じように、イオリの隣に並んで腰掛けた。
「サルタヒコの話にしてもさぁ、本当は頭の片隅にあったのかもしれないよ。でなきゃ、とっさにあのアイデアは出て来ないよ」
 イオリは湯に浸かった足を激しくバタつかせた。
「まあ、インベさんにも立場があるから、あんまり詮索するのはよそうよ」
 マコトがイオリを宥めた。
「それもそうだね。それにしてもさぁ、あんた白昼夢の話をする時、何か楽しそうだね」
 イオリは、マコトの顔を覗き込んで反応を待った。
「昨日からずっと生い立ちから見てるじゃない?何か他人事では無くなってきちゃった。でもね、今日は話が途中で途切れたの」
 マコトはイオリと目を合わせた。
「また、どうして?」
「光が眩しくて、目が覚めたの」
「ああ、あの急に日差しが注いだ時だ」
「オオドシの話をしようとして・・・わざと止めたような」
「どういうこと?」
「ここから先は、お楽しみに・・・って感じかな」
 マコトは、あやふやに答えて、夜空を見上げた。
「てことは、あんたの白昼夢は、スサノオに影響されていて、次は九州で答えを見つけなさいってことか」
 イオリは冷静に分析した。雲間からは、三日月が顔を覗かせた。庭の奥からは、鈴虫と蟋蟀の合唱が聞こえてきた。

 夕食を済ませ、ほろ酔いの二人は、二日間の連続した興奮状態に疲れてか、早めに床に就いた。そして再び夢を見た。

 早朝の稲佐の浜、海は凪いでいた。二十数人乗りの構造船が数十艘の船団を組んでいる。それぞれの船には、軽装の八人の漕ぎ手が左右二手に分かれて船端に並び、そこへ胴体だけを守る軽微な鎧を身に着けた男たちが十数人ずつ乗り込んでいった。浜には、これから乗船する男たちと、それを見送る家族たちが集っていた。
 男たちの中心に、歳を重ねたスサノオと思われる男がいた。その脇には、凛々しい青年の姿があった。見送る側の若夫婦が声を掛けた。
「気を付けて、いってらっしゃいませ」
「おう、数年帰らぬかもしれぬ。この国を頼んだぞ」
「お任せください」
「お兄様も、お気をつけて」
「私は出雲へは戻って来ないかもしれない。元気でな」
 それぞれの立場で会話がなされた後、手漕ぎ船の船団は、西方へ向けて出航した。

 翌朝、目覚めた二人は、冷静に会話を交わした。
「船出のシーンだったね」
 イオリが先に話を振った。
「登場人物は誰だろう?」
 マコトが応えて尋ねた。
「出発するのは、スサノオとあとは息子の誰か?」
 イオリは、白昼夢でスサノオをよく知るマコトに逆に尋ねた。
「とすると、息子らしき青年はイタケルかオオドシ。見送るのは、おそらくオオクニヌシとスセリヒメ」
 マコトはこれまでの経緯から想像した。
「西に向けて、スサノオは出発した」
 イオリは自信を深めて声を発した。
「その先で何が起きたのか、九州へ行ってわかるといいネ」
 二人は次なる旅へと期待を膨らませた。

 

 

今回はここまで。
アマテラスのイメージイラストです。

目元を大分出身の指原Pに似せてみました。アマテラスと大分の関係は、次回以降の展開で。

年老いたスサノオのイメージイラストです。

石見神楽のスサノオ面は、大蛇退治の場面なので目が吊り上がっていますが、年を重ねたスサノオは、穏やかな顔をしていたと思います。


今回のロケーションは

日御碕神社楼門
日御碕神社の楼門


日御碕神社「神の宮」の女千木

日本海丼
みさき丼

須佐神社

須佐神社 大杉
地元のカメラマン鈴木健之さんの作品です。同行していましたが、冬空から一瞬だけ日が差した奇跡のカットです。

天照社1
須佐神社「天照社」


須佐神社「朝覲祭」


昼食の「みさき丼」は日御碕の各店でたべられますが、お店のモデルは「花房商店」です。

松江は自家焙煎の珈琲屋さんが人口の割りに多く感じます。お店のモデルは「CAFFE VITA」です。

次回は九州へ飛びます。お楽しみに。

第三章 いざ杵築(きづき)へ
1 スサノオの進撃

 迎えに来てくれたインベさんの車に乗り込んだ二人は、マコトの白昼夢と夕べの夢の事を興奮気味に話し出した。
「ちょっとインベさん聞いてくださいよ。昨日マコトがね、行く先々で白昼夢を見ていたんですよ」
 まずイオリが口火を切った。
「ほお、どぎゃん夢かね?」
 インベさんは運転をしながら助手席のマコトに尋ねた。
「塩津から須我神社まで・・・」
 マコトは昨日イオリに説明した通りに話をした。
「ほお、おもっしぇのお」
 インベさんが楽しそうに返した。
「さらに夕べ、二人で同じ夢を見たんですよ」
 イオリの熱量が冷めなかった。
「昨日会った老夫婦とそっくりな二人に招かれて、八頭の屋敷に入りました。居間から庭を覗くと、屈強な八人の男たちが酒盛りをしていて、やがて酩酊したその男たちを、スサノオが成敗したんです」
 マコトが事の次第を説明した。
「ほうら、ワシが言った通りじゃろ。ヤマタノオロチは化け物ではなくて、八人の男じゃっただろ。白昼夢も夕べの夢も、大方ワシの見立て通りじゃ」
 インベさんは、意外と冷静に受け流した。
「インベさんにとっては、既知のことだということですね」
 マコトが問い質した。
「そういう事じゃ」
 肩透かしを喰ったイオリは、話題を変えた。
「ところで、インベさん。昨日はスサノオの半生を垣間見ることができました。今日は、まずオオクニヌシを追って見たいのですが」
「そうですよ。結局昨日は、出雲大社にお参り出来ていないんですよ」
 マコトは自分のご縁が優先だった。
「はっはっはっ、そげだったのう。ほんならまず大社さんに行かこいや」
 インベさんは快く受け入れてくれ、一行は出雲大社へと向かった。

 宍道湖畔を進む車の中で、『スサノオは西へ、オオクニヌシは東へ』という課題に対し、インベさんは、スサノオはまず南へ向かったと主張し、話を始めた。
「あんたやちゃ、茅の輪潜りって知っちょうかね?」
「東京では、神田明神で見たことがあります」
 まずマコトが答えた。
「確か夏のお祓いだったような」
 イオリも知っていた。
「神田明神も主祭神がオオクニヌシで、後ろにスサノオが控えちょらいけん、東京の総鎮守も出雲の神々というわけじゃ」
「で、その茅の輪とスサノオには、どんな関係が?」
 イオリが興味深げに問いかけた。
「今の広島にあたる備後国風土記からの話じゃ」
 インベさんが続けた。
「北からやって来た武塔の神が、日が暮れて宿を探していたところ、蘇民将来という兄弟がいて、裕福な弟は宿を提供せず、貧しい兄は快くもてなしてくれた。
 年を経て、再び兄を訪ねると、娘が弟に娶られているという。武塔の神は、茅の輪を差し出して、娘にそれを腰に着けているように告げ、その夜のうちに、娘だけを残して、弟一族を滅ぼしてしまった。
 武塔の神は、自らをスサノオと名乗り、『その茅の輪を持っていれば、子孫は厄病にかからない』と伝えた。これが、蘇民将来の逸話で、後に茅の輪は厄病を祓うものとして定着したんじゃ。これがスサノオ南下の証。そして、もう一つ。昨日あんたたちが夢に見たスサノオの剣。出雲は契りの証として剣を渡すけん。オロチ族から奪った草薙剣はアマテラスに渡した。そしてスサノオが使用した剣、フツノミタマは吉備に渡しちょる。岡山にある吉備一ノ宮・石上布都魂神社は、スサノオの十握の剣を祀ったのが創始とされちょる。昨日も言うたが、その後、崇神天皇の命で、大和の石上神宮に移された。こげして、スサノオの南下によって、出雲と吉備は結ばれたんじゃ」
 インベさんの語りを聞いているうちに、一行は出雲大社に到着した。

2 おおやしろ

 勢溜の前を通過して、西側の駐車場で車を降り、歩いて土産物屋の横の小径を抜けると、大注連縄が掛った神楽殿の前に出た。
「うわぁ、おっきな注連縄!」
 遠目だが、ハッキリとその大きさがわかる大注連縄を見て、マコトが歓声を上げた。
「長さは13・6m、重さは5・2tで日本最大級の注連縄とされちょる。面白いのは、縄を綯う方向じゃ。一般的には、上手は向かって右側じゃから、注連縄は右側から綯い始める。ここでは逆で、向かって左つまり西側を上位とするから、左側から綯い始めちょる。何故、西側が上位かは、後で説明しちゃーわ」
 インベさんは、話に含みを持たせたまま、神楽殿には寄らずに右に折れ、スタスタと荒垣の脇から手水舎を目指した。マコトとイオリの二人は、黙ってそれに従った。
 手水舎の傍らには、オオクニヌシと稲羽の素兎の像があった。イナバへの旅立ちは『オオクニヌシは東へ』の第一歩だった。
「イナバのシロウサギの話は、当然知っちょるじゃろうが、『大きな袋を肩に掛け♪』って童謡があったじゃろ?何でオオクニヌシが大きな袋を持っちょったか、知っちょうか?」
 インベさんが二人に唐突に問いかけた。
「なんでだろ?」
 マコトは左手を頬に当てて考え込んだ。
「オオクニヌシは、いじめられっ子だったんじゃよ。同行した八十神たちの荷物を全部持たされちょったわけじゃ」
 マコトの返しを待たずに、インベさんは正解を明かした。
「確か古事記では、従者として連れて行ったとありますね」
 イオリはインベさんをフォローした。
「優しいオオクニヌシは、文句も言わずに従って、さらに途中で怪我をしちょったウサギを助けた。ウサギはヤカミヒメの使いだったんじゃろう。ヤカミヒメは、意地悪な八十神たちよりも、オオクニヌシを選んだわけじゃ」
「みんなに優しくしていれば、それが還ってくるんですね」
 マコトは優しいオオクニヌシを思いやった。

 手水舎で清めた後、荒垣にある銅鳥居を潜って、一行は拝殿前に来た。
「出雲大社という名は明治以降に定着した名じゃ。ワシらは杵築大社と呼んじょる。ここの作法は、二礼四拍手一礼、大分の宇佐神宮や新潟の彌彦神社と一緒じゃ。賽銭は気持ちだけん、五円の縛りはない。自分の住まいと名前を言って、日頃の感謝をし、自分が努力をしていて後押ししてほしいこと、そして皆の幸せを願うことじゃ」
 インベさんは参拝の基本を教えてくれた。
「ただ素敵なご縁をお願いするだけじゃダメなんですね」
 マコトがちょっと不服そうに尋ねた。
「何も努力しちょらん奴のところにご縁など来るもんか。あんたたちが頑張っちょーとこ、人に優しくしちょーとこ、それが見初められて、ご縁は生まれるもんじゃ。あと、杵築のご縁は男女だけのご縁じゃないけん。仕事だったり、友達だったり、人生のあらゆるご縁を結んでくれる。どれもあんたやつの行い次第じゃがな」
 インベさんは悟りを開いているかのように説いて見せた。拝殿を反時計回りに進むと、水舎があった。
「ここだけの話じゃがの、さっきの手水舎の水は水道水じゃが、この水舎の水は禁足地・八雲山の湧き水じゃ。ここで十分パワーを充足できるけん」
 それを聞いた二人は有難く手を濯いだ。

 本殿の前に立って、インベさんの解説は続いた。
「この丸い敷石が三つ組まれて、大きな一つの円になっちょるじゃろ」
「いくつか並んでいますね」
 マコトは辺りの地面を見回した。
「これは、昔の本殿の柱の跡じゃ。昔は、雲太・和二・京三といって、建物の高さを『口遊』という歌にした。京都の平安神宮の大極殿が三番目、大和の東大寺の大仏殿が二番目、一番大きな杵築大社の本殿は、今の倍の高さ、48メートルあったといわれちょる」
 マコトとイオリは、本殿のはるか上を眺め、その姿を連想した。しかし、ここでは、マコトが夢に落ちることはなかった。

 お参りを済ませた一行は、本殿の周りを巡り始めた。
「正面に見える横長の社が東十九社。神在祭にお越しになった神様が泊まる所じゃ。次に釜社、ウカノミタマが祀られちょる」
 さらに進むと、インベさんは急に振り返った。
「たまに振り返ると、いいもんが見られる。ここからは、瑞垣の中のほとんどの社が眺められるけん」
「荘厳ですね」
「これで高さが倍だったら、もっと凄いね」
 マコトとイオリの二人は、それぞれの感想を言い合った。
「一番東の社が天前社。キサカイヒメとウムカイヒメが祀られちょる。オオクニヌシがイナバへ行ってヤカミヒメと結ばれると、他の八十神たちは面白くないわのう。だけん、出雲に帰る途中で、オオクニヌシを殺そうとするんじゃ。大やけどを負ったオオクニヌシに、貝の汁を塗って助けたのが、この二人じゃ」
「古事記では、オオクニヌシは一度死んだことになっていますよね」
 イオリが受けて応えた。
「そげじゃ、蘇生して麗しく逞しく生まれ変わった。蘇りとは、黄泉返りじゃの」
 インベさんは続けた。
「その隣が御向社。オオクニヌシの正妻スセリヒメが祀られちょる。オオクニヌシは八十神たちにさらに命を狙われ、スサノオに助けを求めるんじゃが、そこで出会ったのが、スセリヒメじゃ。彼女はオオクニヌシに一目惚れしたんじゃの。スサノオ一族は、末子相続で末っ子が相続権を持つけん。スサノオにとってスセリヒメは大事な跡取りじゃ。どこの馬の骨ともわからん奴に娘をやるわけにはいかん。だけんスサノオは、オオクニヌシに色々な試練を課したんじゃ」
「蛇の部屋や蜂の部屋に閉じ込められたり、挙句の果てに入った森に火を放たれたり、オオクニヌシは大変な思いをしたんですよね」
 マコトは昨日の復習どおりに受け答えた。
「でも、スセリヒメの助言やネズミの協力で難を逃れた」
 イオリがそれを補足した。
「医療の知識に長けているなど、本人の実力も凄いが、さらに周囲の人や動物が助けてくれる。それこそが、オオクニヌシの最大の魅力じゃ。大いなる優しさが、ご縁を生み出すんじゃ」
 インベさんの言葉に、マコトとイオリの二人は、この『大社(おおやしろ)』のパワーの源を見た気がした。

 本殿の真後ろの少し高い位置にも社があった。そこには行列ができていた。
「ここが素鵞社。スサノオが祀られちょる。ワシらが若い頃は、地元の人しか、お参りせんかったが、今はSNSで最大のパワースポットとか言われて、この有り様じゃ」
 インベさんは呆れたように言い捨てた。
「このお社も後ろに回れてな、裏山の磐座が剥き出しになっちょる。そこが禁足地・八雲山に直接触れられる場所じゃ」
「だからパワースポットなんですね」
 マコトは興味津々だった。
「ところで、出雲大社は、なぜ最初の王のスサノオではなく、オオクニヌシが主祭神なんですか?」
 イオリは別の部分に興味を持った。
「いい質問じゃ。それこそが不比等の仕業じゃ。不比等が仕えた天皇は、女帝か子どもじゃった。つまり、太政大臣の不比等が実権を握っていた。古事記と日本書紀の編纂は、表向きは天皇家の正統性を示すものじゃが、裏向きは藤原氏と中臣氏の権力を安泰にすることが目的じゃった。大宝律令の制定、記紀の編纂、そして出雲国造神賀詞の奏上はワンセットになっちょる」
「出雲国造神賀詞って、昨日言ってた?」
 マコトが問いかけると、
「716年、第24代出雲国造果安が元正天皇に対して、これを奏上し服従を誓った」
 イオリが昨日の話を確認した。
「イオリ先生は、ちゃんと覚えているんだね」
 マコトはイオリの顔を伺った。
「じゃあ、杵築大社が大きなお社になったのは、いつ頃か知っちょうか?」
 インベさんが、また二人に質問した。
「いつだろう、古墳時代とか?」
 マコトが感覚的に答えた。
「その時代には、高層建築の技術はまだないけん。出来たのは東大寺の大仏殿と同じ8世紀じゃ。だけん果安の奏上は杵築大社完成の報告じゃ。不比等は、記紀の内容を正当化するために、荘厳な杵築大社を作り上げた。そして、記紀のストーリーからすれば、当然、主祭神はオオクニヌシとなるわけじゃ」
「それも忌部家に語り継がれていることなんですか?」
 イオリが息を飲んで尋ねると、インベさんは、ゆっくりと頷いて、
「そげじゃ」
 と、言い放った。

3 雲いづる処

 素鵞社を後にした一行は、本殿の西側に差し掛かった。
「ここにも拝所があるが、昔はなかったけん。オオクニヌシが西向きに鎮座しちょるのを知っちょう地元の者だけが、ここで立ち止まって拝んじょったんじゃ。さっき注連縄を綯う向きの話をしたじゃろ、御神座が西向きなのが関係しちょるわけじゃ」
「何故、オオクニヌシは西を向いているんですか?」
 マコトは素朴に疑問を投げかけた。
「諸説あるが、正解はわからん。ただ、この先にあるのは稲佐の浜じゃ。浜にやって来るのは、スクナヒコナじゃったり、奈良の三輪山の神様じゃったり、神の使いの龍蛇様じゃったり、神在月の神々じゃったり様々じゃ。ただ、ワシはその先の九州との関係を疑っちょる」
「オオクニヌシと九州の関係は?」
 珍しくマコトが続けて尋ねた。
「本殿の西側にある社は、筑紫社というて、タギリヒメが祀られちょる」
「記紀で、スサノオとアマテラスによって執り行われた誓約という占いで生まれた宗像三姉妹の一人ですね」
 イオリはインベさんの助手のように応えた。
「そげじゃ。そして古事記では、オオクニヌシとの間に子どもを設けたことが記されちょる。じゃがな、子どもを産んだ以外の記述が何もないんじゃ。つまり、オオクニヌシが西へ動いた記録が見当たらん」
「その子どもたちはどうしたんですか?」
 再びマコトが尋ねた。
「タギリヒメは、アジスキタカヒコネとシタテルヒメを生んだ。そして二人とも出雲で活躍しちょらいわ」
「では、タギリヒメの方が出雲にやって来た可能性がありますね」
 イオリが投げかけた。
「確かにそげじゃが、理由がわからん。不比等が言う通りに『スサノオが西へ』行ったのだとしたら、そこら辺りに答えがあるかもしれんの」
 残念ながらインベさんでも解き明かすことができなかった。

 インベさんは話題を変えた。
「じゃがな、『オオクニヌシは東へ』の足跡は確かにある。イナバへもそうじゃが、その先の越の国へ足を伸ばしちょる」
「古事記のヌナガワヒメのお話ですね。歌で口説き落としたという」
 すぐにイオリが反応した。
「今の糸魚川市の辺りに流れちょる姫川は、ヌナガワヒメがその名の由来じゃ。そこは翡翠の産地じゃった。姫取りは、すなわち征服か同盟を意味するけん。オオクニヌシは越の翡翠を手に入れたわけじゃ」
「昨日のオロチ族が越の一族だったとしたら、越の方が、優位性が高かったんじゃないですか?」
 すかさずイオリが疑問を呈した。
「イオリ君はさっきから鋭いのう。おそらくじゃが、鉱物の加工技術は高かったかもしれん。しかし、あっちの方は気候が厳しい。今でこそ米処じゃが、農作物を育てる技術は劣っていたはずじゃ。それを改善したのはウカノミタマ。そして、オオクニヌシは医療の知識を広めた。イタケルが造船の技術を伝えたという伝承もある。スサノオ一族の総力をもって、越を落としたんじゃ」
「やっぱりみんながオオクニヌシを助けるんですね。凄いなぁ」
 マコトは、オオクニヌシの結びのパワーに、感心するばかりだった。

 本殿を一周したところで、インベさんは再び振り返った。
「ここから本殿を眺めるのが一番綺麗だけん」
 快晴の下、遷宮を終えて間もない本殿は、茶色いはずの檜皮葺きの屋根が、黄金色にキラキラと輝いていた。
「その後ろに控えちょるのが八雲山じゃ」
 トンビが二羽、気持ちよさそうに舞っていた。
「八雲山の上空をよーく見てみい」
 インベさんの指示に対し、マコトとイオリの二人は目を凝らした。
「トンビが浮いて見えるのは、上昇気流が発生しているからだけん。他に何か見えらんか?」
「少し霞がかかっているように見えますね」
 薄目にしたマコトが応えた。
「本当だ。うっすらと白い煙が立ち上っているような・・・」
 イオリも気が付いた。
「そげじゃ。あれが、雲が生まれる最初の現象じゃ」
「雲が生まれる。雲いづる」
 二人が呟いた。
「出雲の名はイメージじゃなくて明らかな現象じゃ。それと同じで、古代出雲の存在は、幻ではなくて真実だけん」
 インベさんの言葉に、マコトとイオリの二人は、スサノオとオオクニヌシの存在を改めて実感した。

「今日は風が東から吹いとるけん、さらに珍しい現象が見られるのう」
 インベさんが続けた。
「東から流れてくるひつじ雲のもっと上空を見てみい」
 マコトとイオリは、さらに上を見上げた。
「いわし雲が西から流れてる」
 マコトが呟いた。
「確かに。いわし雲とひつじ雲が交差しているように見えるね」
 イオリも視認した。
「高い雲は偏西風の影響で西から東へ流れ、低い雲は今日の風向きで東から西へ流れちょる。出雲が中心だった頃の古代の人々の交流を見ているようじゃのう」
 インベさんの言葉の一つひとつが、マコトとイオリの心に沁み入った。
「その流れを作ったのがスサノオとオオクニヌシだったのだと、不比等は二行目で伝えたかったんだね」
 マコトはイオリの横顔を伺った。
「それを確かめるために、私たちはここへ来たんだよ」
 イオリはマコトを見返して確認をした。
「二千年の年を経たご縁じゃのう」
 インベさんは、二人がスサノオの意志でここに来ているのだと感じていた。

 

 

今回はここまで。
オオクニヌシとスセリヒメのイメージイラストです。

男神はモデルがなくても描けるのですが、女神にはモデルがいます。
スセリヒメのモデルは声優アイドル=LOVEの髙松瞳さんです。
ただし、本作品ではスセリヒメの声の出演はほぼありません。

今回のロケーションは

出雲大社本殿後方
振り返って見る出雲大社



雲いづる八雲山


トンビ舞う八雲山

八雲山の表現は全て実際に見た事象です。
雲が交差する動画も撮ったのですが、スマホの画角では分かりにくかったです。

この場所は、いつ行っても違う景色が楽しめます。

ちなみに、

先日の「VIVANT 第5話」の乃木の両親の写真はここで撮られていますね。

 

 

あと、
出雲大社の御神座が西を向いている理由には、諸説ありますが、第八十二代出雲国造 千家尊統氏が著書「出雲大社」において「西方九州方面との関係も考えなくてはならない」と記されています。


次回は出雲のアマテラスを探ります。
お楽しみに。

第二章 スサノオの足跡
3 スサノオが舞った

 県道25号線を引き返しながら、インベさんが二人に質問をした。
「じゃあ、スサノオがクシナダを守った後、二人はどげした?」
「須賀に住んだ」
 マコトとイオリは声を合わせて答えた。
「ブー。記紀ではそげだけど、須賀に移る途中に立ち寄った場所がある。今からそこへ行くけん」
 そう言うとインベさんは、県道が右にカーブする所を直進して、細い道へ入っていった。車がやっと一台通れるほどの山道を抜けて、小学校のグラウンドが見えたところで、インベさんは車を止めた。
 車を降りた三人は、その背後にある小高い丘の脇の小径を、歩いて登って行った。勾配は緩かったが、思った以上に奥行きがあり、登り切った三人は息が上がっていた。
「ここは佐世神社。ここでスサノオはクシナダに舞を披露したんじゃ。その時に、髪に飾っちょった佐世の葉が落ちた。だけん、この地は佐世というんじゃ」
「素敵なお話ですね」
 マコトは深く感じ入った。
「これも出雲国風土記に載っちょる話じゃ」
 そう言いながらインベさんは、本殿に向かって右側の石段を降りて行った。マコトとイオリの二人も後を追った。
「佐世の木とはオガタマノキで、今でもこの森にはたくさん生えちょる。そして椎の木が、今ではこの社の御神木となっちょる」
 インベさんは、神聖な森を見渡しながら説明をした。
「スサノオはここで舞ったのかしら?」
 イオリが、森の中にポツンと広がった小空間の真ん中に立った。
「せっかくだけん、何か踊ってみ」
 インベさんが悪戯っぽくイオリに告げた。マコトは、すぐに携帯を取り出して、イオリが踊れそうな曲を探した。
「ねえ。『君に見える景色』と『虹の素』のどっちがいい?」
「じゃあ『君に見える景色』で」
 二人は大学時代にダンスサークルに所属していた。コンテンポラリーダンスを得意とするイオリは、深呼吸をして息を整えた後、マコトの携帯から発する楽曲に合わせて、臆することなく踊り始めた。
 ターンをするイオリのロングスカートの裾が、フワッと舞って、森の香りの吸収と拡散を繰り返した。森の木陰を縫った柔らかな木漏れ日が、スポットライトのようにふわりとイオリを照らした。
 うっとりとイオリを見つめるマコトは、また夢の中へと入っていった。

 広場に篠笛の音が響き渡った。真っ暗闇の中、篝火に照らし出された青年が、鋼の太刀を振って舞っている。青年は今まで見てきた男だったが、表情は少し柔和に見える。オロチを成敗したあと、残党の反撃を避けて、ここまで避難して来たのだろう。
 老父が篠笛を奏で、老女は手で拍子をとり、その傍らに華奢な美しい娘が大人しく控えていた。娘はオロチの生贄になる身として、老夫婦によって飾られていた。
 初めは膝を抱えて蹲っていた娘だが、篠笛の音筋と手拍子の鼓動、そして舞い手の熱情で、背筋を直して面をあげ、気がつくと舞う青年の動きを目で追っていた。
 娘の眼差しが、オロチに手込めにされる恐怖から、自分を救ってくれた青年に対する信頼感で、好意に満ちてきた。
 ここは正しく、若い二人が契りを結ぶ、祝言の場となった。

「うまいのう!」
 イオリが踊り終えると、インベさんが拍手を送った。その音でマコトは夢から覚めた。
「もう、何やらせんの!」
 イオリは照れ臭そうにマコトを小突いた。
「スサノオが舞ったのが見えたよ」
 マコトは、舞うイオリとスサノオをオーバーラップさせていた。
「石見神楽でもオロチを退治した後に、スサノオが喜びの舞を舞うんじゃ。記紀で最初に舞ったのはアメノウズメじゃが、出雲神話で最初に舞ったのはスサノオだけん」
 ここはとっておきの場所らしく、インベさんの声にも力がこもっていた。それぞれが余韻に浸りながら、三人は丘からの石段をゆっくり降りて、車に乗り込んだ。

4 清々しい場所

 JR木次線を跨いで県道24号線に戻ると、東へ車を走らせ、ものの10分もしないうちに、須我神社に到着した。
 この地は、山々に囲まれて、単独の平野部は決して広くはなかった。しかし、俯瞰で見ると、沢が五つ六つこの地に向けて集約していて、複数の盆地と結ばれていた。それらを総じて、大きな集落が形成され、おそらく外敵からの防御を主眼に置き、家族の安全が確保されていた。
「スサノオとクシナダはこの地で愛を育んだ。スサノオが『清々しい』と言ったけん、ここの字名は須賀じゃ。地名はウソをつかん。昔は当て字が多かったけん、神社の名が須我かもしれんが、そこはよくわからん。そして、『八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を』と歌ったのもここじゃ」
 境内に向かう石段を登りながら、インベさんが説明してくれた。
「古今和歌集の序文で、紀貫之が、日本で最初の和歌だと認めていますね」
 イオリがインベさんの言葉を受けて話を広げた。
「あの序文で重要なのは、『人の世となりて』という表現じゃ。貫之の時代には、スサノオは神ではなくて、人として認識されちょったわけじゃ」
 インベさんは貫之の時代の解釈に注目した。
「出雲神話は、神々の話ではなくて、実在した人々の話なんですね」
 マコトがしみじみと語った。
「古今和歌集が完成したのが905年頃とされちょーけど、案外その頃は、古代出雲の真実を知っちょる人が、たくさんおったかもしれんのう」
 インベさんは忌部家の存在意義を自虐的に皮肉った。
「それが、千年以上たった今、『記紀』だけが生き残って、私達を翻弄している」
 イオリは切ない気持ちになった。
「その不比等の呪縛を解くために、お前さんは、ここへ来たんじゃろ?」
 インベさんは、ちょっと大袈裟にマコトに話を振った。
「やめて下さいよ。私は、そんなつもりはないですよ」
 呑気なマコトは即座に否定した。
「まあ、どう扱うかは、お前さんの自由だけん」
 インベさんは笑いながら本殿へと向かった。
「スサノオはここで、八人の子どもを育てた。京都の八坂神社に祀られちょる八人じゃ。全員がクシナダの子であるかどげかは不明じゃが、八人はここで育った。うち五人は男子じゃ」
「古事記では、オオドシとウカノミタマは、カムオホイチヒメの子となっていますね」
 イオリはインベさんに解釈を求めた。
「それも本当かどげかはわからん。この須我神社内の若宮神社には、五人の男子のみが祀られちょる。昔は境内に五つの社があったが、今は合祀して若宮神社のみじゃ。五つの社の名は、火守、木山、琴平、稲荷、秋田。祭神は、火守はヤシマヌ、木山はイタケル、琴平はオオドシ、稲荷はウカノミタマ、秋田はイワサカヒコじゃ」
「オオクニヌシこと、オホナムチは?」
 マコトは一般的な疑問を呈した。
「オホナムチは古事記に記されちょるとおり、スセリヒメのムコ殿だけん、ここにはおらせん」
 そう話をしている間に、夕暮れ時が近づいてきた。清々しさよりも、少しもの悲しさを感じる時間になっていた。カラスの群れが、山々に散っていき、虫の鳴き声が寂しさを助長した。そんな中で、マコトはまた軽く落ちていった。

 山々に囲まれた土地ながら、山際まで田畑が整う中、小高い丘の上に比較的大きな屋敷があった。屋敷の前には、幾重にも垣根が設けられていた。屋敷の周辺からは、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
 一番大きな男の子が、二人の弟を従えて木の枝を振り回して遊んでいる。父親らしき男に寄り添って農作業を手伝うのは、男の子が二人と女の子が二人。家の中には、母親にべったりと付いて離れない女の子もいた。八人の子ども達は、すでにそれぞれの将来を見据えていたのかもしれない。
 屋敷の縁側には、老夫婦が腰を掛けている。既に見覚えのある老夫婦と若夫婦、そして、その子どもたちが平和な生活を営んでいた。
 日が昇るにつれて、四方の沢を伝って村人が集まってきた。人々は屋敷の前の広場で、それぞれの座を設け、物々交換を始めた。人と物資がさらに賑わいを呼び、大きな市場が形成されていった。

 マコトは今日一日、ある男の生い立ちを、まるで蜃気楼を見ているように追っていた。全ては、スサノオ所縁の地での出来事だった。マコトは、その男こそがスサノオであると認識していたが、夢心地の体験は、まだゆらゆらしていて、確信には至っていなかった。
 一方イオリは、マコトの気分が優れないのではないかと案じていた。
「あんたやちゃ、いつまで出雲におるかね?」
 そんな二人にお構いなしのインベさんが問いかけた。
「連休最終日の明後日までいます」
 正気に戻ったマコトが答えた。
「そげなら明日も案内しちゃーけん、今日はこれまでにすーか」
「はい、ありがとうございます」
 イオリがインベさんにお礼を言った。
「今夜は何処に泊まーかね?」
「玉造温泉です♪」
 インベさんの問いに対し、マコトが弾むような声で答えた。いつものマコトが戻ってきて、イオリはちょっとホッとした。
「そーならここからすぐだけん、送っちゃーわ」
 そう言ってインベさんは、二人を車に乗せた。

5 かたちキラキラしき湯

 インベさんは、入口に日本庭園を設えた純和風の旅館の前に車を寄せた。明朝、迎えに来てもらうことを約束して、二人はインベさんを見送った。
 ロビーへ入ると、女将らしき女性が笑顔で迎えてくれた。二人はフロントで手続きを終えると、その晩に着る浴衣を選ぶことにした。マコトは葵色、イオリは萌黄色の浴衣をチョイスして、部屋へと案内された。客室の佇まいも落ち着いていて、可愛い工芸品に囲まれていた。
 
 二人は早速さっき選んだ浴衣に着替えて、温泉へと向かった。
 太い二本の柱で支えられた高い屋根の下に広がる大浴場。6メートル四方はあるかという大きな正方形の湯船。その真ん中からは、社に設えた給湯口から豊富な湯が溢れ出ていた。そして、大きなガラス窓の向こうに見える日本庭園と露天風呂。女子旅を満喫したい二人にとっては、理想的な温泉だった。
「うわぁーひろーい」
 マコトは見たままを口にした。
「宿の評価で、お風呂が占める比率は高いけど、ここはポイント高いね」
 対称的にイオリは、独特な想いを漏らした。
 二人は体を洗い流し、まずは内風呂の湯船に浸かった。
「うわぁー、入った瞬間に肌がツルッツルになる。何コレ?」
 マコトは初めての感覚に驚いた。
「『日本最古の美肌の湯』らしいよ」
 イオリがさっき得たばかりの薀蓄を語り出した。

 ひとたび濯(すす)げば
 形容端正(かたちきらきら)しく
 再び湯浴(ゆあ)みすれば
 万(よろず)の病(やまい)ことごとく除こる
 古(いにしえ)より今に至るまで
 験(しるし)を得ずということなし
 かれ くにびと 神湯というなり

「インベさんお得意の出雲国風土記に、そう記載されているらしいよ」
「へぇ、日本最古なんだぁ」
 感心するマコトに対し、イオリはさらに薀蓄を重ねた。
「違うの、厳密には日本最古ではないの。古事記や日本書紀に記されている温泉は、435年の道後温泉、631年の有馬温泉、658年和歌山の白浜温泉があるの。出雲国風土記の完成は733年だから最古の温泉とは言えないの。でもね、古い三つの温泉は、温泉が湧き出たことは記されているけど、その効能までは記載がないの。玉造温泉は、効能が記載されている最古の温泉だから、『日本最古の美肌温泉』って言うワケ」
「もう、イオリ先生は何でも知ってるね。ホント感心するわ」
 マコトは、お湯を腕に掛けながら、半分呆れ顔でイオリを褒めた。

 露天風呂に移った二人は、暗くなった日本庭園に溶け込むように湯に浸った。そして、今日あった出来事を思い返した。
「ねぇマコト、今日は最後の方でぐったりしていたけど、大丈夫?」
 イオリは、湯浴みしながら、マコトに問いかけた。
「あのね。最初の塩津で、ほんの一瞬だけど、昔の風景が見えたって言ったじゃない?」
 湯面をチャプチャプさせながら、マコトが応えた。
「私が白昼夢って言ってたやつだ」
「そう、それを見たのが、一回や二回じゃないの」
「えっ?」
 体に湯をかけていたイオリの手が止まった。
「最初、塩津で男の子が生まれて、宇美神社の裏で少年が剣術を学んでいて、八頭では少年が青年になって老夫婦と打合せをしていて、佐世では、その青年が剣を持って舞っていて、須賀では大家族になっていたの」
 マコトはそう言いながらも、右手は湯面で遊んでいた。
「あんた、それってスサノオの半生を見てきたんじゃない?」
 イオリは興奮して熱くなったのか、半身を起こして、露天の岩に腰を掛けた。
「でもね、スサノオって確証がどこにもないんだよね」
 マコトも湯の中から這い出るように、イオリの横に座った。
「インベさんの話が本当なら、その人物は、スサノオ以外には考えられないよ」
 イオリは上気した顔でマコトに訴えた。
「うーん、それだと凄いけどね」
 白昼夢を体験したマコトの方が、逆に疑っていた。しばらくの沈黙の後、二人は、並んで空に浮かぶ月を見上げた。
「白昼夢は謎かもしれないけど、旅の初日にしては、収穫がたくさんあったね」
 イオリは、足で湯をかき混ぜながら、改めてマコトに話しかけた。
「インベさんのお陰だね。明日も楽しみだぁ」
 マコトは、バンザイをしながら上半身を伸ばして、喜びを露わにした。

 夕食を終えて、まったりとした二人は、部屋で明日の行動を確認した。
「今日はスサノオの生い立ちが確認できたから、明日はオオクニヌシの番だよね」
 イオリはインベさんの言動を信じ、スサノオの存在を確信していた。
「そうだよ。結局、出雲大社にはまだお参りしていないんだよ。私のご縁はどうなるの?」
 イオリの意図とは違う理由で、マコトも激しく同意した。
「あんたのご縁は置いといて、明日は二行目の『スサノオは西へ、オオクニヌシは東へ』を解明したいよね」
「大丈夫だよ。インベさんが全て解き明かしてくれるって」
 マコトはあくまでも楽観的だった。やがて二人は床に就いた。そして同じ夢を見た。

 薄暗い森の中に松明が見える。それに照らされて、今日会った老夫婦が手招きをしている。マコトとイオリの二人は、誘われるがままに屋敷の中へ入って行った。
 居間に通されると、縁側の外から賑やかな声が聞こえてきた。二人がそっと覗き込むと、庭では八人の屈強な男たちが酒盛りをしていた。玉座に設えた八つの台座に座る男たち。中心部のより煌びやかな台座にいるのが大将であろう。その周りで使用人たちが慌ただしく料理や酒を運び込んでいた。
 男たちが酌み交わしている酒は、どうやら老夫婦が醸し、附子を仕込んだ特別な酒だった。しばらくすると、男たちは皆、ウトウトとし始める。いつの間にか使用人たちは姿を消し、辺りは静まりかえった。外を覗き込む二人の横に、老夫婦もやってきた。
 庭の門が静かに開き、一人の若い男が入ってきた。眉が濃く、目鼻立ちがくっきりとした若者は、剣を抜き、居眠りする男たちに近づいていった。老夫婦はその若者を拝みながら、「あれがスサノオだ」と教えてくれた。
 スサノオは、片っ端から素早く男たちを切りつけていく。相手の人数が多いので、一撃で仕留めるために首を狙っている。大量の返り血を浴びるスサノオだが、生まれ持った感覚か、一切動じる事はなかった。
 突然五番目の男が悲鳴を上げた。それに気が付いた大将格の男が目を覚まし、フラフラと立ち上がる。スサノオはあとの二人を、より冷静により迅速に仕留め、正気を取り戻した大将格の相手と対峙した。
 一対一の戦いで、最初の太刀を交えた時に、スサノオが持つ剣の先が欠けてしまう。絶体絶命のピンチの中、スサノオは素早い動きで、相手の上段からの太刀の切っ先をかわし、間合いを詰める。そして短くなった剣で、相手の脇を突き刺した。
 さらにスサノオは、崩れ落ちた相手の背後に回り、喉を引いてとどめを刺した。最後に屈した相手の鋼の剣を奪い取り、天に向けて突き上げた。

 翌朝、まだ眠っていたマコトをイオリが揺すり起こした。
「ねぇねぇ、マコト起きて。変な夢を見たんだよ」
 寝ぼけたマコトが目を擦りながら、イオリを見上げた。
「何?朝早くから」
「ス、スサノオのオロチ退治の場面が夢に出てきた」
 イオリが興奮してマコトに話し掛けると、マコトは一気に体を起こし、
「それ、私も見た!」
 と、イオリを指さした。
「昨日会った老夫婦が出て来てさぁ・・・」
 イオリが話すのを遮るように、
「中庭で八人の男を次々と・・・」
 マコトも興奮して話し出した。
「何?私も一緒にタイムリープしたわけ?」
 イオリが急に不安げな表情になった。
「でも、何も証拠がないよ。今回は何も貰ってないし」
 そういうマコトの肩にイオリが手を伸ばした。
「これは何?」
 イオリが40センチ程の白髪の毛をつまんで言った。
「あのお婆さんの髪の毛かも」
 マコトは夢の中の老夫婦の姿を思い返した。

 お茶を飲んで一息ついた二人は、夕べ見た夢が本当の出来事であったのだと感覚的に納得していた。
「ねぇマコト、夕べの夢とあんたが昨日見た白昼夢は、整合性があったの?」
 イオリが真剣な眼差しでマコトに迫った。
「うん。やっぱりみんなスサノオだった」
 マコトも真面目に頷いた。
「そっかぁ。白昼夢もやっぱり能力なんだぁ。ん?ところであんた、クシナダも見たの?」
「うん。佐世でみたよ」
「え、どうだった?」
 イオリは興味津々だった。
「うん。篝火に照らされていたけど、中々の美人さんだったよ。スサノオもイケメンだったしね」
 マコトは、若くて凛々しいスサノオと、美しく嫋やかなクシナダを絶賛した。

 

 

今回はここまで。
クシナダのイメージイラストです。

最初は有村架純をイメージして描き始めたけど、華奢にしたら10代の頃のまゆゆっぽくなりました。

今回のロケーションは
佐世神社3
佐世の森
佐世神社は観光には誰も訪れない静かな神社ですが、出雲国風土記に載っている由緒ある社でスサノオが舞った場所とされます。
須我神社
須我神社


界 玉造
私は昔の「華仙亭有楽」の時代しか知らないのですが、現在は星野リゾートの「界 玉造」として女性に人気のある宿です。

 

次回は、

出雲大社にお参りします。お楽しみに。

第二章 スサノオの足跡
1 生誕の地

 国道431号線を東へと向かう車の中で、インベさんが二人に話しかけた。
「あんたやつも知っちょうだろうが、天上界に高天原があるとか、島根が根の国で死者の国とか、記紀には、じゃじゃばっか書いてあーが?」
 マコトとイオリの二人は、インベさんの出雲弁が解らずにポカンと口を開けた。それに気が付いたインベさんは、
「あー、ウソばっかりという意味じゃ。だけどウソばかりかというと、そうでもないけん面白い。だけん、あんたやつに真実の現場を見してあげーわ」
「うわー、何かワクワクするね、マコト」
 イオリは後部座席からマコトの肩を叩いて喜んだ。
「だから言ったじゃない、神様がインベさんを引き合わせてくれたんだよ」
 マコトの自信がどこから来るのか、イオリには理解不能だった。
「ワシもあんたやつがおらんと、この話は後継ぎにしかできんけん、こげして話ができて嬉しいわね」
 インベさんは楽しそうに二人に話を向けた。

 車は旧平田市の市街地を左に折れ、しばらく進むと海へ出た。大きな湾の東の先端は、断崖絶壁になっていて、その頂きだけに松の緑が生えていた。
「あの先端を十六島と書いて『ウップルイ』と言うんじゃが、昔あそこに、大陸から船が流れ着いた。その船に十六人の僧侶が乗っちょったから、この名が付いたんじゃ。断崖絶壁という意味の朝鮮語『ウルピロイ』をこの字に当てた。だけん、この辺りは、潮の関係で、大陸から自然に船が流れ着く場所なんじゃ」
 インベさんは、そう説明しながら海岸沿いをさらに東へと進んで行った。

 塩津という漁港でようやく車が止まった。海岸端の平地はわずかで、海岸に向けてせり出した山の斜面に、集落が点在していた。港は、湾状になった自然の漁港ではなく、防波堤で囲った中に、小さな漁船が数隻停泊していた。沖に目を向けると、ほぼ180度水平線が広がっていた。
「あそこに祠があるじゃろう。今は石上神社じゃが、昔は宇美社といった。スサノオが生まれた場所だけん『産み社』じゃ」
 インベさんが、崖下を指さして二人に告げた。
「えぇっ?スサノオはここで生まれたんですか?」
 イオリは辺りをキョロキョロと見回した。
「そげじゃ。スサノオの両親は大陸からここに漂着した。母親は身重だった。流れ着いた船の中で、スサノオを生んで死んでしまったんじゃ。記紀でイザナミが火の神を産んで亡くなるじゃろ。あれは、この真実の焼き直しじゃ。スサノオが母親に会いたがるのも、ここからきちょる。さらに古事記にオオゲツヒメの話があるじゃろ。体から穀物を出すのが気持ち悪いと、スサノオが殺してしまい、血の海の中からカミムスビが穀物の種を拾い集める話。あれは、漂着した船の中で、母親がスサノオを産むときに流した血の中から、積んであった穀物の種を、父親が拾い集めた話を、すり替えたんじゃ」
 マコトは、インベさんの語りを聞きながら海の彼方を眺めていた。すると目の前の青空が急に暗くなった。

 強い西風が頬に吹き付け、さっきまであったはずの防波堤が消え、岩場に打ち付ける激しい波の音だけが鳴り響いた。海の彼方を見ると、丸太をくり抜いた一艘の船が、荒波に弄ばれながら、少しずつ岸壁に近づいてくる。船上では、髭面の男が、鬼の形相で櫂を漕ぎ、波に逆らって船先を岸へと向けている。
 あと、十数メートルまで岸に近づいたところで、男は体中に縄を巻きつけて、荒海へと飛び込んだ。男は全身で船を引きながら、藻掻き泳いでついに上陸を果たした。
 男は、船と結んだ縄を体から解き落とし、近くの尖った岩に括り付けると、反対の端を手繰り寄せ、着岸した船に再び飛び乗った。
 そこには横たわる女の姿があった。喘ぐ女の股間から赤子の頭部がのぞいていた。男は心配そうに女に近づいたが、女はそれを跳ね飛ばして、力み切った。
 女の悲鳴と入れ替えに、赤ん坊の泣き声が、波音を掻き消すように、辺りに響き渡った。男は血まみれの赤ん坊を抱き上げ、海に漬けて体を濯ぎ、天に向けて差し出した。

「マコト!どうしたの?」
 イオリの声で正気に戻ったマコト。
「あれ?どうしたんだろ?」
「なんか一瞬ボーッとしてたよ」
イオリが心配そうにマコトの顔色を伺った。
「う、うん。一瞬だけどね、インベさんか言ってたシーンが見えたの」
 マコトは、今起きた出来事をイオリに説明した。
「何?それ!白昼夢ってやつ?それも新しい能力なの?」
 イオリは、驚きを隠さずにマコトに問いかけた。
「うーん。わかんない」
 マコトは肩を窄めてとぼけてみせた。

 その後のスサノオの足跡を追おうと、インベさんは二人を車に乗せ、さっき来た道を引き返した。海沿いの道を後にして、一山越えた所の神社の前で車を止めた。
 神社の西側には、山が迫っていたが、湧き水が豊富らしく、目の前の川の流れが急だった。川の下流に向けて、平地が開けていて、辺り一面に水田が広がっていた。
「ここは、宇賀神社。ここの住所は口宇賀で、この奥が奥宇賀と言うんじゃ」
「スサノオがオオクニヌシに住めと言った、あの宇賀ですか?」
 マコトは、さっき飛行機の中で復習した内容を、インベさんに質問した。
「そげそげ、その宇賀じゃ」
「宇賀は定説では、出雲大社のすぐ裏側辺りだと言われていますよね」
 イオリは自分が持っている知識の中から尋ねた。
「地名はその土地の歴史だけん。塩津にたどり着いたスサノオ一家は、開拓する場所を求めて山を越えた。そして最初の平地がここじゃ。船川という宍道湖に注ぐ川の水源地があって、開拓するには絶好の場所じゃった。だけん、ここがスサノオの最初の本拠地。その後、末っ子のスセリヒメに譲って、そのムコ殿のオオクニヌシが王位についたわけじゃよ」
 インベさんは、忌部家の伝承を二人に伝えた。

 三人は神社にお参りして宇賀を後にした。2、3分移動して、別の神社の前で、インベさんは再び車を止めた。そこは、市街地の氏神様らしく、手水舎から神門、そして本殿へ続く参道や神楽殿が小綺麗に整えられていた。
「ここは宇美神社。さっき話した宇美社がここに移された。昔はこの辺りまで、今の宍道湖にあたる内海じゃった。スサノオ一家は、宇賀を拠点にこの辺りまで勢力を伸ばした。この神社が重要なのは、主祭神がフツノミタマだということじゃ」
「フツノミタマ、奈良の石上神宮と同じだ。だから、さっきの海辺の神社は石上神社だったんだ」
 イオリが神社の名前の関係に気がついた。
「記紀では、フツノミタマという名の剣は、タケミカヅチのものとされちょるが、それもウソ。フツノミタマは、スサノオの父親が息子に与えた剣。すなわち、オロチ退治に使用した剣じゃ。この剣は、吉備経由で崇神天皇の代に大和へと渡った。フツとは、スサノオの父親の名じゃ」
「インベさん、その話は本当なの?」
 イオリが疑いの目を向けた。
「本当か?と聞かれーと、ワシも自信はないけど、これが忌部家の言い伝えだけん。スサノオはここで育って青年となり、いよいよ宍道湖の南側へと向かうんじゃ」
 宇美神社を参拝しながら、マコトは、西側の広場で立ち止まった。するとさっきとは逆に、眩いばかりの光のシャワーが降り注いできた。

 宇美神社の本殿の辺りが住居となり、北側の愛宕山との間には川が流れ、その流域に田畑が広がっている。住居脇の草むらでは、木の枝を削った木刀のような物を持った男が、その半分の長さにも満たない木製の小刀を持った少年と対峙していた。
 少年は痣だらけで、年齢は10歳くらい。男は、あの塩津の荒海で見た髭面の男だ。二人とも麻袋を頭から被ったような格好で、華美なところは微塵もない。
 少年が、腰を屈め、男の周囲を小刻みにステップしながら接近を試みるも、男は隙を見せずに太刀を突いてくる。時には、その太刀が容赦なく少年の体を打撃した。少年は、のたうち回りながらも、再び立ち上がり男に向かって行った。
 それが何度か繰り返されたのち、少年は太刀筋を読み、ついに刃向かうことに成功する。突き出された太刀を、小刀で受けてかわした後に、素早く詰めて、男の脇腹に小刀が到達した。軽い一撃を喰った男は、少年を見て黙って頷いた。

 マコトは腕白な少年をほっこりと見守った。
「マコト、また夢を見ているの?」
 イオリの言葉で現実に引き戻されたマコト。
「へへっ。ちょっとね」
 マコトは、またはぐらかした。
「ほんなら、オロチ退治の現場を見に行かこい」
 本殿の前にいたインベさんから声が掛かった。
「えっ、そんな場所があるんですか?」
 イオリは、声を上げてインベさんに駆け寄った。
「あーよ」
 インベさんは静かに頷いた。マコトは振り返って宇美神社を見上げた後、ゆっくりと二人の後について行った。

2 オロチ退治の現場

 一行を乗せた車は、山の方へ向かって走り出し、斐伊川に差し掛かった。
「山の稜線が、手前と奥で濃さが違って見えるじゃろ?」
 インベさんが、正面の山々を差して言った。
 中国山地の北側は、なだらかな山が幾重にも重なって形成されていた。その山々との距離の違いが、無数の陰影を生み出し、美しい対照を織りなしていた。
「奥の方が霞んで白く見えますね」
 マコトは、額に右手を視線と並行に当てて、遠くを眺めた。
「誰しもが、あの向こうに何があるのか、探ってみたくなると思わんか?当時のスサノオの想いが汲み取れる素晴らしい光景じゃろ」
 マコトとイオリの二人は、雲間から漏れる陽光に照らされる山々と、キラキラと光輝く手前の水面のコントラストを楽しんだ。

 国道9号線から国道54号線に入り、里方の交差点を左に折れる所で、インベさんがまた語り出した。
「この辺りを木次と言うんじゃが、出雲国風土記では、オオクニヌシが自分の命を狙う八十神たちに、きすきまし、つまり追いついた場所だとされちょる」
「古事記で、オオクニヌシがスサノオに助けを求め、八十神たちに勝つ手段を授かった後の話ですね」
 知ったかぶりのマコトが反応した。
「そげじゃ。そして八十神たちを倒したオオクニヌシは、この場所を手に入れて、この奥の三刀屋に、門がしっかりした屋敷、つまり御門屋を建てたんじゃ。宇賀からこの辺りに移り住んだんじゃろう。三屋神社の裏には、スセリヒメのものと思われる古墳もある」
 インベさんは風土記の出来事を説明した。
「出雲国風土記までは手が回らなかったなぁ」
 イオリは、両手を絡めて頭の上に置き、ちょっと悔しそうな表情をした。
「やっぱ来てみないとわかんないこと、たくさんあるね」
 マコトは悔しがるイオリを見て微笑んだ。

 一行は、県道24号線を大東で右折して、県道25号線を南下した。しばらく進むと、坂の勾配がきつくなり、三人を乗せた車は、山の谷間を縫うように奥へ奥へと入っていった。トンネルを抜けて、奥出雲町に入った所で、ようやく車は止まった。
「ここの字名は、八つの頭と書いて八頭。平成の大合併で字名が消えてしまった。番地で管理するのは便利じゃが、地名は場所の歴史だけん、無くしちゃいかん」
 インベさんは、歴史を伝える手段が無くなることを残念がった。
「八頭とはズバリ、ヤマタノオロチのことですね」
 マコトの問いに、インベさんは、
「そげそげ。携帯で地図を見てみ。斐伊川の源流がすぐそばにあるけん」
 話を振られたイオリが、地図アプリを開いてチェックをした。
「本当だ。さっき渡った大きな橋の辺りから、スサノオは、ここまで上って来たんですね」
「そげじゃ。そこに長者屋敷跡とあるが、それがアシナヅチ、テナヅチの住まいじゃ。そして奥の八重垣神社跡にスサノオはクシナダを匿ったんじゃ」
「あれ、八重垣神社って松江にあったんじゃないんですか?」
 マコトが不思議そうに尋ねた。
「ここが元八重垣と呼ばれ、実際にあった場所じゃ」
 すると、近くで農作業をしていた老夫婦が声を掛けてきた。
「あんたやちゃ、何処から来らいたかね?」
「東京から参りました」
 イオリが返答した。
「まぁ、よもよも、そぎゃん遠くから、よう来てごしなった。だんだん」
 老夫婦は嬉しそうにしていたが、マコトとイオリの二人には言葉が理解できなかった。
「『ようこそ、わざわざ遠くから来てくれてありがとう』と言っちょらいわね」
 インベさんが訳してくれた。
「何か不思議な空間ですね」
 そう言いながらマコトは辺りを見回した。今は道路が通って開けていたが、それ以外は何もない山間地だった。マコトが木々の間の狭い空を見上げた瞬間、また意識が飛んで行った。

 山あいにあり、竹林に囲まれた隠れ家のような屋敷。奥には離れのような庵も見える。庭に咲いた曼珠沙華の周りを季節はずれの麝香アゲハが戯れている。その庭先で語り合う老夫婦と青年。青年には、宇美神社で見た少年の面影があった。
 青年の身なりは、土色がかった白っぽい綿生地の上下、腰に太刀を佩き、首には僅かばかりの勾玉を配した飾りを身につけていた。
 青年は老夫婦から、この後に行われるオロチとの例年のやり取りを確認している。宴が催されると聞き、懐から何やら取り出した。それは附子というトリカブトから得た毒だった。青年は、その附子を老夫婦が醸した酒に混ぜて、オロチに提供するように指示をした。
 そこには娘の姿は見えなかったが、青年は離れの庵を指さし、結界を張り、娘をその中に囲い、外へは絶対に出さないように念を押した。

 突然、秋風がふわっと空に向けて舞い上がった。うな垂れていたマコトは顔を上げた。
 気が付くと老夫婦の姿はなかった。一瞬の間だったので、マコトの変化にイオリも気が付かなかった。静寂を遮るようにインベさんが語り出した。
「みんなヤマタノオロチは怪物だと思っちょーかもしれんが、越のヤマタノオロチは、越の国、今の新潟辺りから来た、オロチ族という侵略者だけん。スサノオは地元の民を守るために戦ったんじゃ。そして命を救ったクシナダを嫁にした」
「なぜオロチ族は、この地にやって来たんですか?」
 イオリが興味深げに尋ねた。
「砂鉄じゃ。今も昔も斐伊川は砂鉄の産地じゃ。奴等は、それを加工する技術を持っちょったが、越には良質の砂鉄があらせんかった。だけん、ここを侵略して、鉄製の武器を得て優位に立てたんじゃ。オロチ退治では、最後にスサノオの剣の刃が欠けるじゃろ?スサノオの剣はもろかった。だけん武器で劣る分を、知恵で補って戦ったんじゃ」
「スサノオの勇気に拍手ですね」
 マコトがそう言うと、
「それだけクシナダが美しかったってことじゃない?」
 イオリはクシナダ美人説を説いた。
「ほんなら次は、オロチ退治のその後を見に行かこいや」
 そう言ってインベさんは二人を車に促した。
 

 

今回はここまで。
 

青年スサノオのイメージイラストです。

神様なのでCV候補は特定しません。

そして、アシナヅチ、テナヅチのイメージイラストです。

八重垣神社の壁画情報から描き起こしました。

ちなみにスサノオ塩津誕生説は原田常治さんの「古代日本正史」よりインスパイアされました。
忌部家の伝承は、出雲で密かに語り継がれていることに、影響されています。

ロケーションは次の通りです。
石上神社
宇美社


塩津の海
 


宇賀神社付近の田んぼ
 


宇美神社の裏
 


斐伊川から見た山々
 

元八重垣2
八頭

元八重垣1
八重垣神社跡

次回はクシナダの登場です。
お楽しみに。