第五章 九州のスサノオ
1 第二の案内人
10月中旬の週末、マコトとイオリの二人は福岡に向かう飛行機の中にいた。
「ねぇマコト、あんたは今回もノープランなわけね」
「だって今回はもう案内してくれる人が決まってんだよ。アポ取っただけでも褒めてほしいよ」
「で、その方は空港に迎えに来てくれるわけだ」
「そう。今日と明日の二日間、案内してくれるって」
「ホント、インベさんに感謝だね。いい報告ができるといいね」
「きっと大丈夫だよ!」
マコトは相変わらずポジティブだった。
福岡空港の北到着口を出た二人は、「歓迎!藤原真琴さま」と書かれた幅広の紙を持った熊みたいにガタイの良い男を見つけた。マコトとイオリの二人は、笑顔でその男に近づいた。
「小野一真さんですか?藤原真琴です」
「ようこそ九州へきんしゃったね」
男は、低い声の博多弁で迎えた。
「初めまして、海部伊織です。よろしくお願いします」
「なんか、女子旅気分でやって来たったい」
一真がイオリに少し嫌味っぽく告げた。イオリは怪訝そうな顔をして、先に進んだ二人について行った。
車に乗り込んだ三人は、一真のプラン通りに、まず宗像大社を目指した。
「インベさんから珍しく連絡が来たばってん、凄か女が現れたと」
一真がマコトに話しかけた。
「そんな凄くないですよ。たまたまそうなっちゃって」
マコトが謙遜ぎみに応えた。
「で、君は付き添いの人ね?」
一真はなぜかイオリには冷たかった。
「そう言われれば、そうですけど・・・」
イオリは返答に困った。
「イオリは私のブレーンですよ。巻紙の漢文とかも解読してくれたし」
マコトがイオリをフォローした。
「へぇ。じゃあ、この旅での活躍を期待しとるばい」
一真は、お手並み拝見という態度で、イオリに接した。
「はい。頑張ります」
イオリは声のトーンを下げて、不貞腐れ気味に返事をした。
2 宗像の暗示
宗像大社辺津宮の北側に隣接する駐車場に車を止めた一真は、最初にマコトとイオリの二人を、さらに北側にあるガイダンス施設に案内した。
「ここは、世界遺産登録を記念して作られた施設たい。沖津宮や中津宮には、簡単には行けんばってん、ここで説明するったい」
そう言って一真は施設の中へ入って行った。
「ここだと三社の位置関係がよくわかるばい。三世紀までは、大陸から九州へのルートは、対馬、壱岐経由で伊都国へ入っとったばってん、それ以降は、対馬から沖ノ島、大島、宗像へと移行したったい。それは、伊都国があった糸島と、沖ノ島の出土品の年代を見比べると明らかたい。宗像三姉妹は、このルート変更の時期に、ここ田島に一旦落ち着いたばい。ここから、例えばタギリヒメは、出雲に移り住んだかもしれんばい」
「三姉妹の生まれた順番の記載が、記紀で異なっているのは何故でしょう?」
マコトが表記の違いを問い質した。
「伝承が曖昧な部分もあったかもしれんばってん、三人は三つ子、あるいはどちらかが双子だった可能性もあると思うたい」
「今は日本書紀に則った順番で、宗像大社では祀られていますね」
イオリが遠慮がちに発言をした。
「ちゃんと予習ば、して来たみたいだのう。じゃあ、宗像大社にお参りするばい」
一真はそう言って二人を引き連れて、駐車場を隔てた南側の辺津宮本殿へと向かった。
北の海の方を指さして、一真が説明を始めた。
「古代の海は、水面が今よりもおよそ10メートル高かったと言われとる。ここ辺津宮は、今は海岸から2キロほど内陸にあるばってん、古代には、ここに湾が形成されとったばい」
マコトとイオリの二人は、広い駐車場を見渡した。
駐車場の角にある大鳥居から、参道が南東に向けて真っ直ぐに延びていて、心字池の真ん中に掛った立派な太鼓橋を渡って、神門を潜ると目の前が辺津宮の本殿だった。
三人は参拝した後、本殿の周りを巡った。周囲には筑紫中の神々を祀った摂末社がずらりと並んでいた。この社がいかに力を持っていたかが伺えた。
「ここの南側の山が禁足地となっていて、そこには上高宮と呼ばれる祭場があるったい」
「裏山が禁足地なのは、出雲大社と一緒ですね」
マコトが一真の解説に反応した。
本殿を回り切る直前に、ふと上を見上げたイオリが、一真に問いかけた。
「千木が男千木なのは何故ですか?」
「よかとこに気が付いたばい」
一真はイオリの気づきを喜んだ。
「一般的に、屋根についた千木の切断の向きで、縦削ぎは男千木で男神を祀り、横削ぎは女千木で女神を祀ると言われとるったい。元々祀られたのが男神とするならば、それは宗像三姉妹の父親であるスサノオ以外には考えられんばい。ばってん、別の説では、縦削ぎは出雲式で、横削ぎは九州式だとも言われとるばい。この説に基づけば、祀られとるイチキシマヒメは出雲系ということになるばい。いずれの説によっても、宗像大社と出雲の関係は、切り離せないったい」
一真の力説に、マコトとイオリの二人は納得するしかなかった。
しかし、宗像大社辺津宮の千木の謎は、実は重要な方向性を示していたが、この時点の三人には、それを知る由もなかった。
3 高天原と邪馬台国
一真は、遠く宮崎県の日向地方まで行く時間はないので、大学の研究室で自分の研究成果を話したいと言って二人を誘った。一真が准教授を務める福岡教育大学のキャンパスは、宗像市内にあった。一真はそこで社会科教育をする傍らで、九州の郷土史研究を行っていた。
週末の大学のキャンパスは閑散としていた。三人は、誰に会うでもなく一真の研究室にたどり着いた。一真はマコトとイオリの二人をディスカッション用のテーブルに着かせ、珈琲を沸かした。
「すまん、これくらいしかなかと。砂糖とミルクは好きに取るばい」
「あっお構いなく」
マコトが遠慮がちに言った。
「凄い本の数ですね。これ全部読破されたんですか?」
イオリが部屋を見回しながら尋ねた。
「当たり前くさ、飾りじゃなかと」
一真はイオリには当たりが強かった。
「失礼しましたー」
そう言いながらイオリは、ヘコミ気味に少し唇を尖らせた。
「したら、何からするったい。まず、不比等の資料ば、見しちゃらんね」
一真が促したので、マコトがカバンから巻紙を取り出した。
「ほぉ、インベさんが本物じゃと言うとったばい。なかなかの達筆ばい。これをあんたが読み解いたんね?そこそこ出来るったい」
一真が初めてイオリを褒めた。
「はぁ、辞典を見ながらですが・・・」
イオリはヘコんだままボソッと応えた。
「で、一行目は解決済みで、二行目のスサノオの件からが、オレの出番っちゃね」
一真は、やる気満々だった。
「私たち、また夢を見たんです。一回目の夢は、私が事故で倒れた時に不比等に会って、二回目はイオリと一緒にスサノオのオロチ退治を見て、三回目もイオリと一緒にスサノオが船団を引き連れて、西に向けて稲佐の浜を出航するという・・・」
マコトが不思議体験の説明をした。
「ほう、それが全て正夢だというと?」
一真はまだ疑っていた。
「一回目はこの巻紙をもらって、二回目はお婆さんの髪の毛が残っていました。三回目は傍らで見ていたので、証拠はないですが、やけにリアルで・・・」
マコトが自信なさそうに一真に告げた。
「わかった。さっき宗像大社でも言ったっちゃけど、九州にスサノオの痕跡は確かにあるったい。これを見てみんね」
宗像に住む一真の言葉は、北九州と博多のハイブリッドだった。
「これは、福岡県内にある須賀神社をプロットしたものたい」
一真は、福岡県の地図を覗き込む二人の顔を交互に見た。
「えっ、こんなに?」
イオリが思わず声を上げた。
「あー、わかっとるだけでも20以上あるばい。他に須佐神社や熊野神社もあるっちゃけど、須賀神社が圧倒的に多いばい。須佐・熊野ではなく、須賀を祀るっちゅうことは、生きているスサノオが関わっている可能性があるったい」
「どういうことですか?」
不思議そうにマコトが尋ねた。
「出雲の須佐はスサノオが晩年に住んだ場所、熊野は死後祀られた場所たい。あんたらの夢の通りに、壮年時代にスサノオが九州に来ていたなら、使われる名は須賀しかなか」
マコトとイオリは一真の説を理解した。
「スサノオの足跡を具体的に証明できるものは、他に何かあるんですか?」
今度はイオリが尋ねた。
「それについては、後で行ってみたい所があるったい」
一真は少し含みを持たせて答えた。
「で、三行目前半の『高天原は日向』についてやけど、こっちの地図ば、見てみんしゃい」
一真は、今度は宮崎県の地図を広げた。
「ここが禊ぎ池、ここが高千穂、ここが天岩戸ったい。現在の日向、つまり宮崎県の全域に伝承の場所があるばい。まあ、みんな高天原は日向にあると、薄々感じとるばい。ばってん、注目すべきは、ココたい」
一真は西都を指さした。
「西都、あまり聞かない地名ですね」
マコトは首を傾げて応えた。
「最近は大和の纏向ばかりが脚光を浴びとるばってん、忘れられがちやけど、ココは凄かよ」
そう言いながら一真は、西都市の遺跡がわかる地図を広げた。
「この一帯では、全部で319基の古墳が発掘されとるばい。特に男狭穂塚と女狭穂塚は陸墓参考地に指定されとるったい」
「陵墓参考地って?」
マコトが尋ねた。
「宮内庁によって皇族の墓だと認定されているけど、誰のものか特定できていない墓のこと」
すかさずイオリが説明した。
「で、ここの被葬候補者は、ニニギとコノハナノサクヤヒメばい」
「記紀における天孫降臨後の主役ですね」
イオリが一真の発言を受けて応えた。
「現実的に考えれば、天上界なんてあるわけなか。アマテラスが国譲りを迫った後に、舞台が出雲から日向に移ったちゅうことは、高天原の世界観は元々日向にあったとみてよか」
「三行目の『高天原は日向』というのは、確かだと?」
マコトが一真に確認した。
「ああ、そうたい。あと一つ注目すべきは、西都原に二基の方墳があるこつたい。特にその中の一つは、女狭穂塚のすぐ脇に、守るように置かれとる。九州は円墳文化、出雲は方墳文化やけん、明らかに出雲の関係者が葬られとるばい」
「出雲と日向の交流の証ですね」
マコトは一真の見解に納得して応えた。
「スサノオは出雲の王となり、その後、西へ向かって北部九州に上陸した。ばってん、スサノオとアマテラスがどこで会ったかが、気になるっちゃね」
「スサノオが出雲から西に向かった後に、アマテラスと出会ったと?」
マコトは、今度は一真の見解を質した。
「ああ、そうたい。スサノオが出雲で生まれたとしたら、アマテラスといつ会うね?おまけに、三行目後半では、『アマテラスは北へ進むなり』と不比等が言うとるし」
一真はすでに、不比等の巻紙の情報が正しい前提で話を進めていた。
「スサノオとアマテラスは本当に出会ったのでしょうか?」
今度はイオリが疑問を呈した。
「インベさんも言うとったやろうが、記紀は偽りが多いが全てがウソではなか。史実に基づいて不比等が都合よくねじ曲げとる。スサノオとアマテラスが出会わんと、その後が繋がらんばい」
「では、何処で出会ったのですか?」
マコトが改めて尋ねた。
「その前に、魏志倭人伝について話をするったい」
一真は軽く咳払いをして、説明の角度を変えた。
「邪馬台国と卑弥呼が登場する中国の歴史書ですね」
イオリは一真の一言一句に反応した。
「アマテラスは別名オオヒルメ。オオは尊称、ヒルメは日の巫女っちゃけん、アマテラスは、すなわちヒミコばい」
流れるような口調で一真は続けた。
「魏志倭人伝の記述で、場所がはっきりしているのは、今の糸島の伊都国までたい。そこから東南へ百里で奴国、東へ百里で不称国、南へ水行20日で投馬(つま)国、南へ水行10日、陸行一か月で邪馬台国と記されとるばい」
「その記述どおりだと、邪馬台国が海の彼方とか、とんでもない所になってしまいますね。畿内説を唱える人は、南は東の誤りだとか」
イオリが何とかフォローした。
「オレの解釈は、全て伊都国からの距離だと思うとるったい。例えば、投馬国が伊都国から南へ水行20日としたら、ここ日向辺りが可能性あるっちゃね。そんなに時間が掛るかと思うかもしれんばってん、関門海峡と豊後水道を舐めたらいかんばい」
一真はさらに続けた。
「西都市の市街地の住所は妻、古墳群に隣接する神社は都萬神社、まさにここが投馬国たい」
「本当だ。字は違うけど、全部ツマと読む」
マコトが西都の地図を見て声を上げた。
「じゃあ、邪馬台国はどこに?」
イオリが急かすように尋ねた。
「伊都国から水行10日、または陸行一か月。すなわちココたい!」
一真は、ホワイトボードに貼ってあった九州地図の別府湾の辺りを指した。
「大分ですか・・・」
マコトが意外そうな表情をしながら返した。
「そうたい。大分は昔、なんと言うたと?」
「豊後ですよね」
マコトが掴みきれずに答えた。
「北部は豊前、南部は豊後、つまり大分は豊の国ったい。卑弥呼の後を継いだのは誰ね?」
「台与(とよ)ですね!」
今度はイオリが確信して答えた。
「別府湾のココを見てみ」
一真は別府湾の北側を指した。
「杵築!」
マコトとイオリの二人が、一緒に声を合わせて叫んだ。
「江戸時代まで、ここは木付藩だったばい。ある時、江戸幕府が与えた朱印状に誤って杵築藩と書かれとった。幕府が間違ったとは言えないばってん、木付藩の方が、杵築藩に改めたったい。こうやって当て字は、変わって行くもんばい。実は、出雲の杵築も当て字で元は寸付。古代から当て字が多かったばってん、読んだ響きが重要たい」
「じゃあ、この辺りには、出雲の人々が住みついていたと?」
イオリが改めて一真に確かめた。
「そうたい。状況証拠ならまだあるばい。記紀には、オオクニヌシが東方へ行ったことしか記されとらんばってん、続日本紀には、伊予国風土記の逸文として、オオクニヌシがスクナヒコナと共に四国へ行ったことが記されとる。そこには、スクナヒコナが死んでしまって、オオクニヌシが豊後水道の海底を通じて別府から温泉を運び、それにスクナヒコナを浸けると元気になったと書いてあるばい。ばってん、その時代に地下を通す技術などある訳なか。普通に考えれば、船で運んだはずばい。誰がそんなことに協力するかっちゅうたら、ここらにおって、豊後水道を渡る航行技術を持っとった出雲族しかおらんばい」
一真は、地図の豊後水道を指しながら、得意げに続けた。
「ここを流れる川は八坂川。これも後付けだろうばってん、スサノオ一族の匂いがプンプンするったい。この八坂川を辿って行くと、宇佐に到達するっちゃね。宇佐と言えば、日本書紀で宗像三姉妹が降臨した、つまり生まれた場所たい」
「本当だ!」
地図をなぞりながらマコトが声をあげた。
「ズバリ、スサノオとアマテラスが相対したのは宇佐ばい。二人は契りを交わし、スサノオは同盟の証として剣を渡した。やがて、子ども達が生まれたったい」
「そして、スサノオに従って来た出雲の人々の一部が、別府湾の北側に住み着いて、そこにキヅキの名を残した。出発したのが稲佐の浜だから、それもあり得ますね」
イオリも納得して同意した。一真はさらに続けた。
「アプローチの仕方は違うっちゃけど、高木彬光氏は、小説「邪馬台国の秘密」にて、宇佐から大分にかけてが、邪馬台国だと結論付けとるばい。おまけに、宇佐神宮の本殿がある山全体が古墳で、過去の遷宮の際に、実際に豪華な石棺が発掘されとるばい」
一真は、自分だけの独善的な解釈ではないことを強調しながら続けた。
「その石棺からは朱が溶け出していたといわれとるばい。魏志倭人伝の『その山に丹あり』という記述から、邪馬台国では辰砂と呼ばれる赤い鉱物から産出する水銀朱が作られていたとされとるったい。ばってん、畿内説や徳島説を唱える人は、古代の北部九州にはそれがないと主張しよるばい」
「徳島説は弥生時代に辰砂を採掘した遺跡が見つかったという一点から、わりと最近出された説ですね」
再びイオリがフォローした。
「辰砂の産地は中央構造線上に分布しとって、大和と阿波はこの線上に位置しとるばい。ばってん中央構造線は、四国からさらに西、別府湾から阿蘇まで延びとるばい。時期が特定されとらんが、別府からは辰砂が産出されとるし、大分には辰砂が採掘される土地を意味する丹生の地名も残っとるばい」
一真は、これまでの北部九州説の弱点をも補ってみせた。
「南部九州で勢力を持っていた日向族は、北部九州で勢力を広げる出雲族に、由布岳を越えて来て欲しくはなかったから、邪馬台国の北の端の宇佐で待ち構えたのでしようね」
マコトは地図を見ながら、スサノオとアマテラスの行動を想像した。
「そうたい。高天原の日向が本拠地で、邪馬台国の宇佐は前線基地だったわけたい。ばってん、両者は争うことはせず、平和裏に同盟を結んだったい」
一真は自信たっぷりに持論を展開し、マコトとイオリはそれを受け入れた。
「これで、三行目の『高天原は日向にあり、アマテラスは北へ進むなり』までが、解決できましたね」
マコトが嬉しそうに一真に告げると、
「アマテラスは、もっと北へ行った可能性があるばい」
一真の話は、まだ終わってはいなかった。
「どういうことですか?」
イオリが不思議そうに一真に投げかけた。
「古事記で、ニニギが降臨する場面で、気になった部分はなかと?」
逆に一真がイオリに問いかけた。
「ええっ、何だろう?わかんない」
イオリは右手で髪をかきむしった。
「ニニギが降臨したのは、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気ばい。何かおかしくないと?」
一真はニヤリと笑ってイオリを見た。
「確かに、筑紫に日向があったような表現ですね」
マコトが代わって一真に返した。
「古事記では、その後に『ここは韓国に向い』とあるから、宮崎の日向では、不可能ですね」
イオリが必死に話に縋りついた。
「そうたい。宮崎の日向は本拠地に違いはなか。ばってん、筑紫のどこかに日向の出先機関があったはずばい」
一真は再び持論を展開した。
「それは、あったんですね」
マコトは一真の口調からその先を予測した。
「ああ、『怡土志摩地理全誌』で日向山とくしふる山という場所を発見したばい」
一真は、最初に見せた福岡県の地図をテーブルの一番上に置き、糸島の北側の日向山を指さした。
「ここからだと、玄界灘越しに大陸に向いていますね」
イオリは自分の発言を見定めた。
「アマテラスは、スサノオと同盟を結んだ後、伊都国まで出向いた可能性があると言うこつたい」
一真は相変わらず自信たっぷりだった。
「サルタヒコが筑紫の日向に導いたのは、ニニギではなくてアマテラスだったと?」
マコトの疑問に対し、
「インベさんが須佐神社の朝覲祭について言っていた『アマテラスにスサノオを引き合わせたのがサルタヒコだったのでは?』という説と連動してるね」
イオリがすかさず応えた。
「インベさんがそんなことをおっしゃったと?面白かねぇ。この件については、明日筑紫で話をするばい」
一真は、また少し含みを持たせて、自分が入れた冷めた珈琲を飲み干した。マコトとイオリの二人は、一真の熱量にやられ、少しぐったりした様子だった。
今回はここまで。
小野一真のイメージイラストです。
CVは博多弁が喋れる高杉真宙さんで。
一真は福岡市出身で宗像在住なので、言葉は博多と北九州が混ざったイメージです。
今回のロケーションは
宗像大社の男千木
西都原
宇佐神宮
宇佐神宮の形状
先日、吉野ケ里遺跡の神社跡地で古墳が発掘されましたが、古い神社は基本、古墳の上に建っていると疑った方がよいです。
アマテラスと大分の関係が明らかになりました。
ちなみに、イラストのイメージにした指原Pは、総選挙1位の祈願に毎年、宇佐神宮にお参りしていたそうです。そう言えば、宇佐神宮に祀られている神功皇后は、熊襲討伐のために大和から九州に派遣され、そこから息子のホムタワケ(応神天皇)をたてて、中央に復活を遂げています。歴史は繰り返えされるものですね。
明日は取材のためお休みします。
次回は、福岡市内へ移動します。お楽しみに。