第四章 出雲のアマテラス
1 日沈宮(ひしずみのみや)
「ねえ、マコト。スサノオが出雲生まれで、高天原が日向にあると仮定したら、アマテラスに会うためにスサノオは西へ向かったとは考えられないかしら?」
駐車場に戻る途中で、ふとイオリがマコトに告げた。
「確かに」
左手の親指を顎に宛てがいながら、マコトは同意した。
「ほんなら次は、スサノオとアマテラスの関係を探ってみーか?」
それを受けてインベさんが提案をした。
「何かあてがありますか?」
マコトがインベさんに伺いをたてた。
「この出雲でアマテラスを祀る最大の神社は、日御碕神社じゃ。ここからは車ですぐだけん、行ってみらこい」
インベさんはそう言って二人を車に誘った。
杵築を後にした一行は、車で西の海の方へ向かい、正面の稲佐の浜を右に折れて、海岸沿いの曲がりくねった道を進み、日御碕を目指した。
「日御碕神社には、スサノオとアマテラスの両方が祀られちょる」
境内のすぐ脇の駐車場で車を降りながら、インベさんが説明をした。
「朱色が映える美しい神社ですね」
マコトが外観を見回しながら感想を漏らした。
「江戸幕府三代将軍家光の命により改修された、桃山時代の面影を残す権現造りのお社じゃ」
インベさんは神社が美しい所以を説いた。
「本当、青い海にも映えるお社ですね」
今度はイオリが映えにこだわった。神社は海岸からすぐの所に鎮座していた。
「楼門を見てみ。欄間の装飾がカワイイじゃろ」
駐車場から正面に回ったところで、インベさんが、門を指さした。
そこには、動物、樹木、花、野菜などが立体的に彫り出され、カラフルに彩られていた。
「本当だ。可愛くてこれも映えますね」
二人は女子旅気分に浸った。楼門を潜ると、正面に神殿があった。
「ここは下の宮、日沈宮ともいう。アマテラスが祀られちょる。その昔は、このそばの経島に祀られちょった。伊勢の二見ヶ浦が日の昇る場所に対し、ここは日が沈む場所だから日沈宮じゃ」
「上のお社に祀られているのはスサノオですか?」
マコトが右側の丘の上を見て言った。
「おう、そげそげ」
インベさんが答えた。
「スサノオが祀られているのに、千木は横削ぎの女千木なんですね」
イオリは千木の構造が気になった。
「ぞげ言わいと、そげだのう。今まで気が付かんかったわ」
インベさんは、さほど気にも留めずに続けた。
「ここでもスサノオが上に祀られちょる。下の宮が後から祀られたからなのか、出雲じゃからスサノオが上なのか、あるいは、二人の関係がそうなのか、理由はわからん。ちなみに、ここの宮司は、スサノオがオロチ族から奪った剣を、アマテラスに届けたアメノフキネの末裔じゃ」
「スサノオがアマテラスに剣を送った本当の目的は何だったのでしょうか?」
イオリがまた深い質問をした。
「前にも言うたが、剣を送るのは同盟を結んだ証じゃ。スサノオとアマテラスは、そげな関係にあったのじゃろう」
インベさんは、スサノオとアマテラスの関係には、あまり詳しくはなかった。
「やっぱり、スサノオとアマテラスの関係を解くことが、『スサノオは西へ』を解くカギになりそうですね」
イオリが改めて不比等の巻物に触れた。
「そげじゃのう。ここにはアマテラスにまつわる伝承は、あんまりないけん。それは九州へ行ってみんと、わからんかもしれんなぁ」
その時、ふいにマコトのお腹が「ググー」っと鳴った。
「何?マコト?」
イオリがマコトのお腹を覗き込んだ。
「ごめーん。お腹空いちゃった」
マコトは両手を合わせて謝った。
「はっはっはっ、そろそろお昼にすーか」
インベさんは、笑いながら時計を見て二人を誘った。
2 もう一つの不比等の手紙
参拝を済ませ、インベさんは二人を連れて、海岸沿いの遊歩道を日御碕灯台の方に向けて歩いて行った。途中に以前アマテラスが祀られていたという経島が見えた。
「ここは、ウミネコの繁殖地としても有名じゃが、今の季節は何もおらん」
秋の海は穏やかだった。
「あんたやちゃ、魚の刺身とかウニは大丈夫かね?」
インベさんが二人に尋ねた。
「平気です」
イオリが答えると、
「私、ウニ大好き」
マコトはウキウキだった。
「ここ日御碕は『みさき丼』と言って美味しい海鮮丼が名物なんじゃ。それを食べさしちゃーけん」
インベさんはそう言って、遊歩道沿いの土産物屋らしき店へと入って行った。そこは、灯台へのメインの通りから少し外れた、地元の者にしかわからない場所にあった。店の中へ入ると、土産物の奥にテーブルが並んでいて食堂になっていた。
「ウニ入りの海鮮丼を三つ」
インベさんは注文をしながら席についた。
「ウニって北海道のイメージしかなかったです」
イオリが不思議そうにインベさんに告げた。
「あっちのウニはエゾバフンウニ、ここら辺りのはムラサキウニじゃ。夏の終わりから秋口が旬だけん、今が一番美味しいわね」
「わぁー、ラッキーな時に来ましたね」
マコトが目を輝かせた。
「ここのウニは、この崖の下で、シゲさんちゅう漁師さんが、その日に採ってくれたやつじゃ。海が荒れると採れんけん、それもラッキーじゃの」
そう話をしているうちに、みさき丼がやってきた。
「うわぁ、これも映えますね。刺身の白身とウニのコントラストが鮮やか」
そう言いながらイオリは、真ん中のウニを頬張った。
「美味しい!」
マコトが先に声を上げた。
「形を整えるミョーバンが入っちょらんけん、これが本当のウニの味じゃよ」
インベさんが、誇らしげに美味しさの秘密を明かした。
お腹が一杯になった三人が、番茶をすすりながら会話をしていると、インベさんがカバンから何かを取り出して、神妙な顔で話し出した。
「実は、忌部家の伝承は口伝えじゃけど、一つだけ、不比等から子首の孫の鹿麻呂に宛てたと言われる、門外不出の手紙が残っちょってな。そこに、お前さんのことが記されちょる」
その手紙には、次の内容が書かれていた。
不思議な夢を見た。1300年後からや
ってきた藤原マコトと名乗る娘に会った。
その者が言うには、その時代に日本書紀
が正史として残っているらしい。
私は、余命幾何もない。できれば、極楽
浄土へ行きたいものだ。
私は、自らの偽りに対する自責の念にか
られ、その者に真実を伝えた。
その者は、身の丈が5尺3寸、短髪で美
少年のよう、左の口元に黒子あり。
忌部の子孫が永く出雲で続くならば、事
の顛末を見届けて欲しい。
その文書を見たイオリが呟いた。
「不比等の署名が、マコトの巻紙と一致しているわ」
マコトは息を飲んだ。
「やっぱりそげか。これで、お前さんと不比等の出会いは証明された。じゃが出雲のネタも尽きてきたけん。特に『国譲りは二度起これり』とは、てんで見当がつかん」
インベさんは腕組みをして首を傾けた。
「もう他には、手掛かりになりそうな場所はないんですか?」
イオリが焦り気味に尋ねた。
「この出雲には、もう一箇所だけ、スサノオとアマテラスが祀られちょる場所がある。そこへ行ってみーか」
三人は残ったお茶を飲み干すと、席を立って店を後にした。
3 鎮めたパワー
一行は、海岸線を引き返し、稲佐の浜に差し掛かった。信号を通過した辺りで、インベさんが、車のスピードを緩めて二人に話しかけた。
「右に広がっているのが稲佐の浜じゃ。数々の神話の舞台になった場所じゃ。神迎祭もここで執り行われちょる」
「ここが、古代出雲の玄関口ということですか?」
マコトが遠くの水平線を見つめながら尋ねた。
「そげじゃのう。ただ東側の宍道湖は、昔は内海じゃった。おそらく東からの船は、穏やかな内海につけたはずじゃ。だけん、ここは西の玄関口じゃ」
インベさんは、古代出雲が交易の拠点だったことは、承知していた。
「じゃあスサノオは、ここから出発した可能性がありますね」
イオリもいにしえに思いを馳せた。
「そげかもしれんのう」
インベさんは、アクセルを踏んで、再び車を加速させた。
一行は、砂浜の海岸線を横目に真っすぐ進み、国道431号線から国道9号線を右に折れ、神西湖の先を左に折れて県道39号線へ入った。
「今度は、何処へ連れて行って下さるんですか?」
後部座席の真ん中から、顔を覗かせてイオリが尋ねた。
「スサノオの名が付いた須佐神社じゃ」
「あの有名なスピリチュアリストが、日本最大のパワースポットだと言った場所ですね」
マコトはまた目を輝かせた。
「それは知らんが良い場所じゃ。出雲国風土記の須佐郷のくだりで、『この国は小さな国だが良い国だと言って、自分の名を付けて魂を鎮めた』とある。すなわちスサノオが晩年を過ごした場所じゃ」
インベさんは、それ以上は語らなかった。
長いトンネルを抜けると、須佐は目前だった。西からの神戸川と、南からの須佐川が交わる場所が町の中心地で、須佐神社は、須佐川のさらに上流にあった。神社の周りは、広くはないが、川の周辺に田畑が開けていた。
神社の北側の駐車場で車を降りて、東側の鳥居前に回り込んだ三人は、まず正面の本殿にお参りした。
「ココが凄いのは、ウラ側じゃ」
そう言うと、インベさんは反時計回りに本殿を巡り始めた。裏手に差し掛かると空気が一変した。まだ日は高いはずなのに、そこは薄暗くひんやりとしていた。
「なんかゾクゾクして来た」
それが冷気なのか何なのかは、イオリにはわからなかった。
「霊感の強い先生がどう感じたかはわからんけど、ここだけは、ワシら凡人でも感じるモノがあるけん」
インベさんは、大きな杉の木を見上げながら、息を深く吸い込んだ。
「スサノオが鎮めたパワーが、今も溢れ出しているのかしら」
マコトは、夕べ夢で見た若いスサノオが、年老いたらどんな姿になるのか想像してみた。その瞬間に、また意識が遠のいた。
白髪で白髭の老いたるスサノオ。住いはさほど広くはなく、身に着けている服装も質素で、飾り気は全くなかった。そして、身の回りの世話をする従者がたった一人だけ仕えていた。
「全ての職務を子や孫が引き継いでくれ、ワシの最後の仕事は、あの吉栗山に植樹をすることだけになった。思えば若い頃は、随分と酷い事もしてきたのう。ワシはオロチ族を成敗した時は、それが正義だと思っていた。蘇民将来の弟に対してもそうだ。だが、一度も話し合いをしなかったのはまずかった。人は話し合って、互いの利害が一致すれば争い事はしない。そして、時には妥協も必要だ。より平和に同盟を結ぶためには、相手が喜ぶ物資や知識を持っていることだ。オオクニヌシが成功した秘訣は、奴が医療の知識を持っていたことだ。争い事で人を殺すのではなく、人の命を救う。誰もが望んでいたことだ。ワシの息子たちも技術の伝搬には、一役買ってくれた。イタケルは、大陸を行き来しながら、航海の技術と造船の技術を会得した。その技術は、北は越、東は紀の国まで伝わった。今は、熊野に留まったと聞いておる。いずれあの辺りから優秀な船乗り達が生まれるであろう。ウカは、稲作の技術を伝えた。北へ北へと向かって、今はどの辺りに居るのやら。そして、オオドシは・・・」
すると突然、薄暗い本殿裏に、大杉の枝間から陽の光が指してきた。マコトは眩しくて我に返った。
その光は、プリズムのように七色に輝いた。隣のイオリもあまりの眩しさに、右手で光を遮った。木漏れ日は、二人にだけ強烈に降り注いでいた。ここに宿る神が、二人を歓迎する様が見て取れた。
そして、オオドシの話は、敢えてここでは知らされないのだと、マコトは感じ取った。
「おーい。あっちにアマテラスが祀られちょーけん、行ってみーぞ」
インベさんが、本殿前から二人に呼びかけた。心地よい気分に浸っていた二人は、早足でインベさんを追いかけた。三人は、本殿と対峙して祀られている、東側の天照社へと向かった。天照社の設えは、日御碕神社と比較して、とても質素だった。
「ここで重要なのは、毎年4月に執り行われる朝覲祭という神事だけん。スサノオがアマテラスのもとへ出向く祭りじゃ」
イオリが携帯で朝覲祭を検索した。そして一枚の写真を見てインベさんに問いかけた。
「この先頭の天狗のような人は、誰ですか?」
イオリが見せた朝覲祭の写真には、鼻高の面を被った金装束の男が、行列の先頭で露払いをするように構えていた。
「それは、おそらくサルタヒコじゃ」
そう言いながら、インベさんは何か閃いたらしく、右の拳を左の掌にポーンと軽く打付けた。
「なるほど、記紀のカラクリは、史実が組み替えられて綴られちょる点にある。サルタヒコが導いたのは、ニニギではなくてスサノオだったかもしれん。出雲国風土記では、サルタヒコはキサカイヒメの子とされちょるから、世代はスサノオの子ども達やオオクニヌシと一緒じゃ。先導役とは、先乗り部隊のこと。写真のようにサルタヒコの導きでスサノオがアマテラスに会ったとすれば、その時期は、出雲をオオクニヌシに引き継いだ後だったかもしれん。高天原が日向にあったならば、スサノオは、壮年時代に西を目指した可能性が高くなるのう」
「その説が確かならば、不比等の謎解きに、また一歩近づきますね」
イオリが興奮気味にインベさんに応えた。
一方のマコトは、天照社の裏の広場に回って、山々に囲まれた蒼い土地を見回し、深呼吸をして、スサノオのパワーを存分に授かっていた。
4 旅のつづき
一行は、宿がある松江へと引き返した。夕食どきには少し時間があったので、インベさんのお気に入りのカフェに立ち寄った。
「松江には抹茶文化が残っちょって、いい茶舗が多いんじゃが、静岡や宇治と違ってお茶の産地じゃないけん、みんな優秀なブレンダーなんじゃ。その流れを汲んでか、今は茶舗だけでなく、優秀な自家焙煎の珈琲店も多いんじゃ」
インベさんはそう言って、住宅街の一角にある平屋建ての赤い壁のお店に入って行った。
「ワシはストレート派で、いつもブラジルを注文しちょるが、どれでも美味しいけん、好きなのを注文しないや」
それを受けて、マコトはカプチーノ、イオリはイタリアンブレンドを注文した。程なく運ばれてきたカップを覗き込むと、マコトはラテアートの美しさに、イオリは香りの深さに歓声をあげた。
「ところで、今回の旅のおさらいをしちょくか」
インベさんの提案に、二人はコーヒーを啜りながら同意した。
「まず、不比等から忌部家に宛てた手紙により、私が出雲に現れることを、インベさんは知っていて、出雲大社の勢溜で待ち構えていました」
マコトが最初に語り始めた。
「インベさんは、スサノオが出雲生まれということで、スサノオの生い立ちの秘密を私達に教えてくれました。そして、その先々で、マコトが白昼夢を見るという、新たな能力が見つかりました」
イオリが続いた。
「さらに、玉造温泉の宿で、私と一緒に寝たイオリが、私と同じ夢を見て、タイムリープを経験しました」
マコトは、イオリと顔を合わせて確認した。
「二日目に出雲大社に行って、オオクニヌシが東征したのは、既知のこととして、御神座が西を向いていることから、九州と結びつきがあるかもしれんと推測した」
インベさんも話に加わってさらに続けた。
「ただ、オオクニヌシと宗像のタギリヒメについて、結ばれた経緯が記紀には記されちょらんし、二人の子ども達が出雲で活躍しちょらいけん、何らかの理由で、タギリヒメの方が出雲にやって来らいたとも推測した」
「そのタギリヒメが生まれたのは、スサノオとアマテラスによる誓約だから、高天原が日向にあるならば、スサノオが西へ向かったのは、アマテラスに会いに行ったのでは、と推測して、スサノオとアマテラスの関係を探りに、日御碕神社と須佐神社へ向かいました」
イオリが続きをフォローした。
「そして、須佐神社の朝覲祭の写真から、サルタヒコがスサノオを先導して、アマテラスに引き合わせたのでは、とも推測した。だども、今日の探索は、全て推測に過ぎんのう」
インベさんは、肩を落として、力なく語った。
「そう言えばマコト、あんた今日は白昼夢を見たの?」
イオリが思い出したように、マコトに問いかけた。
「うん。一度だけ見たよ」
マコトは人差し指をだして微笑んだ。
「どこで?」
再びイオリが尋ねた。
「須佐神社の本殿裏の大杉のところで。スサノオはお爺ちゃんになっていたよ」
マコトは、家族のことを話すように楽しそうだった。
「どうもその白昼夢を見る場所は、スサノオが実際におった場所に限られちょるな。逆に言うと、もしも九州で白昼夢が見られたなら、そこにスサノオがおった可能性が出てくるわけじゃ」
インベさんが新たな可能性を示唆した。
「そんなに上手くいきますかねぇ」
マコトは疑心暗鬼だった。
「いずれにしても、出雲でのアマテラスのネタは、今のところ尽きたけん。もう一つだけ加えるとするなら、山口の萩の近くにも須佐という土地がある。地図を見るとわかーけど、出雲と九州を結ぶちょうど中間地点じゃ。そこの神山が、航行の指標だったという伝承もあるけん」
「ここから先は、私達はどうすれば?」
マコトがインベさんに意見を求めた。
「それはやっぱり九州へ行ってみることじゃろう。特に日向のことは、ここではわからんけん」
「何を頼りに九州に行けば・・・」
自信なさそうにイオリが呟いた。
「心配すーなや。ワシと同じ立場の者が九州にもおるけん」
インベさんはニヤっと笑って二人に告げた。
「えっ?」
マコトとイオリの二人が目を剥いた。
「九州には太宰府があったじゃろ。当然あそこにも朝廷からの監視役がおったけん」
「その監視役の末裔が九州にもいると?」
唾を飲み込みながらイオリが尋ねた。
「遣隋使の小野妹子は知っちょるじゃろ。その孫の小野毛野が太宰府の初代監視役じゃ。その末裔が今、福岡教育大学の准教授をやっちょる。そいつを紹介しちゃーけん、連絡を取って尋ねて見るといーわ」
インベさんは手帳を取り出し、連絡先を探しながら続けた。
「そいつは、なかなか面白い奴でな、太宰府そのものは900年初頭の建立だけん、古代とは関係ないが、奴は独自の研究で論文を発表し、九州の考古学会では異端児とも呼ばれちょる」
「独自の研究とは?」
イオリは高い関心を持った。
「普通、考古学のフィールドワークと言えば、遺跡の発掘作業などを指すが、奴のは、言わば歩く考古学。古文書と遺跡の情報を頼りに、歩き回って肌で感じ取る研究をしちょる」
「面白そうですね」
マコトも興味を魅かれた。
「あんたやつも、ここ出雲に来て、都会で思っちょったことと違う感覚があったじゃろ。多少の海面水位の違いはあるが、年を経て開発が進んでも、田舎だけん山々と平地の位置関係は、さほど変わっちょらん。その空気感を大事にして、奴は地元九州で研究を進めちょる。あんたらの道案内には、適任じゃ」
そう言ってインベさんは、二人に九州行きを勧めた。
「これは行ってみるっきゃないね」
イオリがマコトに顔を向けると、
「九州かぁ。楽しみだなぁ」
マコトはまた女子旅を期待していた。
インベさんに玉造温泉まで送ってもらった二人は、明日の約束はしなかった。その代わりに九州での調査を踏まえて、再び出雲に戻って来る約束をした。インベさんは『国譲りは二度』に関して「改めて調べてみる」と言い残して去って行った。
宿に戻った二人は、お気に入りの浴衣に着替え、疲れを癒しに、温泉に浸かった。内風呂から露天風呂に移ったところで、イオリがマコトに問いかけた。
「ねぇマコト、今日見た白昼夢の内容は、どんなだったの?」
「お爺ちゃんになったスサノオがね、従者の人に昔話を語っていたの。若い頃に、ヤマタノオロチや蘇民将来の弟を、話し合いもせずにやっつけたのは失敗だったって。その点オオクニヌシは、医療の知識を伝えることで、相手と仲良くなるのが上手かったって。あと、イタケルは造船技術を、ウカは稲作技術を広めたって」
マコトは湯面をグルグルかき混ぜながら答えた。
「ウカとは、ウカノミタマのことかな。越の攻略は、インベさんが言ってた通りだね。インベさんってさ、まだまだ秘密をいっぱい知ってると思うんだよね。ただ、例えば歴史のテストでさえ、満点取れる人ってなかなかいないじゃない?忌部家の伝承も、1300年の間アップデートしているうちに、間違って伝わったり、伝え忘れたことがきっとあると思うの。だから、何でもかんでも気安く言えないんじゃないのかなぁ」
イオリは岩に腰掛けて腕組みをした。
「そう言えば、連れて行ってくれた所は、宇美社とか、宇賀・八頭・佐世・須賀で、みんなこれまで地名が残っていた場所と、神社がある場所だけだね」
マコトも湯の中から立ち上がって、昨日と同じように、イオリの隣に並んで腰掛けた。
「サルタヒコの話にしてもさぁ、本当は頭の片隅にあったのかもしれないよ。でなきゃ、とっさにあのアイデアは出て来ないよ」
イオリは湯に浸かった足を激しくバタつかせた。
「まあ、インベさんにも立場があるから、あんまり詮索するのはよそうよ」
マコトがイオリを宥めた。
「それもそうだね。それにしてもさぁ、あんた白昼夢の話をする時、何か楽しそうだね」
イオリは、マコトの顔を覗き込んで反応を待った。
「昨日からずっと生い立ちから見てるじゃない?何か他人事では無くなってきちゃった。でもね、今日は話が途中で途切れたの」
マコトはイオリと目を合わせた。
「また、どうして?」
「光が眩しくて、目が覚めたの」
「ああ、あの急に日差しが注いだ時だ」
「オオドシの話をしようとして・・・わざと止めたような」
「どういうこと?」
「ここから先は、お楽しみに・・・って感じかな」
マコトは、あやふやに答えて、夜空を見上げた。
「てことは、あんたの白昼夢は、スサノオに影響されていて、次は九州で答えを見つけなさいってことか」
イオリは冷静に分析した。雲間からは、三日月が顔を覗かせた。庭の奥からは、鈴虫と蟋蟀の合唱が聞こえてきた。
夕食を済ませ、ほろ酔いの二人は、二日間の連続した興奮状態に疲れてか、早めに床に就いた。そして再び夢を見た。
早朝の稲佐の浜、海は凪いでいた。二十数人乗りの構造船が数十艘の船団を組んでいる。それぞれの船には、軽装の八人の漕ぎ手が左右二手に分かれて船端に並び、そこへ胴体だけを守る軽微な鎧を身に着けた男たちが十数人ずつ乗り込んでいった。浜には、これから乗船する男たちと、それを見送る家族たちが集っていた。
男たちの中心に、歳を重ねたスサノオと思われる男がいた。その脇には、凛々しい青年の姿があった。見送る側の若夫婦が声を掛けた。
「気を付けて、いってらっしゃいませ」
「おう、数年帰らぬかもしれぬ。この国を頼んだぞ」
「お任せください」
「お兄様も、お気をつけて」
「私は出雲へは戻って来ないかもしれない。元気でな」
それぞれの立場で会話がなされた後、手漕ぎ船の船団は、西方へ向けて出航した。
翌朝、目覚めた二人は、冷静に会話を交わした。
「船出のシーンだったね」
イオリが先に話を振った。
「登場人物は誰だろう?」
マコトが応えて尋ねた。
「出発するのは、スサノオとあとは息子の誰か?」
イオリは、白昼夢でスサノオをよく知るマコトに逆に尋ねた。
「とすると、息子らしき青年はイタケルかオオドシ。見送るのは、おそらくオオクニヌシとスセリヒメ」
マコトはこれまでの経緯から想像した。
「西に向けて、スサノオは出発した」
イオリは自信を深めて声を発した。
「その先で何が起きたのか、九州へ行ってわかるといいネ」
二人は次なる旅へと期待を膨らませた。
今回はここまで。
アマテラスのイメージイラストです。
目元を大分出身の指原Pに似せてみました。アマテラスと大分の関係は、次回以降の展開で。
年老いたスサノオのイメージイラストです。
石見神楽のスサノオ面は、大蛇退治の場面なので目が吊り上がっていますが、年を重ねたスサノオは、穏やかな顔をしていたと思います。
今回のロケーションは
日御碕神社の楼門
日御碕神社「神の宮」の女千木
みさき丼
須佐神社 大杉
地元のカメラマン鈴木健之さんの作品です。同行していましたが、冬空から一瞬だけ日が差した奇跡のカットです。
須佐神社「天照社」
須佐神社「朝覲祭」
昼食の「みさき丼」は日御碕の各店でたべられますが、お店のモデルは「花房商店」です。
松江は自家焙煎の珈琲屋さんが人口の割りに多く感じます。お店のモデルは「CAFFE VITA」です。
次回は九州へ飛びます。お楽しみに。