大物主神の正体(改訂版) | 出雲@AGO★GOのブログ

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2014年の年末にアップしたテーマですが
有難いことに、いまだに目を通して下さる方が
いらっしゃいます。

内容の中で、一部詰めが甘い部分があるので、
その後の調査に基づき、改訂版をアップします。


奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の主祭神は、
倭大物主櫛𤭖魂命
(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマノミコト)で
一般的には、大物主神として親しまれています。

 

日本書紀 八岐大蛇のくだり一書(第六)で
「大国主神は大物主神ともいう」
と記されているので
大国主神=大物主神と解釈されています。

ところが、古事記では
一緒に国造りを進めたスクナビコナが去り
オオクニヌシが途方に暮れていると
別の神様が海からやって来て、
「御諸山に祀れば国造りが完成する」といい
オオクニヌシはその通りにします。

その祀った場所が
現在の奈良県桜井市の三輪山で
祀られたのが、大物主神です。

これを読み解くと
大国主神と大物主神が同一神とはなりません。

 

オオクニヌシがスサノオの子というのも同様で
日本書紀の八岐大蛇のくだりに記されていますが
古事記のオオクニヌシは、
スサノオの末娘、スセリビメの婿で
スサノオは義理の父にあたります。

話を戻すと
大物主神が大国主神でないとすると
いったい誰なのでしょうか?

もう一度、
古事記を検証してみると

「スクナビコナが去った後にやって来た神は
 御諸山に坐す神なり」と記され
次の文の冒頭で
「かれ、その大年神は、・・」と続いています。

これを素直に読み解くと
御諸山(三輪山)の神、つまり大物主神は、
大年(大歳)ということになります。

大歳とは
京都の八坂神社の表記に基づくと
スサノオの5番目の子です。
古事記で「大年神の神裔」の章が
あるくらいですから、重要な神様の一柱です。

 

一方、
愛媛県松山市北条町の
國津比古命(くにつひこのみこと)神社の主祭神は
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(アマテルクニテルヒコ アメノホアカリ 
クシタマ ニギハヤヒノミコト)です。

隣接する櫛玉比賣(くしたまのひめ)命神社には
ニギハヤヒの妻、御炊屋姫(ミカシキヤヒメ)命が
祀られています。

この神社でわかる重要なことは、まず、
櫛玉とは、ニギハヤヒを意味することです。
(由緒に明記)

ニギハヤヒとは、
日本書紀と先代旧事本紀を集約すると
神武東遷に先駆けて
アマテラスから十種神宝を授かり
天磐船(あまのいわふね)に乗って
河内経由で大和に降りたとされる方です。

この神社の由緒に基づくと、
櫛𤭖(くしみかたま)=櫛玉(くしたま)=ニギハヤヒ
すなわち、大物主神=ニギハヤヒ
ということになります。

※「くしみかたま」と「くしたま」は違う
 という方もいますが、
 「みか」は丁寧語と解釈できます。

そして、もう一つ重要なことは、神社の名の通り
ニギハヤヒは国津神(出雲の神様)であることです。

出雲の神様であることは
國津比古命神社の境内摂社が
ウカノミタマを祀った稲荷社で
櫛玉比賣命神社の境内摂社が
スサノオを祀った素鵞社であることからも
察せられます。

また、
福岡県宮若市にある
天照(てんしょう)神社の主祭神も
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です。

こちらは、垂仁天皇16年の創建で、
記紀が編纂されるずっと前から
存在する古いお社です。

天照神社

境内摂社に祀られていたのは
須賀、恵比須、諏訪、鹿島で
こちらも出雲神話に登場する神様ばかりでした。

これで、
大物主神=ニギハヤヒそして出雲の神様の
可能性が出てきました。
ではニギハヤヒ=大歳は検証できるのでしょうか?

原田常治氏が
著書「古代日本正史」の
天照国照大神饒速日尊の章にて
ニギハヤヒ=大歳とする要件の一つに
島根県雲南市の須我神社にて
琴平=大歳となっているとありました。
はたして、本当でしょうか?

須我神社

須我神社には
若宮神社という境内神社があって
そこには
稲荷、秋田、火守、琴平、木山の
五社が合祀されています。

この五社はスサノオの若宮、すなわち、
スサノオとクシナダの八人の子の中の
五人の男神を意味していると思われます。

しかし、現在は
どれが誰を指すかは示されていません。

稲荷は6番目のウカノミタマ
木山は2番目のイタケル(筑紫神社参照)
https://ameblo.jp/goenagogo/entry-11859305662.html
であることは想像できます。

残る三人について
まず火守は「かもり」と読みます。
須我神社に近い出雲市斐川町の神守も
「かもり」と読みます。
想像の域を脱しませんが、
火守はこの地に残って、家を守った
長男のヤシマヌを示すのではないでしょうか?

次に秋田ですが
秋田の語源は見つかりませんでした。しかし、
似た名前に秋鹿(あいか)という地名があります。
(当時は「あきか」と読みました) 
出雲国風土記で秋鹿郡に登場するのは
7番目のイワサカヒコです。

妄想による消去法で
琴平は5番目のオオドシとなりました。

また、
大物主神を祀る金刀比羅宮がある
香川県琴平町には
大字上櫛梨字大歳という場所があり
そこに鎮座する大歳神社の祭神は
伊須氣余理比賣(イスケヨリヒメ)命でした。

前回はここで
イスケヨリヒメはニギハヤヒの娘と
安易に書きましたが、説明不足でした。

古事記を読み解くと
ヒメタタライスケヨリヒメは
大物主神の娘だとわかります。
しかし、それだけでは
ニギハヤヒの娘とは言えません。

そこで、探し出したのが、
島根県大田市の物部神社の
鎮魂祭(みたましずめのまつり)です。

物部神社の主祭神は、
宇摩志麻遅(ウマシマジ)命です。

この方は、ニギハヤヒの長男で
ニギハヤヒの死後、ウマシマジは長年、
ニギハヤヒが所有していた
十種神宝(とくさのかんだから)を安置していて
イワレヒコが神武天皇に即位する際に、
十種神宝を奉斎するために
斎行されたのが、鎮魂祭です。

現在、物部神社のサイトでは、
「天皇のために鎮魂宝寿を祈願された」と
ありますが、神社本庁の神社名鑑には
「十種神宝を奉斎して天皇皇后のために‥」
と記されています。

この「皇后のために」が重要で、
ウマシマジが、
イワレヒコに十種神宝を託したのは
皇后のイスケヨリヒメがニギハヤヒの末子で
正当な後継者だったからに他なりません。

ニギハヤヒの末娘であり、
大物主神の子とされるイスケヨリヒメが、
琴平町の大歳神社に祀られていた。

これで
状況証拠は出揃いました。

古事記より
大物主神=大歳

クシタマの解釈より
大物主神=ニギハヤヒ

須我神社と琴平町にて
大物主神=琴平=大歳=ニギハヤヒ

よって
私の妄想☆考古学においては
大物主神=大歳=ニギハヤヒであるという
結論に至りました。

信じるか信じないかは
あなた次第です。