14~15世紀に猛威をふるった倭寇は一時鎮静化していたが、勘合貿易を支配していた守護大名・大内義隆が1551(天文20)年に死ぬと、再び活発になった。公的貿易が途絶えたことで密貿易が復活し、一部の密貿易商人が海賊と化したのである。
もっとも、この「後期倭寇」と呼ばれる海賊たちの9割は中国人であり、襲撃地も中国大陸沿岸部に集中していた。彼らが倭寇と呼ばれた理由は、その拠点が五島列島などにあったためである。
当時、最大の勢力を誇った王直一派も、もとは中国の密貿易商人で、全盛期には数百隻の船と2000人以上の配下を抱えていたという。