自分が何であるかを知るためには、
自分ではないものと対決しなければならない。
これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。
自分自身を定義するのは、
自分ではないものによってだ。
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何かを知ることと体験することはべつものである。
体験するには、物質的な世界で対極を知らなければならない。
と神が説いているシーンの一部。
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「もともと、私たちは神である。」
「創造するまでは創造者としての自分を知ることはできない。
自分自身を創らないという経験があってはじめて、自分を創ることができる。」
と言っています。
自分でなくなることなどできないので、
自分がほんとうは何者なのかを忘れるという方法をたった。記憶を捨てることで選択できるようにしたと言っています。
たしかに、そうすれば、忘れれば、
あらたに体験できます。
新しい体験だと認識します。魂は知っていても、精神や身体は知らないことだと認識します。
そういうシステムから分かるのは、
わたしたち、ひとりひとりが
実際に、本来は創造者であり、被創造者かのように思わされているということですね。
わたしたちは、神と同じ存在であり、自由な存在ということは明確だということです。
なんか、感謝なことですね。
続けて、神は、地上でのわたしたちの仕事は学ぶことではなく、思い出すことだし、
ほかのひとにそれを気づかせること、思い出すようにしむけることだと言っています。
世の中には、とうてい愛だとはおもえない所業のひとたちも大勢います。
それぞれの魂が決めている役目でしょうが、そういう人たちに対しても赦し、愛し、同じ神の子として接することが大事なのかも知れません。
どんなに非道い人でも、ワンネスの魂ですからね。
ってことで、
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
本日も感謝の一日でありますように♪
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