プロフィール | 随神(かんながら)の道

随神(かんながら)の道

100名余りのモニター、ほとんどの方が答えをご存知でした。
では、なぜ悩みは消えないのか? それは、出口に向かって歩き出す勇気が必要なんです。人生は自分の力で歩くもの。
どんな方も勇気はあります、ちょっと背中を押されさえすれば。

セッションの経過とプロフール

 

 長年暖めて来た観音力カードを用いたセッションを、昨年の4月にモニターセッションとしてスタートしました。当初の目標は100件でしたが、希望者はなかなか現れず、無謀な数字と思っていました。6月に入り、セッションを進める内に50件という数字が現れ、それを目指しました。

 


 しかし、9月を過ぎる頃、50件という数字は目の前になり、結局、記録上は95件でしたが、数に数えないようなものを含めると、当初の無理と思われた100件を越えるセッションを経験しました。

 


 セッションを進める中で友人と神社をお参りしたときに、神さまからメッセージを戴いたこともあり、また、突然、亡くなった方からもメッセージが聞こえて来るようになりました。5月のスタート時のセッションから半年間で、セッションの内容も大きく変容してきました。

 


 セッションとは別に、多くの神仏から「呼ばれる」ことが増え、北海道から沖縄まで日本中を渡り歩きました。その時々に会うべくしてあったと思える神仏との出逢いがありました。
 また、モニターの中にはスピリチュアルの力を有した方もいらして、私のセッションの行くへを予言してもらうこともありました。その中でも、10月沖縄に行くという預言は、本当に沖縄の宮古島の大神島を訪れ的中しました。「そこに行くと大きく変容します」とのアドバイスは現実のものとなり、10月後半のセッショからモニターもセッションの内容も大きく変容し続けました。

 

 

以下、経歴です。

 

幼少期

 

 東京都に生まれ祖父母、父母、伯母、弟の7人家族でした。何不自由のない生活をしていましたが、4歳の6月に父親が自殺、12月に祖父が交通事故で他界し、1年で男ばかり2件の葬式を出すという不幸な家へと変貌を遂げます。5歳でぜんそくの発作を発症し、以降、中学校でバレーボールと出会うまで発作は止みませんでした。

 

 学生時代

 

 地元の公立小学校・中学校・高校と進学する。高校時代には、父親らしき声を始めて耳にする。中学・高校とバレーボールを続け、結局、その縁で大学進学。教員を目指すことになる。

 

 教員時代

 

  公立高校に採用となり、初任校6年、2校目13年、3校目4年それぞれ勤務する。特に2校目では、当初の2年間「先生」と呼ぶには正反対の存在に遭遇、徹底的にイジメられる。後に、その経験が自分の殻(常識)を破ってくれたことに気付く。
 また、その時、30歳で人生の教科書と言うべき『正法眼蔵随聞記』と出会う。同時に、イジメから逃れる為、母親が趣味で書いていた「写仏」に救いを求め100枚以上の仏と般若心経を模写する。これがスピリチュアルの出会いであったかも知れない。


 3校目の46歳で管理職試験に合格、翌年度、予備研修も待機も無くいきなり教頭として定時制高校に赴任する。当時は最若年(通常の4~5年早い)、予備研修無しの昇任で超エリート扱いを受けるがこれが本当の苦労の始まりであった。


 それから、教頭として5校、14年勤務する。その間、通常であれば1回経験するかどうかという事件事故にことごとく遭遇し、その後始末に奔走する。「なんで、自分ばかりこんな苦労に出会うのか?自分は疫病神か?」という思いもあったが、チャネリングを教えてくれた師匠から「その苦労があったから『今』があるのではなく、『今』がある為に、過去の苦労があった」と言われたときに、自分が歩まされた道の存在に気付く。


 余りの過激であった当時の定時制勤務(特殊な事情があり、書いたら1冊の本が書けそう)の疲労か、2校目で耐え難い四十肩の激痛に見舞われ精神を病み、改善のないまま3校目へ。そこでもあり得ない人物との遭遇により2ヶ月余りの休業する。2年間で脱出出来たが、4校目で東日本大震災を経験、ここも、何故か2年で異動。5校目で史上最悪の上司と遭遇、校長への最後のチャンスも大げんかの末、校長を棒に振る。(おそらくは3校目の休業が一番の原因と思うが)

 

スピリチュアルとの出会い

 

 退職を前にして、退職後の人生を考えていたとき、自分の物事を見る視点が、他人とは視点、常識とは異なることに気付いた。生徒や保護者へのアドバイスも他の教員とは明らかに違っていた。いわゆる「偏屈な教員」だったが、それが一部には評判が良かった。
 「当たり前のアドバイス」「聞き飽きた言葉」が横行していると感じ、それならば、退職後の生活設計は出来ていたので「偏屈な教員」のアドバイスは意外と役に立つのでは無いかと考えるようになっていった。


 当時、「ブログ」に興味を持ち始め、友人のブログにアメブロの開設ボタンを見つけて開設する。(天の邪鬼のブログ http://ameblo.jp/masa-2597/entry-11070164028.html)ブログを開設すると、何故か超有名人と町中で遭遇することになる。「未知との遭遇」と名付けた有名人との出会いは、街中で、当時のサッカー代表監督のザッケローニから始まり、柔道の山下・歌舞伎の市川團十郎(前)、銭湯で格闘家の秋山、果ては箱根のホテルの廊下で小泉純一郎前首相とすれ違うという、日本を代表するような有名人と毎週のように出会った。この時、天河大辨財天を舞台とする小説「随神(かんながら)」のブログを発見する。


 第二の人生を「人生相談」と決めていながら、実質的なカウンセリングの勉強には全く興味が持てず、ブログもスピリチュアルをテーマとしたブログばかりを探し回った。やはり、小説「随神」との出会いが衝撃的だったのかもしれない。


 何故か、東京十社といわれる神社を年末に廻ったのを皮切りに、日本中の神社や仏閣を訪ね歩くようになる。


 2012.8月念願であった天河大辨財天にお参りする。
その時のブログhttp://ameblo.jp/masa-2597/entry-11336310856.html)、その時が本当のスピリチュアルとの出会いだったと思う。

 

 取得免許

 

  中学校1級普通教員免許

  高等学校1級普通教員免許

  講道館伝柔道二段

  自動車普通免許

  松井式気功美容マスター

  ハンドマッサージ

  マインドブロックバスター

  チャネリングプライベートレッスン受講

  

 

 

天河大辨財天の使者