第2頚椎歯突起骨折闘病記~退院から大晦日に至るまで | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

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医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

ブログの更新が随分滞っています。以前のようにほぼ毎日更新するに至るまではまだまだ時間が掛かりそうです。

さて、8月23日に第2頚椎歯突起骨折、左腓骨骨折のため緊急入院を余儀なくされ、三ヶ月の
入院生活を経て、11月19日に私は退院しています。

退院してから、2015年最後の日、即ち大晦日に至るまでの私の生活を振り返ってみます。

()内は受傷日をday1とした日数です。

11月20日(day90) 退院してから、初めて自宅で朝を迎えました。退院前に試験外泊もしています。そして、家で朝を迎えるという当たり前の状況だけど、何となく違和感を感じています。

恐らく長期間入院していたため、“整形外科病棟ロス症候群”に陥ったと考えられます。

この日は入院中、お世話になった方や、お見舞いに来て下さった方への挨拶回りをしています。

11月21日(day91) 久しぶりに白衣を纏い、以前から診療所に通って下さっている患者さん達の
診察を行っています。

この日は代診の先生も来て下さっていましたので、インフルエンザワクチンの接種などを手伝って頂きました。

11月22日、23日(day92,93) この二日間は連休だったので、24日からの本格的な職場復帰に
備えての準備を行っています。

22日には運転免許の更新をするために山口南交通センターに行きました。免許証に用いられる
写真を撮る時は頚椎カラーを一瞬外していますw。

11月24日(dau84) 21日は代診の先生も仕事を手伝って下さいましたが、この日からは完璧に
一人で何もかもを行わなければなりません。

大丈夫だろうと思っていましたが、やっぱりちょっと不安を感じています。

尚、事故までの間は昼休みに訪問診察を行っていたのですが、28日(土)までの間は訪問診察
は行わず、通常の外来診療のみを行う予定でした。

しかし、実際は予定外の訪問診察を行わなければならない事情が発生し、計画通りにはいきませんでした。

昼休みを確保出来る日は、その時間を利用してリハビリのためのウォーキングを行っています。1時間程歩くとそこそこいい運動になりました。

11月30日(day100) この日から昼休みの訪問診察を再開しています。従って、昼休みに行っていたウォーキングは早朝に行うようにしました。

私は入院中は6時過ぎに起きる事を常としていましたので、午前5時前に起きるのに抵抗が
なかったといえば嘘になります。

しかし、ここを乗り越えなければ再起への道は険しくなると思い、非常識な時間に起床する生活に戻っています。

実際、ウォーキングも一か月以上の長きに亘って行うと、とても大変な事である事がよく分かりました。

キロ10分ほどのペースから始まったのですが、次第にそのペースは速くなり、キロ8分台で歩けるようになりました。

しかし、このペースまで上がると、ジョギングの方が絶対楽だと感じ始めています。普段は6キロ程歩き、日曜日は8キロ歩いています。

三ヶ月も診療所で仕事をする事が出来なかったにも関わらず、私の帰りを待って下さっていた患者さん達にはただ感謝の気持ちしかありませんでした。

大袈裟ではなく、久しぶりに診る患者さん達が神様に見えました。又、代診の先生達が苦労しながらも外来診察を行っていた事もよく分かり、改めて感謝の気持ちを深く抱いています。

12月17日(day117) 退院して4週間が経過したこの日、山口大学付属病院整形外科外来を
受診しています。

頚椎のX線検査、CT検査を受け、歯突起骨折がほぼ治癒している事が確認出来ました。

主治医の先生から頚椎カラーを外してよい事や、水泳の飛び込み以外の運動なら何をしても
よいとの許可を得ています。

診察が終わった後、入院していた整形外科病棟を訪れ、お世話になった看護師さん達に頚椎
カラーが外れた姿を見てもらいました。

12月18日(day118) 約4ヵ月ぶりにランを再開しています。ランといっても、そんなにスピードが
出せるわけもなく、いわゆるジョギングです。

12月19日(day119) 「金沢守クリニック」の忘年会を行っています。私が退院する事が出来、又
退院後も大きな問題なく過ごせたので、忘年会を行う事が出来ました。

私の留守中、頑張ってくれた妻や診療所のスタッフを労う機会を持てた事は何よりでした。

12月20日(day120) この日は日曜日だったので、自宅をスタート地点として、5キロちょい先の
ラーメン屋まで行って、折り返す10キロちょい走るコースを走っています。

このコースは8月まで毎朝のように走っていた道です。ゆっくりペースですが、10キロちょいを
走れた事は収穫でしたし、自信にもなりました。

しかし、ウォーキングと違い、ランニングは膝や足首に負担がかかるので、あんまり無理をすると故障に繋がると感じたので、適度に休足日を挟む必要があるとも感じています。

12月24日(day124) この日はクリスマスイブでした。夕食後に自宅でクリスマスケーキを食べています。ごく当たり前の事ですが、そんな当たり前の事がとっても幸せだと感じています。

12月31日(day125) 私にとって今年は散々な一年でした。しかし、頚椎骨折だけで済み、四肢
麻痺などの大きな合併症を起こさなかっただけ、本当によかったとも感じています。

私より程度の軽い骨折でも一生車椅子で過ごさなくてはならない人もいるのだから、私はまだ
運がよかった方だと思います。

12月18日にランニングを再開して2週間が経ちました。この2週間の間に95.8キロ走る事が出来ました。意外に走っているのに気付き、驚いています。

さて、私は今回の大怪我をする前から左足の外反母趾がかなりひどくなっていました。入院
する前は外反母趾用のジェルパッドを用いれば何とかなっていました。

しかし、長期間に亘って寝たきりになってしまった事から外反母趾は悪化の一途を辿ってしまいました。

今回の入院中に外反母趾の手術を受ける事も考えましたが、大学病院はDPCという医療制度を採用している事が主たる要因となり、それは断念しています。

来年、折をみて、外反母趾の矯正手術を受けるつもりです。入院自体は2泊3日で済みますが、その後3週間は松葉杖を用いなければなりません。

今のままでも走れない事はないのですが、右側に比べて大きく変形していますので、見た目が
よくないですし、長距離を走るにはハンデになります。

今回長く代診をお願いしたので、そんなに早い時期に手術を受けようとは思っていませんが、
半年程度経った来年5,6月頃に手術を受けようと思ってます。

2月28日に開催される東京マラソン2016には出場したいと思ってますので、ランニングは継続するつもりです。

出場出来るかどうか不透明な状況ですが、2月7日は神戸バレンタインラブラン(ハーフの部)、
2月21日は名田島田園マラソン(10キロの部)にもエントリーしています。

外反母趾の問題がなければ、もっとガツガツレースへの出場予定を入れるのですが、今一つ
テンションが上がらないのは残念です。

私が本格的にタイムを狙って競技に復帰するのは来シーズンだと考えています。

一難去ってまた一難とも言える状況ですが、あの辛い闘病生活を乗り越えたのだから、来年の
手術、そしてリハビリもきっと乗り越える事が出来るはずだと思う今日の私です。