最強で最高で最愛の母が、
アルツハイマー型認知症となったことで、
変わりに、
変わりまくった私となってから…
はやいもので、
6年の歳月が過ぎた…。

そんな私は、
あらゆる"物事"を、
【宇宙】という、
存在を基軸にして、
思い…
考えるようになったのである。

その中に、
「人の、死」ということが、ある。

どんな素晴らしい人でも…
どんなにかの、
実績、功績や、結果を、
遺した偉大な人であっても…
それは、
王様…
という、方々さえも、
「死」は、
必ず…
絶対に…
「平等」に、やってくる…
と、
いうことは、
確実なる出来事なのである。

その、
必ず…
絶対に…
「平等」に、やってくる…
「死」に、対して、
【大きなお金をかけなくても、いい】
と、
私達…
人類を創った全知全能の神である
【宇宙】は、
思い…
考えているに違いない…
という、
【宇宙理論】に、
たどり着くからだ。

一つ、事実例を例えようとおもう。

ある方の
叔母様がお亡くなりになった話だ。

この叔母様は、
最後に残った母親の妹さんで、
97歳での大往生だったそうである。

いくら97歳の大往生だから…
とか、
ここ最近は、施設入所だった…
などが、
あったとしても、

いざ…

その時を、迎えると、
家族としては、
冷静さをかいてしまい、
葬儀社側から、
提示されるがまま、
受け答えをしてしまうことは、
誰にでも、
おこることではないだろうか?

そのある方は、
一日葬を執り行うことを聞き、
より近しい身内であるため、
言われた時間に合わせて、
セレモニーホールに出向くと、
「これから納棺の儀をはじめます」
と、
言われたことに、
とてもビックリした…とのことである。

(えっ…)

(もう…)

(棺に入っているかと思ったのに…)

(家族だけですませてあると思ったのに)

(これから…納棺って…)

と、
立て続けに思いを巡らせたそうだ。

しばらくすると、
ビニールボートのような物が運ばれ、
その中に、
お湯を入れはじめ、
「ご遺体」となった
叔母様の着ていた物を脱がせ、
(⚠裸姿はみせません)
大きな布地をかけ、
シャワーを流しはじめ、
「今から洗わせていただきます」
と、
言い、
大きな布地の下で、
泡をつけ、
体を洗い始めたと思ったら、
「シャンプーをさせていただます」
と、
言い…
頭を洗い始めた、
その一連の様子をみた、
そのある方は、

(もう!やめて!)
(叔母は、そんなこと、望んでない!)
(そんな人じゃ、なかった!)

と、
悲鳴にも似た、
感情がわき…
いくら「納棺の儀」だとしても、
その光景を見続けること…
その場にいなければならないこと…
が、
耐え難く…
ずっと、
下を向き続けて
いたたまれなかった…
という、
話をお聞きしたのである。

洗った髪の毛を乾かし…
一連の行程が滞りなく終わったところで、
叔母様の娘さんである、
施主となっている従姉妹に、
詰め寄り、たずねたそうである。

「どうして?」
「あんなお風呂なんかに入ることに?」
「叔母は、あんなこと…」
「望むような人じゃないじゃん」

と、
たたみかけて、たずねたそうだ。

すると…
その従姉妹の方も、

「そうなのよ…」
「私も…」
「あんなことするとは思わなくて」
「なにが、なんだかわからなくて…」
「お願いします…」
「って、言うしかないじゃない…」
「だって、よくわからないじゃない?」
「だから…」

という、
やり取りとなったそうである。

わかる…
わかりますよね…

例え…
大往生だから…が、
理由ではないだろう。

私の母のように、
認知症で、
約9年の歳月が過ぎた…
となっても、
大切な家族にはかわりないわけで…。

私自身も、
いつか、
必ず…
絶対にくる…
母の「死」に対しての、
心構えは持っていたが、

いざ…

その時を、
迎えてしまうと、
葬儀社側から
「言われるがまま」
に、
対応することになってしまうのだ。

この叔母様の
「納棺の儀」で、お分かりのように、
これらの一連の行程には、
「大きなお金」が、
かかっていることも、
ご理解いただけるはずとなるが、
皆々様は、いかがだろうか?

そうであるなら…

【宇宙理論】に、のっとって…
人は、
必ず…
絶対に…
「死」を迎える時は、くる。

それは、
誰にも…である…。

それは、
かなしいかな…
仕方のないことであるだろう。

だからこそ…

はじめから、
「人が死ぬ」ことに、
【大きなお金をかけなくてもいい】
とする、
方法に…
仕組みに、
するべきではないだろうか?!

もう…
きちんと、
きちんと、
やってきたじゃないですか?

もう…
大きなお金を使って、
通夜、
葬儀をやってきたじゃないですか?

もう…
四十九日法要だ…
新盆だ、彼岸だ…
一周忌だ…
すぐに、
三回忌だ…
と、
言われて、
たくさんのお布施という名の、
「申告外」の、
お金を使ってきたじゃないですか?

もう…
このへんで、
いいんじゃないですか?

「人の死」に、
【大きなお金をかけること】は、
やめませんか?!
と、
いう私に、
変わりに変わった私となったのだ。

そういえば…

私の地元の葬儀社の社長が、
2020年のコロナ禍となって、
通夜、
葬儀模様が、
いちじるしく変わり、
通夜膳などの、
食事を振る舞うことも、
簡素になったことで、
「まったく!」
「儲からなくなった!」
「まいっちゃうよ!」
と、
言ってたことを思い出した…。

そりゃ、
そうだよね。

祭壇なんか、
ちょっとかえるだけの、
「使いまわし」
だもんね♪
セレモニーホールも、
一日、幾ら?
だもんね、
それが、
一日葬ばかり…となっては、ね♪

「儲け」は、
半分だよね…。

誰にも、
平等にくる…
「人の、死」で、
「儲ける」
「儲かる」
なんて…
もう…
やめたほうが、いい。

私は、
こう思う私になったのである。

長い長いブログをお読みくださり、
本当にありがとうございます。
こりずに…
また、よろしくお願いいたします。