いつも神様に問いかけていました 十字架
 
こんなに善良な人たちでも、
イエス様を信じていないというだけで
亡くなられた後は本当に地獄へ行ってしまうのでしょうかはてなマーク 亜友未はてなマーク
 
あるいは死ぬ直前に、超自然的な方法で
イエス様を信じる術があるのでしょうか、、、?

 

 

今回、その究極の問いかけに答えを見い出せるような
ビデオを見つける事が出来ました 照れラブラブ
 
皆さまにもぜひシェアさせて頂くと共に、一部抜粋させて頂きますね!

 

 

 

 
「死後の世界」
 
人は死んだら、どこへ行くのでしょうか?
 
無に帰するのでしょうか?
それとも、どこか死後の場所へ行くのでしょうか?
 
私たちも、人生のゴールである死後の世界について、はっきりとした真理を知らないと、今の人生そのものがおかしくなってしまいます。
 
 
世界で最も古い書物である「聖書」に、
人は死んだらどうなるかということが書かれています。
 
 
「天国・よみ・地獄」
 
聖書は、死後の世界として3っつの場所を述べています。
 
中世にもローマカトリック教会の長い堕落時代がありました。
 
その時以降、「よみ」と「地獄」は混同されていました。
 
しかし聖書をよく読むと「よみ」と「地獄」は、全く別の場所であることがわかります。
 
今日、人は死ぬと「天国」か「よみ」に行きます。
 
天国か地獄ではありません。
 

天国に入るチャンスは全員に与えられています。

 
それには一つだけルールがあります。
 
それは誰にでもできることですが、
神を信じるという事です。
 
 
神を信じることなく地上から去った人々は
一般的な死者の世界である「よみ」に行きます。
 
よみでは、人が地上に生きていた時の行いに応じて、「慰め」や、「懲らしめ」など、
 
それぞれに対する報いが与えられ、
神様からのお取り扱いを受けます。
 
 
「よみ」という世界
 
世の終りになると、古い天地が過ぎ去って
新しい天と、新しい地が創造されます。
 
そうやって世が改まる境目の時に、
「最後の審判」と呼ばれる
神の裁判の法廷が開かれます。
 
神を信じないで死んだ人々は
世の終りに、「よみ」から出されて
神の裁判の法廷に立ちます。
 
その法廷で、彼らの最終的な行き先が言い渡されます。
 
「地獄」は、世の終りの
「最後の裁判」以降のための場所なのです。
 

 

「よみ」の中のいくつかの場所
 

よみは「慰め」の場所と「苦しみ」の場所という、少なくとも二つの場所に分かれています。

 

「よみ」には、なお神の恵みがあるのです。

 

一方「地獄」には、もはや神の
恵みはありません。
 
 

世の終りには、よみから全ての魂が出されて、

神の裁判の法廷に立たされます。
 
神はそのとき彼ら一人一人に
公平で、真実、また憐れみに満ちた、
適切な裁判をなさいます。
 
 
二つの道
 
私たちの前には、死後に「天国に行く道」
「よみに下る道」とがあります。
 
「~先祖がよみに行っているのに、
私だけ天国に行くわけにはいかない」
 
というかたも、いらっしゃるかも知れません。
 
けれど、先に述べたように、
「よみ」は最終的な場所では無いのです。

 

 

聖書の中では、常に先祖が大切にされています。

 

 
つまり、あなたが神を愛し、神の教えに生きるなら、あなたに与えられる祝福と恵みは、
 
単にあなただけにとどまらず、
あなたの先祖や親族にも豊かに注がれます。
 
また、すでによみに行っている先祖にも、
その恵みと憐れみが注がれるのです。
 
 

イエスは、この地上に今生きている人々のためだけでなく、

よみの人々が救われて天国へ行けるようにするためにも、
 
十字架上で購いの死を全うされ、
復活し、天に昇られたのです。
 
 
若き日に神を覚える
 

神の導きががなければ、

決して良い歩みはできません。
 
「よみに行ってから神様を信じればいいじゃないの?」
と考えることができるでしょうか?
 
できません。
 

この地上で

神を信じないまま死を迎えたとしましょう。
 
そうすれば、あなたは死後、暗い「よみ」へ行き、
そこに用意された場所で、かつて地上にいたときの
蒔いた種を刈り取ることになります。
 
たとえ、そこで回心して神を信じたとしても、
よみからすぐに出されるわけではありません。
 
それまでの期間は、あなたが地上で生きた人生の何倍もの長さ、あるいは何十倍、何百倍もの時間となるでしょう。
 
私たちの心はすべて、神の前に裸なのです。
 
本当に神に生きる心があるかないか、
神はすべてご存じです。
 
よみでは、この地上以上に
それは厳しく問われるでしょう。
 
これら天国への道と
よみへの道のどちらが良いでしょうか?
 
私たちは、神とキリストを信じることの素晴らしさを知るならば
人生の早い段階で信じるのが一番良いのです。
 
神はそのあなたの思いに、
必ずや応えて、祝福してくださいます。
 
 

 

 
 
私たちが祈る時
 
神は求める以上に、聞いてくださり
想像以上に与えてくださるのです
 
神ご自身のタイミングと
神ご自身の方法で、、、
 

☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜

 
 
 
アメリカの母が天に召されてから、それまで以上に「死」というものを深く考えるようになりました
 
亡くなる直前には沢山一緒に時を過ごす事が出来ました事を、心から神様に感謝しています 十字架
 
主によって生かされている限り、一日でも長く生きて欲しいと願い、また少しでもそばにいたいと思っていました キラキラ*
 
でも、、、もしかするとクリスチャンである母にとっては痛みも苦しみもない、イエス様のおられる天の御国に召された方が安らかで幸福であるのでは、と悩んだ瞬間もありました 悲しい
 
そんな時、ジャーナル(聖書の学び)をしていると、下記のみ言葉が繰り返し示されたのです 十字架キラキラ
 
 
    「むしろ、死ぬことは願わしいのです。
    それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。 」
 
 
その時の、自分の願いとは異なっていたので、心の葛藤もありましたが、今では心から母の旅立ちを感謝する事が出来るようになりました 十字架キラキラ
 
帰国してから、病院の母のそばで流していたCDを聴きたいとふと思い立ち、リビングに向かったその瞬間に、若かりし母の優しげな笑顔がものすごく大きな映像のような形で心によぎりました 照れ
 
今のは何だろう?目 と少し不思議に思ったものの、母がとにかくとても嬉しそうだったので、「良かった!」と単純に喜びながら、心平安に賛美のCDを聴いていました。。
 
ちょうどその時間に、母が天に召されたのだと直後の姉の電話で知り、日本まで会いに来てくれたのだと、心から喜ぶ事ができました*星*キラキラ
 
去年の夏には、もう余命いくばくもないと聞かされていたのですが、一緒にクリスマスまで過ごす事が出来た事も心から感謝しています 天使
 
(そして常々、どうか死に際には会わせないでください汗と願っていた思いを叶えて下さった事も、、笑って手を振った記憶を最後にしてくださり、最善をなして下さった神様の御恵みにもピンクキラキラ
 
 

 
 
もし宜しければ、今回のジャーナルにて示された聖書箇所の方をシェアさせて頂きますねおねがい*星*
 
 
私たちがいま住んでいる
地上の家が取りこわされても
 
〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕
 
天には新しい体、
永遠に保証された家があります。
 
それは、人の手ではなく、
神の手でつくられた家です。
 
今のこの体は傷み衰えていますが、
 
天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、
首を長くして待っているのです。
 
いま私たちは、確信をもって
天で与えられる体を待ちこがれています。
 
また、このように地上の体で過ごしている間は、
 
イエスと共に過ごす、天国の永遠の家から
離れていることもよく知っています。

 

ですから、少しも恐れません。
 むしろ、死ぬことは願わしいのです。
 
それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。
 
 

 
 
そういうわけで、地上でこの肉体のままでいようと、
肉体を離れて主と共に天にいようと、
私たちの目的は、いつも主に喜ばれることです。
 
なぜなら、やがて私たちはみな、
 
キリストの前でさばきを受けなければならず、
全生活がさらけ出されることになるからです。
 
善であれ悪であれ、
地上の体でいる時の行いに応じて、
 
私たちはそれぞれ、
ふさわしい報いを受けるのです。
 
ですから、私たちの心に
いつも主を恐れる思いがあるのです。
 
それで、ほかの人々を説得しようと
必死になっているのです。
 
それが純粋な気持ちから出ていることを、
神様はご存じです。
 
だから、あなたがたにもこのことを
はっきり知っていただきたいと、心から願っています。
 
こういうわけで、私たちはキリストの大使です。
 
神様が、私たちの口を通して
語りかけてくださるのです。
 
キリストが懇願しておられるかのように、
キリストに代わって、あなたがたにお願いします。
 
どうか、差し出された愛を拒まず、
神様と和解してください。
 
それは神様が、罪のないキリストに
私たちの罪を負わせ、それと引き換えに、
 
私たちに恵みを注いでくださったのですから。