年が明けました。

あれから2ヶ月、本当に早いものです。

正直、夫を悼む時間もなかった2ヶ月でした。

皆様のコメント、皆様の存在には本当に励まされ、感謝していますおねがい


さて。

今日は心の狭い私のネガティブで一方的な長い愚痴なので、スルーしてもらってグッド!


この2ヶ月、私の気を重くさせていたのは、夫を亡くした寂しさとかショックではなく、義両親とのやり取りでした。


まず。

舅は大人しく温厚で、仕事しかしてこなかった真面目な人です。姑はしっかりものの専業主婦で、そんな舅を支えてきた人です。

二人共、80代の夫婦としては平均的で、常識的で、善良な人達だというのが、周囲の人の評価と思います。


葬儀を終えた私は、仕事をしながら諸手続きと、沢山包んで下さった方や、特にお世話になった方へのお礼の準備を進めて行きました。


以前のブログで書いた通り、私と夫は職場結婚でしたので、お礼もほぼ私の知人であったり、夫の学生時代の友人も、お会いしたことのある同世代の方達ばかりでした。


ですので、相手にあまり気を遣わせないよう、シンプルだけど質の良い今治タオルを、ポストに投函できる簡易な梱包としました。

御礼状は私がデザインしたメッセージカードを印刷屋さんでプリントしたもので、文章はお店で付けてくれるような一般的なものとしました。8割型の人には、それにプラスして手書きのお手紙を個々に付けました。

全体的にカジュアルな印象ですが、義弟や娘はおしゃれで温かみがあると言ってくれてました。


段取りがほぼ終わり、あとは少しずつ梱包して送るだけだな、と思った矢先、舅から電話が。


「ちーぼーさん、皆にお礼なんかは用意してるの?」


私はその旨伝えて、品物とカードの写真を送りました。


まず、そのカードの文章を姑が気に入らず。

「この文章は、ちょっともったりしてるんじゃない?」

「横書きなんてありなの?」

「拝啓と敬具は入れたほうがいいわ。」


「わかりました。じゃあ、今仰っしゃられた指摘を直したものを再度発注します。」


プリントした80枚が無駄になりましたが、再度発注するため、修正案を「これでいいですね?」と念押しで写真にとり送りました。

姑は若干何か言いたげではありましたが、OKを出しました。


出来上がったものを写真で送ると、

「改行がおかしくない?」

「字が小さすぎるわ!!」

「こんなの送ったら、私、一生の心残りだわ!」

舅まで、

「ちーぼーさん、これはプレゼントにつけるメッセージカードとは違うんだよ。最後の手紙なんだから。皆さんに失礼のないように。」

と。


こうなったら、何回修正したってずっとダメに決まってます。

「じゃあお好きなように作ってこちらに送ってくださいっ!」

と、売り言葉に買い言葉で、電話を切りました。


送られてきたメッセージカードは、縦書きのカード式。文字は私が作ったものより小さくなりました。

さらに、戒名が入っていました。

その戒名は、葬儀の時に依頼したお坊さんに付けてもらったものを、義父母が別に付け直したものでした。

戒名について、どれだけ親の思いを込めたかをこんこんと義父が語っていました。


その他、御香典を誰からいくらもらったのか?

葬儀がいくらかかったのか??

年賀状のやり取りも知りたいので送ってほしい。

ちーぼーさんの体調が気になるから健康診断の結果を見せてほしい(!)

荷造りしたタオルのサンプルを1つ送ってほしい。


とも言われました。

それを知ってどうするのですか?


皆さんへの失礼がないかを知りたい。

孫とちーぼーさんが心配。


だからだそうです。

私に失礼な話だと思いますけどね。

もう他人なんですよ?


金額を入れていない芳名帳と、葬儀の領収書、年賀状は送りました。

あとは、実害がありそうなので無視しました。


そんなこんなで本当に義実家に行くのは嫌だったのですが、49日と昨日、子供たちを連れて行きました。


帰ろうとした矢先、義父に呼び止められ、

「まぁ、座りなさい。」

私は話すことはありませんし、ろくな話じゃないに決まっているので、「結構です」と言いましたが、

「大事な話だから。」

と。


義父母「ちーぼーさん、大丈夫なの?健康診断は?」

私「…大丈夫でしたよ。」

義父母「パートだって聞いたけど、個人の事務所で働いているようだけど、安定しているの?」

私「…まぁ、何とかなると思います。」


自分たちは金銭的な援助はできない状況にあるけど、できる限り力になる。

ちーぼーさん、くれぐれも、孫たちの事を頼むよ、と。


そんな事。

舅から頼まれるまでもありません。

祖父としての責任を果たしたつもりですか?

励ましているつもりですか?

日々、そのプレッシャーに押しつぶされそうになっている私をさらに追い込んでどうしたいのですか?


癌の経過観察をしながら、パートとはいえ、フルタイムで働き、子育てをしている私に、これ以上どうしろというのでしょうか?


私が癌と伝えたらどうしますか?

生活習慣を改善しろと言いますか??

パートから正社員になり残業したらだれが子育てと家事をしますか?

あなた達はは何の力になってくれるんですか??


義父「後は、息子が遺したものがどれだけあるか。また、それがわかったら教えてください。」

私「…大丈夫です、としか言えません。」


結局、義父母は自分たちが安心したいのです。

孫や私の事を心配だという。

私は孫を育てるツールとして必要なのであり、決して私を心配しているわけでも、ましてや気持ちに寄り添ってるとも思えない。


昔から義母は自己中心的ではあったけど、ここにきて、大人しく優しそうな義父がより、自己中心的な人だと思えるようになった。

そして、本当に体裁と外面重視な人なんだなと。


夫の闘病中も夫を見ていたのか?

両親への金婚式のプレゼントのいう名目での、夏の最後の旅行。

終始いつもの自分のペースで行動した義父。

夫は一緒にお風呂に入るのを楽しみにしていたのに。


最期の日。

ほぼ控室で寝ていた義父。

鎮静をかけて穏やかになった夫を見て、

「少し落ち着いたから、我々は朝食を取りに行こうか。」

と。

「おじいちゃん、今にも息が止まりそうなんだよ!」という娘に、「そうなのか?」と。


義父は常識的で善い人そうで、それらしい正論を言う。そして、私を傷つける。


私は、独善的な善意、無神経な善意が大嫌い。

なぜなら、それを断った方が悪とされ、断る事が許されないから。

娘も「おじいちゃん達は、私達を心配してるんだよー。ママ、性格やばいわ。」

という。

本当にそうだったら無視してくれたほうがマシだ。


以前、駅のホームでみたプラスチックのベンチ。

老人会手編みの毛糸のフリルのついたカバーが架かっていた。

「ベンチは冷たくて固いし、可愛いカバーを掛けたら雰囲気もよくなるんじゃない?」

きっと、そんな善意で駅に寄付をしたのでしょう。


デザインも浮いていることながら、問題なのはそこに誰も座っていないこと。

薄汚れたカバー。

座りたくないですよね。

毛糸のカバーは汚れやすいですよね?

夏は暑いですよね?

誰が洗うのですか?駅員さん?

捨てるにしても、駅員さんが不要な罪悪感を抱くかもしれないんです。


でも、駅員さんには、くれるというカバーを断われないです。

手編みで善意のこもったカバー、断るなんて非情すぎます。


私はこういう相手を全く見ていない、相手に迷惑をかけたり傷つけたりする善意風の独善が、本当に嫌いなんです。たちが悪いんです。


義父にはそれを感じてしまいました。

私の意地悪であり、考えすぎかもしれないです。

80代のお爺さんなら普通なのかもしれないです。

新年早々負の感情をすみません。

でも、私はスッキリしましたおねがい


穏やかな気持ちで、ゆっくりと夫を悼みたいです。