夫を家族で看取ることができたわけですが、やはり後悔は色々とありました。


結局、夫はほとんど一人で闘病してたこと。

車で1時間のがん研での抗がん剤治療も、転院した緩和ケア科さえも、彼は一人で行きました。


夫の癌が発覚する前の年、私はパートで仕事をしながら、3度の不合格を経て、一級建築士の資格を取りました。

さぁこれからスキルを身に付けて本格的に働くぞ!

、と再就職した矢先の夫の癌。しかも膵臓がん。


夫を失った後、私が子供たちを支えていくために、そんな状況でも、仕事を続けて経験値を上げたかった。


夫も、必死だった私の姿をみて、申し訳ないという気持ちがあったのかもしれません。


「仕事休もうか?」

「大丈夫だよ。寝てるだけだし。」


胆管炎の時も、

「病院行かなくていいの?」

「結局抗生剤もらうだけだから。行かなくても大丈夫。」


家で下血して苦しんでいた時も

「大丈夫。」


亡くなる前日の混濁した意識の中でさえも

「うん、大丈夫。」


私は、夫の大丈夫、に甘えて、何もしなかった。

子供達も、パパが大丈夫だと言うなら、大丈夫だと信じていました。

夫も、私達に心配をかけないためなのと、自分でも大丈夫だと信じたかったのかもしれません。


せめて最期だけでも、ずっと側に居たら、異変に早く気づけて、苦しむ時間がもう少し短くなったかもしれないし、もっと色々な事が話せたかもしれないと思うと、夫には可哀想な事をしました。


初診だけで終わった緩和ケアの主治医が、亡くなった後で、「可能な限りは在宅で。最期は入院でもいいので、家族にはなるべく迷惑をかけないようにしたい、と仰ってましたよ。」

と言ってました。


最期に担当してくれた緩和ケアの先生も、ご主人の、望む形だったのだと思いますよ、と。


本当に、私達家族は、夫が亡くなる前日まで、ごく普通に過ごしていたのです。

夫だけが、苦しみを一人抱えて。

弱音を吐かず、優しく強い父親として。

そんなに遠慮しなくても良かったのに。

弱さをみせて、頼って甘えても良かったのに。

家族なんだから。


がん研の主治医も「あと1〜2ヶ月で動けなくなることが想定されます」と言ってて、夫も私も、そんなに短いの?と驚きましたが、それを告げられた翌々日に、夫は逝ってしまいました。


感謝の気持ちとか、大事な事はギリギリまで伝えられなかった。

もっと沢山、言いたいことはあったけど、最低限しか伝えられなかった。

それを言ってしまうと、すぐ死んじゃうみたいで、中々言えなかったけど、そのあとずっと生きてたとしても、伝えれば良かった。


闘病の形は本当に人それぞれで、正解は一つではないのかと思います。

最期まで治ると信じて頑張り切る人もいるでしょうし、無治療で早くから死を受け入れる人もいたり。

もっと家族に甘えて、それに応えるご家族もいるででしょうし、入院してプロのケアを受けるかたもいるでしょう。


私は夫に対して、大して何もできませんでしたが、夫が夫の望む形で最期を迎えられ、いい人生だったな、と思って旅立ってくれてたら、とそれだけが願いです。


それは、きっとどんな闘病の形であれ、皆さんも願うことなのかな、と思った次第です。