昨晩、石巻で回されたメールです。



『被災地ケルンプロジェクト』



思いを残そう

足跡を残そう


私達は辛い体験をしました。でも、それを伝えていかなければなりません。

日本中に…

世界中に…

後世に…


被災地ケルン・プロジェクトは被災地に転がっている石でも、地元特産の石でも、何でもいいから、地元の人や被災地を訪れた人が石を積んで行こうという企画です。

みなさんは、ケルンをご存知ですか。
山に登るとき、先に登った人は1人1人、後から登って来る人のために『道標』として、石を積み上げていくのです。そうして、積み上がったものをケルンといいます。

では、被災地ケルンとは?

みんなが思い思いの石に、思い思いの言葉を記して積んでいくのです。
積み上げた石が、高く大きくなって行く毎に、一歩一歩復興が近づいていくのです。
被災地の、地域ごとにケルンが建って、そこを巡り歩くツアーができたっていいのです。
人が訪れる毎にケルンが大きくなって、ケルンが大きくなる毎に街が復興していくのです。



石巻を訪れる人達が、実際にボランティア活動をしてもいいけれども、ケルンを訪ねて、ケルンに石を積み上げていくだけだっていいのです。

誰にでもできる活動です。


門小の校庭

石に自分の名前を記しても、メッセージを刻んでもなんだっていい。

私達の積んだ石が、きっと復興に繋がる。未来に繋がる。



私達は絶対にあきらめない。

石巻は絶対に復活するんだ。


私達は絶対にあきらめない。
輝く未来が待っているんだ。


きっと変わる。

未来はきっと変わる。


そこには、かつて街がありました。

住む人がいて、生活がありました。

笑顔がありました。

幸せな日々、人の営みがありました。


目をつぶれば、思い出されます。


楽しかった高校生活…

笑いあった日々…

友と勉強に部活動に切磋琢磨しあった場所…

何度も何度も駆け抜いた階段…

夏休みにキャンプした海岸…


目をつぶれば、今でも浮かんできます。

尊敬する先輩達が卒業していくとき、紙テープを投げたり、クラッカーを鳴らして、教頭先生に居残りさせられたこと…

市内の女子高に、ちょっかいだしに行ってその高校の先生達に怒られたこと…

体育教官室に呼び出されたこと…

学校を抜け出し、街の喫茶店でサボってたこと…

校長室で説教されたこと…

イタズラばかりしてたっけ…



そんな大好きだった街が…

たった1度の、たった1つの津波で、全て飲み込まれてしまったのです。



あの日の津波が、街を、人々を、生活を、夢を、小さな幸せさえをも飲み込んだのです。


それは悪夢だったのです。


きっと何かの間違いだよね。みんなそう思いたいはずです。


言葉を失っていました。
ともちゃんなんか、また泣いていました。



『また来るからね!』

『ホントにありがとう!』

今回の活動で出会ったけんちゃん達は、その後も何度も来てくれました。
何度も来ては、私の教え子達と一緒に活動してくれ、今では、私を通さずとも情報のやり取りをしてくれたり、よく面倒を見てくれています。本当にありがたく思います。
チーム暁のTシャツも、そんな大好きな彼らと一緒に着れたらと思い、作ったのがきっかけでした。

私は毎週末、欠かさずボランティア活動をしています。
それは、そこで心優しい人達に出会えるのも1つの理由になっているのかもしれません。
翌朝、けんちゃん達東京組と宿を出発しました。途中で教え子の高校生達も加わりました。けんちゃん達が前日にトラックで運んできてくれたものを支援センターというNPO団体の主催する支援物質の配給会場となる市役所前の広場に運びこみました。
そこで、団体の幹部の木村美保子さんと打ち合わせをしてから、間もなく配給が始まりました。

始まるや否や、ものスゴい人の数に圧倒されました。
同時期に、石原軍団も中央公民館で炊き出しをおこなっていて、そちらも人がいっぱいだと聞いたので、この頃は余程、物資が不足していたのでしょう。
2トントラック分の食料は、ものの数分で無くなりました。後から、他の団体によって物資が次々に運びこまれても、すぐに無くなります。
そんな状態で配給は午後3時まで続きました。
東京組はお昼過ぎに帰る予定でしたが、人手不足ということもあって、最後までお手伝い頂きました。

配給を終えた私達は、眼下に太平洋や北上川を見下ろし、遠く牡鹿半島や金華麗山を見渡せる日和山に行きました。
山頂までは会場から車で5分で到着出来ます。
駐車場に車を停めて、展望台まで歩いていった私達は、そこでまた凄惨な光景を見たのでした。